MC:01747






01




酷く焦っていた。手の平で小さくなって行くビブルカードが、下手くそな字で「Rocinante」と書いた紙切れが焦げて小さくなるたびにぜえぜえと走るスピードを上げた。時間がない。早く見つけないと、ビブルカードが燃え尽きてしまう。つまり、そうだ、命と等しいビブルカードが燃え尽きるということはつまり。あぁ、これ以上先は考えるのも恐ろしい。

雪が降りしきっている。吹雪とまでは行かないが視界を染めていくそれは、なにか大切なものまで隠してしまう気がした。

ダァン、ダァンダァン、と立て続けに轟音が響く。白い花弁のようなそれの隙間を縫って、その音は俺の耳に届いた。

「…おい…馬鹿な冗談は、やめてくれ」

ぶる、と冷たい空気に身震いする。さっきより格段に低くなったような気のする気温が、頬を無遠慮に撫でた。あぁ、そんなまさか。縋るような気持ちでビブルカードを握り締めた手を、少しずつ解いた。

なんだこれは。もう、文字すら読めないじゃないか。

真っ黒焦げの紙の、燃え尽きそうな灰の欠片。そんな小ささになってしまったビブルカードが、ぐい、と掌の上で俺を呼んだ。そちらに向かってなんの躊躇いもなく走る。頼む、生きていてくれ。何年間も潜入に成功しているお前だろ、ドジだけど、やる事はやるお前だろ。突然任務を離れても例え海軍を裏切っても兄弟を裏切っても、おれはお前を仲間だと、同期だと思っている。

「…っ、ロシナンテ…!」

ドンキホーテ・ロシナンテ中佐、返事をしろ。イライラと周りを見渡しても、そこは白く染まる景色ばかりだ。ドォン、と、そんなに近くない場所で砲撃の音が聞こえた。

「だ、誰の船だ!待ってくれ!ロシナンテがまだ…、っ!」

海軍の船らしきその砲撃音に聞こえないとわかっていて声を張り上げても、それより大きい音に掻き消されてしまう。くそ、と思わず悪態をついて、もう一度ビブルカードに従って走り始める。くそ、くそ。俺の焦りと比例するように、段々とそれが、焦げ付いて小さくなっていく。まて、やめろ。

「ロシナンテ…!死ぬな!」

もうおれを導く力もなくなったビブルカードが、ジジ、と、跡形もなく燃え尽きた。それに目を疑って、思わずその場に膝をついた。

「…っ、クソっ…!クソォォォォォオオ!!」

感情に任せて思い切り叫ぶ。許せない、絶対に。あいつを殺したドンキホーテ・ドフラミンゴも、ギリギリまで俺に助けを求めなかったロシナンテも、頼られたのに助けることが出来なかった、このおれの不甲斐なさも。何もかも許せない。空に、空をいくつもの小ささに区切っている鳥籠のようなものに、壊れろと言わんばかりに叫んだ。だん、と地面を殴りつける。絶対に許さない。

聞こえていたんだ、ロシナンテが戦いに行く海の上で繋げた電伝虫で。知っていた、あいつがローという少年を助けようとしていたこと。その為にドフラミンゴと争い、オペオペの実を奪うために任務を抜けだしたこと。海兵として褒められた行為ではないかもしれない。それでもおれはあいつらしくてとても好ましいと、そう思って休暇放り出して来たのだ。助けられなかった。本当に、自分が情けない。

それでも、あいつの最後の願いを、命をかけた願いを聞き入れるくらいの甲斐性は、見せてもいいかな。

がつん、と気合を入れるように太腿を一発殴る。泣いてる暇も、嘆いている暇もない。ロシナンテの最後の願いを、おれが引き継がなければならない。唇を噛んで立ち上がる。砲弾の音はまだ鳴り止まない。その方向に向かって、ひたすら走る。どこだ、どこにいるんだ。

つる中将の船が見えた。何人かがその餌食になるまいと躱している。その中でひとつだけ、こちらに向かって大きくなってくる、それでも小さな影。あれだ。きっと、ロシナンテの最後の願い。その影に向かっておれは駆け寄って、大きく口を開けて泣き叫ぶ少年の体を持ち上げた。突然手を伸ばしたからパニックになって暴れ出す、斑色の肌をした少年。落ち着け、と叫ぶが砲撃音に掻き消されてこの距離でも聞こえないらしい。おれも少年が何か言っている声は聞こえない。チッ、と一つ舌打ちをして、少年を小脇に抱えて走りながら大声で叫んで指を一つ鳴らした。

「エリア…ミュート!」

「やめろ!離せニセモノ海兵!もう騙されないからな!コラさん!コラさん助けて!うわああああ!」

「おい落ち着け!クソガキ!…ロー!」

声が通るようになった。砲撃の音は掻き消え、雪の上を走る音も聞こえない。それに気付きもしないローという少年の名前を強めに呼ぶ。びくり、と恐怖に身を震わせた少年は、俺の顔を恐る恐ると言った表情で見て、それから目を見開いてまた涙をこぼしはじめた。

「こ、こら、さあん…」

「…っ、おれはお前に危害を加えない、絶対にだ」

小脇に抱えた体勢から、前抱き、つまり抱っこの大勢に小さな体を抱え直す。軽い。あまりにも軽い。病気のせいだろうか、それとも無理な船旅ばかりで満足にものを食べていないせいだろうか。おれの首に縋り付いて気を失ってしまった少年の体調を案じながら、おれはここに来るために大急ぎで手配した軍艦に乗り込んだ。



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