企画


「三十八度二分ってとこか…まあ、命拾いはしたな」

「面目ないです」

はは、と名前が力無く笑った。その顔は仄かに赤く、目は熱に浮かされて虚ろだ。ローはそれになんとも言えない気持ちになってぐ、と眉間にしわを寄せた。

どうやらこの男、名前は行く先々の島で病気を拾わないと気が済まないようで、毎回ではないが上陸する度に一定の確率で風土病を拾ってくる傾向がある。医者としては様々な症例を診る事が出来て経験を積めるので有りがたいのだが、恋人としては心配だし船長としては自分の統率能力に疑問を持つことすらある。まあ大抵が直接命に関わる病気ではないから許すのだが、今回ばかりはそうも言ってられなかった。

「今回は、五日病だ」

「いつか、びょう?」

「五日で死ぬ」

「ウワァ危なかったナア」

「どっちにしろあと二日で楽になってただろうな」

ローの診察による余命宣告に、暑いはずなのにふるりと身体を震わせて名前は引きつった笑みを浮かべた。次の瞬間には何を笑っているんだこのバカ、とローに氷枕を投げつけられて強かに打ち付けた頭を抱えることになったのだが。

「いっっ!ちょっと!おれ病人ですよ!?」

「お前の場合人生の半分が病人だろ」

「ほんとそれな!」

返す言葉もねえ!と大声で叫んで突然身を起こした名前は、しかし目眩が起きたのかぽすん、とベッドに強制送還されていた。どうやら相当に具合が悪いらしい。

「高熱の時こそ騒がしい野郎が今回は大人しいな」

「…さすがにこれだけ重症なんで」

騒ぐ元気もない。浮上中の甲板で突如倒れた名前を医務室まで運んだ時には四十一度まで熱が上がっていたのだ。ペンギンに引き摺られてきたぐったりとした恋人のかつて無い重症さ加減を見た時、柄にもなく内心焦った。担ぎ込まれてきたのがついさっきだったので、今ヘラヘラ笑っている名前は二日と半日高熱を我慢していた事になる。

「…それだけ重症でも、すぐにおれに言おうと思わなかったのか」

少しだけ責めるような口調でローが尋ねた。そういえば思い当たることがいくつかあったのだ。いつもそこまで所謂やらかしをしない名前がマグカップを倒したり、戸棚に手を挟んだり、朝を寝過ごしたり、ぼうっと空中を眺めていたり。思えば様子がおかしい事は多々あった。あったのは分ったのだが気付く事が出来なかった。そこにどうしても、自分への不甲斐なさを感じてしまう。だから、名前の異変に気付けなかった、自分が悪いのに。そう思うと無意識に無表情を務める顔が歪んでしまう。

「…おれは、そんなに頼りないか」

その言葉を最後に、ふと部屋に沈黙が訪れる。単に言いづらかったからとか、どうせすぐ治るとか、そんなふうに思っていたのだろう。医者を頼るまでもないと判断したのかもしれない。それでも、少しでも体調が悪かったら言って欲しかった。恋人として頼られたかったと、名前の変化に一番最初に気付くのが自分でありたかったと思ってしまった。

馬鹿な事を言った、ローはそう自覚して自分の女々しさに辟易するようだった。何事も無かったように名前の額に乗せられている濡れたタオルを冷やし直そうとそこに手を伸ばす。目を丸くしている名前はしかし、その表情のまま俊敏な動きで伸びてくるローの刺青だらけの手を取った。

「…なんだ」

「それ本気で言ってます?」

「は?」

「キャプテンは、頼りなくなんか、ないです」

譫言のように繰り返す名前は、鬼気迫る様相でローの腕を引いた。弱い力だが有無を言わせないようなそれに、逆らえず前のめりにベッドに倒れ込みそうになって咄嗟に手をついて支える。抗議しようと名前を睨み付けて口を開いたローは、名前との顔の思った以上の近さに何も言わずに閉口した。普段は割とお調子者の気がある名前にしては珍しい表情で、不意にどくり、と心臓が大げさな音を立てたような気がした。

「好きな人に、心配をかけたくないなんて、男として当然の事じゃないですか」

熱のせいか羞恥のせいか、どことなく顔の赤い名前の双眼が自分の目をまっすぐ見つめてそういったのを見て、医者なのにどこか許してしまいそうになる。は、と意識を戻してからローはふい、と顔を逸らした。

「……っ、くだらねえ意地張りやがって」

苦し紛れにそう詰る。熱でもあるのかと言いたくなる行動だが、事実先程まで人体の限界にほど近い高さの熱があったし、この男は今もまだ下がったとは言えない体温をしている。そんなとぼけたことを口走ればこちらも熱があるのかと心配されてしまうだろう。

ローの言葉にへにゃり、と眉を下げた名前は、すみません、と明らかに気を落とした様子だ。いつもは笑顔の裏に隠されているような表情をたくさん見せられているような気がして、なんだか落ち着かなかった。そんなあからさまに肩を落とされてはなんだかいじめているような気分になってしまう。ローは掴まれている腕に視線をやって、離してもらえなそうだ、と意図せず溜め息をついた。

「お前が弱ってると調子が狂う、さっさと治しておれのためにヘラヘラ笑ってろ」

まったく、と呆れ混じりにそう言って掴まれた腕を離せ、と言うように引いた。しかし予想した通り病人とは思えない力で握り返され、いい加減一発くらい食らわせてやろう、と名前の顔へ視線を向ける。

「や、あの…はい、すぐに治します」

ローの手を掴んでいる方とは反対の手で赤らんだ顔を隠す名前は、熱が上がってしまったのかもしれない。とぼけるようにそう自分の中で言い聞かせる。ローは自分も熱が出てしまったかと錯覚しそうに熱い顔を知らないふりして、うっかりと口走った小恥ずかしい台詞を記憶の中から消し去り、当初の目的だった額のタオルに手を伸ばした。



レン様、リクエストありがとうございました!






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