気づいてお願い気づかないで
6
麦わら屋の船より麦わら屋が乗っていそうな船に世話になって早数日が経っていた。とにかくこの船の主はことあるごとにおれに喧嘩を吹っ掛けてきて居心地が悪い。麦わら屋の事を尊敬するのはいいがそれの反動でこちらが挑発されっ放しな気がして、おれの気の休まる場所は殆どニコ屋の近くしかない。他の麦わらの一味も許容範囲ではあるのだが何分突飛な行動を取る面子が残ってしまい時々ついていけないこともある。トニー屋が恋しい。
「ルルルルルフィーー先輩イイイイイ!!!!」
「…ったく、何なんだこいつらのテンションは…」
「ふふ、賑やかね」
今は新世界の想像を絶する天候も落ち着いており、からりと晴れている。室内で暴れられて堪らなかったので甲板のパラソルの下で紅茶を飲むニコ屋のところに避難していた。因みに甲板には数人、先程降って来た雹とも言えない氷の塊を使って床に張り付いているガムを剥がしている輩がいた。まだやってんのかお前ら。
「こうしてみると自分の船がどれだけ居心地良かったのかが身に沁みるな」
「あら、そうかしら、私はこういうのも嫌いじゃないわよ」
「…本気で言ってるのかそれ」
「こんな事で嘘なんてつかないわトラ男くん」
「変わった女だ」
ふふ、と曖昧に笑うニコ屋に、どうやら今日はここも気の休まる場所ではないらしいと肩を竦める。全く、本当に、生き残った今となってはハートの海賊団という空間がどれだけ優しいものだったのかが分かるというものだ。
「…ホームシックかしら?」
「バカを言え」
見透かすような目でニコ屋が笑っている。それを瞬時に突っぱねたが、本当はそれすらも否定出来ないような酷いモチベーションだ。あいつらには二度と会うこともないだろうと思っていたし、会う気もなかった。死を覚悟していたから。もちろんナマエにも。しかし今となると本当に、本当に。
誰にも気付かれたくない。こんな、弱い自分に。
「…おい!あれァ何だ!?」
…人が感傷に浸っているのにこの船の船員は騒がしい。内心舌打ちすらしながら甲板を見やると、ガムを剥がしていた連中がやんやと騒ぎながら船首の方に集まっていた。
「人?人でねぇかありゃ!」
「なんだって!?おーい!兄ちゃんあぶねーぞ!」
「そっちさいっとぶつかっちまーぞ!ツナギのにーちゃーん!」
船長に似ていまいちよくわからない訛りのある連中だ。はぁ、と溜め息を吐くと胸の前で腕を交差させて目を瞑っていたニコ屋が、あら、と声を上げた。
「…あれは…トラ男くんのお仲間かしら?」
「…なんだと?」
ふわ、とニコ屋の周りに花が舞ったかと思えば、その黒目がちな瞳がこちらを捉える。そうして男たちが集まっている船首の方を指差した。
「海の上に仁王立ちした白いツナギでニット帽の彼」
「…な、なに…!?」
「お仲間、というより…あら」
ニコ屋の言葉が終わる前におれは船首に向かって走りだしていた。
「…っ、どけ!」
「トラファルガー!?」
なんだと驚いたような声が上がるが関係ない。ニコ屋が言った特徴が合っていれば、それは。わらわらと群がる船員をかき分けて船の縁まで辿り着いて進行方向を見れば、カプセル状のものに仁王立ちした人間が小さく見えた。ハートの海賊団揃いの白いツナギ、足場になっているのは恐らく潜水艦の脱出ポットだろう、表情は、ニット帽と前髪に隠れて良くは見えない。それでも相手はおれの姿を認めた瞬間に、大きく手を振った。
「ナマエ!」
紛れもない。見間違いようもない。遠くからでもわかる。あれは、ナマエだ。どうしてここに、とか、他の奴らは、とか、なぜ一人で、とか、いろいろと思うところはある。それでも。
「ROOMッ、シャンブルス!」
背後でゴトン、と何かが落ちる音と「いって!」と叫んだ誰かが転げ落ちる音ようながした。先程までナマエが立っていた場所にはナマエの脱出ポット分の雹の塊が2つ沈んでいっただろう。おお!と後ろで船員達がどよめく。おれは、振り向く事ができない。
「いってぇ…久々にシャンブられた…」
「に、兄ちゃんさっきの…能力者か?」
「あぁ、いや、そこの…おれの船長に助けてもらって」
「ハートの海賊団か!船長に知らせてくっぺ!」
「ん?よく分からないけどよろしく!」
ばたばた、と何人もの足音が甲板から去った。いやそんなに人数行かなくてもいいだろ、と思ったか今は却って好都合だ。
「…キャプテン」
「どうして、ここに」
「待ってました、キャプテンが、帰ってくるの」
ナマエはまた蛍光色のスニーカーを履いているだろうから、足音はあまりしない。かわりに衣擦れの音がこちらに近付いてきているのを感じる。
ドレスローザを出てから、ハートの海賊団には連絡を取っていなかった。それに脱出ポットほどの機動力のものでここにいるには、おれたちがあの国を出る前から待っていなければならかっただろう。ドレスローザ国王陥落のニュースすら見たのかどうか危うい。
「おれが死んでたら、どうするつもりだったんだ」
「ん?そうですね、死体でも抱き締めて泣きます」
「ずっとここを、通らなかったら」
「ずっとここで、待ち続けます」
「おれの事は忘れろと言っただろ」
「忘れられると、思いましたか?」
背後で、ナマエの気配が止まった。手を伸ばせば互いに容易に触れられる距離だ。動けないおれに、動かないナマエが声を掛ける。
「キャプテン…ローさん」
こっち向いてください。柔らかい声で言われて、ぷつり、とどこかの糸が切れる音がした。
ぶわ、と両目から涙が溢れる。慌てて顔を隠そうと両手を上げれば後ろからその腕が纏めて引かれて振り返らされて、どん、と正面から何かにぶつかった。衝撃から少しして、温かい体温に包まれているのを感じる。抱き締められているようだ。
「あなたは本当に酷い人だ」
「っ、ナマエ…!」
「おれがあなたを忘れられると思いましたか?死ぬ?仇を打つ?なんですか、一緒に連れて行ってくれてもよかった、道連れにしてくれても、盾にしてくれてもよかった」
何を言っているんだこいつは。出来る筈がない。大切な仲間を、大好きな恋人を、こんなことで死なせるわけには行かなかった。どうして分かってくれないんだろう。どうしてそんなことを言うのだろう。震える喉ではその中の一つも声に出すことができなくて、抗議するように白いツナギの肩に顔を押し付けるようにして涙を拭った。する、と背中に回した手で後ろから帽子を取られて、反対側の手で髪を撫でられる。
「でももう、いいですよね」
その意味深な言葉に思わずびくり、と肩を震わせてしまった。もう、おれについてくるのはうんざりだ、とでも続ける気だろうか。そう言われても無理もない。おれが忘れろと言ったのだ。それでも別れの言葉が怖くてナマエの声から必死で内心を探ろうとする。しかし何を思ったか抱き着いてきたのをべり、と音がするほど剥がされて、おれは思わず目を丸くした。その正面から、ナマエに覗きこまれる。久し振りに見たナマエの顔は、泣き笑いのような顔だった。
「キャプテン、復讐は終わったんですよね、それならもう、あなたはおれたちだけのキャプテンです、おれだけの、ローさんです」
「…は、ぁ?」
「え、呆れないでくださいよ、これからはどこに行くにも一緒で、何をするにも道連れにしてください、もう一人で何かをしようなんて思わないでください」
これは、ハートの海賊団全員からのお願いです。ナマエが困ったように笑った。あいつらに伝えろと言われたのかもしれない。ゾウに着いたらまたそんなような事を言われるのかもしれない。困ったクルー達だ。一人ひとりの顔が浮かんで、少し懐かしさすら覚えた。
「キャプテン」
「なん、だ」
ずび、と鼻をすすって答えれば、ナマエはニット帽を片手で直してふ、と笑った。
「…大切な人の仇は、打てたみたいですね」
「……そうだな、子供の頃の命の恩人の」
「…命の恩人?」
「お前は何か誤解してるみたいだが、初恋の人とかじゃなくて恩人だ」
「…あぁ、そうですか、そうですか!はいはい!」
自分が何を誤解していたのか気付いたらしいナマエは顔を真っ赤に染めて、誤魔化すように喚きだした。これから向かう場所がどんな場所かは分からない。分からないけれど、おれ達はきっとずっと一緒なのだと理由もなく確信した。潮風に頬を撫でられて少し目を細めれば、前髪を骨張った指で直されてから帽子が頭に戻ってきた。
船は、ゾウという島に向かっている。
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