企画


男子三日会わざれば刮目して見よ。先人が残した有り難いお言葉である。初めて酒を飲んだ時こそベロベロに呑まれて挙句ぶっ倒れた名前も、そののち飲めるものの抱きつき魔泣き上戸と化した名前も、今でこそ海賊らしくザルにランクアップしたのだ。そんなことを思い出して、名前はまだ酒の回らない頭で思う。

ローは、ザルではなかったのだな、と。

事の始まりは、ローが部屋で一人とっておきの酒を満喫していたところからだった。度数の強い酒を子猫が水を舐めるように少しずつ呑むのがローの基本的な酒の楽しみ方で、本日の夜もそんなふうにのんびりと窓越しに深海の青を眺めながら酒を煽っていた。そんな最中、遠慮気味なノックが三つ。入れ、とまだ酔いの回らない声でそう呼び掛ければ、重く開いた扉の向こうからひょっこりとニット帽の男が顔を出した。

「キャプテン、この前借りた本…って、あ、酒飲んでるんですか」

「まァな」

肩辺りの高さに掲げた小説をとん、とそのまま自分の肩でバウンドさせた男、名前はローが研究ではなく息抜きに勤しんでいる様子を認めると部屋に入ってきた。テーブルに返しに来た小説を置いて隣に座る。

「てっきりまた何か小難しい事しているのかと思いましたよ、酌でもしましょうか」

「あぁ…お前から見たら小難しいんだろうな、酌は頼む」

「言外にやんわりとした誹謗!?」

ひどい!と吠える名前に手に持ったグラスを押し付けて注ぐように要求する。求められてもいない泣き真似をしていた名前は即座にそれをやめて酒瓶を傾けた。こぽぽ、と透明な液体がグラスの中を踊るように滑る。見慣れない混じり気のない色と匂いに、名前が首を傾げた。

「米の酒ですか」

「この間まで飲めなかった区別はつくんだな、恐れ入る」

「言外にやんわりとした中傷!?」

ハァ、と溜め息を吐かれて戸惑う名前。ええ、とゆっくり酒瓶を起こしたので注ぎ口からつ、と一筋酒が名前の指に滑った。おっと、とそれに気付いて声を上げた名前が、自分の腕に舌を這わせてそれを舐め取った。何故かどきりとしてローは視線を離すが、それに気付きもせずに名前はおー、と歓声を上げる。

「おー、なにこれうまい」

キツいけどいい酒なんじゃないですか?これ。名前はそう尋ねた。それにゆっくりと一度瞬きをして、ローは名前から酒瓶を奪い取って縁ギリギリまでグラスに注ぎ、残りの酒をずい、と瓶ごと差し出した。

「…ん」

「え、何ですか、お前の仕事ねえよって事?」

「酌するくらいなら一緒に飲め」

「これ…割と入ってますけどいいんですか?」

「…ザルのくせに」

「それおれが悪いわけじゃないけどすみません」

「よし」

何が「よし」なのか名前には分からないが、突き付けられた瓶をそっと受け取る。ローはまたゆっくりとグラスを傾けた。

その中身も底をついた頃、肩に何か布のようなものを掛けられる感触でローは目を開けた。知らずに。テーブルに突っ伏すような体勢になっていたのに気が付いて、どうやら眠っていたらしいとぼんやり思った。酒のせいで意識が煙っているようにはっきりしない。

「…すみません、起こしましたか?」

「ん…名前?」

「…はい、風邪引くといけないと思って」

ここじゃなんですから、ベッド行きましょう。そう子供のように諭されて、少し苛立ったのかもしれない。ローは何も考えずにぽろり、と口を滑らせた。いつもより滑舌がよろしくないのも酒のせいだ。

「…すえぜん、じゃねぇのか」

むう、と口をへの字にして肩にかけられている毛布を持つ名前の手に触れる。自分より年下のこの男によっているとはいえ子供扱いされるのは癪に障る。じと、と座っている自分より目線の高い名前を見つめていると、目を限界までかっ開いて驚いた顔をしている名前が、え、と呟いてからじわじわ顔を赤く染めていった。

「え!?や、あの、え!?いや、酔ってる人に手を出すのはその…」

「よって、ねェ」

「酔ってるよあらゆる角度から見てもこの上なく悪酔いだよこの人!」

「ん…?なら、もっと色々見る、か?」

「ちょ…!?みみみみみ見ません!」

部屋着のパーカーの裾に指を掛けて腹筋を中腹までゆるゆる顕にしたローの手を、名前のはっきりとした手ががばっと下げた。何をしてるんだこいつは、と互いに思っている切羽詰まった表情の名前と不思議そうなローの視線が交わる。

「見てえんじゃ、ねえの?」

「や、その、見たくないわけじゃないんですけど…!」

「けど?」

「…っ、ああもう!とにかくダメなんです!」

顔を真っ赤にして情けなくも泣き出しそうな表情をする名前は、ここまでされて耐えていられる自分を褒めてやりたい、と歯を食いしばった。今の状態は、例えるなら三日間絶食してから目の前に据え膳が温かい湯気を纏って並べられた時のような誘惑だ。一度強めに自分の太腿を拳で殴って正気に戻し、ローを椅子から引き剥がすように抱き上げた。いくらローより弱いといえど海賊なのだからその程度の腕力はある。

「…どうしても、か?」

「どうしてもです!ダメ!酔っ払いに手を出すなんておれが許せません!」

「………ケチ」

「あんたはもっとケチになってください!」

頼むから出し惜しみしてキャプテン!とギャン泣きしそうな名前は、ローを片手で支えつつ掛け布団を捲ってその細い身体をそっとベッドに横たえた。そっと布団が身体の上に掛けられたのを不服そうに見ていたローが、呆れたような口ぶりで名前に言った。

「すえぜん食わぬは、おとこのはじ…なのにな、おとこじゃ…ねえ、のか」

「残念でした、おれはキャプテンの前では恋人なんで、あなたを大切にすることが優先なんですよ」

「…ばか」

「馬鹿で結構です」

ふわ、と少しだけ汗ばんだローの髪を名前の骨ばった指が撫でる。彼の顔は、少しだけ困ったような表情で、ぼんやりとしたローの頭ではその意味が分からなかった。ゆっくりと一度瞬きをすれば、ふ、と薄い唇が綻ぶ。

「おとなしく寝てください、酔っ払いさん」

「だから、酔ってな…」

「おやすみのキスは?」

「……いる」

「はいはい」

甘えたなんだから、そう笑った名前の後頭部が、据え膳によって掴んで引き寄せられた。自分が下戸というか、酒乱を脱して初めて分かる事だが、ローだってザルを通り越したワクという訳でもなかったらしい。いつもはあり得ない彼の様子になんだか得した気分になって、据え膳を明日のために残しておくべくそっといつもより体温の高いローの頬に掌を寄せた。酒の力でもなんでも、いつもより深く眠って明日いつもより不健康な隈が薄くなっているといい。




ルイ様、リクエストありがとうございました!




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