企画


ぐぬぬ、とキャスケット帽子を被った男が唸りながら机に突っ伏す。苦渋に満ちた表情、握り締められた両手がぶるぶると震えている。その正面で積み上げられたプレーンのクッキーを一枚、むしゃむしゃと咀嚼する少年、名前がそれを飲み下して、無垢を気取って首を傾げた。

「ほら、早く言ったほうが楽になれるよ?」

そんな物騒な台詞を吐き捨ててもう一枚、今度は茶色のマーブル模様のクッキーを一枚手に取る。うわあ、美味しそう!あたかも小さな子供が母親におやつを出された時のように喜んで見せる名前。それを勝利への確実な余裕と受け取って、シャチは漸く噛み締めていた唇を開いた。

「…ぐっ…さん、じゅう…」

「やった!またおれの勝ちだね!」

クッキーもーらい。にっこりと満足気に笑んだ名前に本日のおやつが乗った皿を差し出しながら、シャチは見た目に惑わされて頭脳勝負を挑んだ事を後悔していた。完全に相手の実力を見誤った結果である。

数取りゲーム。一から三十までの数字を二人で交互に、一ターンに最大三つまで言って行き、最終的に相手に三十と言わせた方が勝ち、というゲームだ。一見適当に言い合っていれば勝手に勝ち負けが決まるようなものだが、簡単なようでいてこれが深い。このゲームの掛け金として本日のおやつ、クッキーを賭けて遊んでいたのだが、結果は見ての通りだ。何回も勝負をして、遂に見た目の幼い名前の両サイドにきっかり二人分のクッキーが並ぶ羽目になってしまった。

だから言ったんだ馬鹿、その惨敗を傍らで見ていたペンギンが溜め息を吐いた。見た目が実際年齢より幼い名前はよくそれに引っ張られて子供扱いされがちだが、中身は歳相応、知識は実年齢以上のレベルであり、それでいて頭も柔らかい為に相当の切れ者だ。見た目とその行動で隠していても本質を見抜く目を持つペンギンには分かる。

「負けた…完敗だ…」

絶望、と言った様子で机に体を預けるシャチ。ひとまずは自分の皿からクッキーを物色して、名前はシャチの様子をちらりと見た。それから、紅茶クッキーとナッツのクッキーのみをシャチの皿に乗せる。

「シャチ、これ、罰ゲームで食べて」

「…え、なにこれ…くれんのか?」

「おれココアとプレーンがあればいいもん」

「…お、おま…名前!優しいいい子に育って…」

その一言に感激したシャチがぱあ、と表情を明るくする。そうして名前の足元に追い縋ったところで、食堂の入り口から聞き慣れた声がした。

「何してる、シャチ」

「あ、キャプテン!」

名前が、そちらを向いて花が咲いたような笑顔になる。シャチどいてよ、と眉をハの字のしてそう促したが、それよりも先にローが名前の正面、シャチが座っていた位置に座る。そうしてシャチの走り書きで数字と丸とバツが並んだ試行錯誤の痕跡を見てここで行われていたことを察した。

「数取りか」

「キャプテンもやりますか?」

どちらが勝つんだろう、シャチが密かにそう思いながらローに持ちかけた。相手はもちろん自分ではなく名前だが、どうにかその勝負を見届けたくて吹っ掛ける。ローはシャチを見て一度深く溜め息を吐いた後、ゆっくりと口を開いた。

「ったく…いち、に」

ざわ、と食堂に緊張が走る。ローがそんな勝負を受ける筈がないと高をくくっていた名前はまんまるに近い目を油断なくす、と細めた。それからシャチから巻き上げたクッキーの乗った皿をずい、とローの方に押し出し、自分の皿から一枚手に取りながら口走った。

「キャプテンは、何を賭けるの?」

「負けなきゃいいんだろ」

「…さんよんご」

がり、とクッキーが突き立てられた歯で二つに割れる。もしゃもしゃ、と茶色のそれが名前の口の中に消えていった。

「ろく、しち」

「はち、きゅう」

「…じゅう」

ローの表情に焦りが滲む。彼は、後手からこのゲームを支配しているこの子供相手に軽率に勝負に出たことを後悔していた。周りは誰一人として声を上げる事なくその様子を観戦していた。

「じゅういち、じゅうに、じゅうさん」

後半になって三つの数字を並べる名前に、焦りは見られない。一つ舌打ちをしたローに、名前はそれを観察しながらにんまりと笑った。

「じゅうし…、じゅうご」

「じゅうろく、じゅうしち」

「じゅうはち」

「…じゅうきゅう、にじゅう、にじゅういち」

ふう、とわざとらしく息を吐いた名前に、ぎり、と眉を寄せるロー。あれだけ追い詰められ甚振られ続けたはずのシャチは、しかし、ここに来ても勝負の結末が分からなかった。頭にクエスチョンマークを浮かべた所で後ろからペンギンに囁かれる。

「シャチ、お前後でキャプテンにとっちめられるぜ」

「え、でもまだ勝負は…」

「ッチ、…にじゅうに」

「にじゅさんにじゅしにじゅご」

口調が軽快になる。韻を踏んで遊ぶように告げられたそれに、ローは顔を顰めてその席を立ちたくなった。

「……にじゅうろく」

「にじゅうしち、にじゅうはち、にじゅうく」

え。そこでやっとシャチの口から声が上がる。このゲームは相手に三十を言わせれば勝ちだが、という事は、自分が先にその一つ前の数字を言ってしまえば勝ちなのだ。

「………っ、」

ローがふい、と忌々しげに視線を逸らす。いつだ、と思考を巡らせる。いつから名前に勝敗の決まった勝負にのせられてしまったのだろう。とりあえず後でシャチはバラして日向ぼっこの刑に決めた。この子供は、やはり子供ではない。どの段階から計算していたのだろう。適当に最初二つの数字を並べてしまった瞬間からローの負けを予測していたのだろうか。ちらり、と目の前の名前を見る。

「そう言えばキャプテンは、なにを賭けたの?」

先程まで漫然とクッキーを消費していた名前は、自分に頭脳戦で挑んだ報いだ、と言わんばかりに獰猛に微笑んだ。まるで牙が生え揃って狩りを覚えたての猛獣の子供のようだ。その様子を見て、ローは全てを悟って思わず頭痛すらしてきそうな額を手で抑えた。

「…最初からか…、このガキ」

「勝負するなら王手まで読んでからしなきゃ、必勝法があるんだよ」

「ああそうだ、お前はそういう奴だったな」

さんじゅう。観念してローが言い、溜め息を吐いた。その必勝法とやらは大方見当はついたが、それはやはり、ローが先手に回って、二つ数字を上げてしまった時から動いていたものだったらしい。シャチを相手取れば勝てる事は確定だろう。

「…それで、おれは何も賭けちゃいねぇからな、なんか言ってみろ」

じとり、と音がしそうなくらい半目で見つめれば、名前は獰猛な笑みを引っ込めて、ぱぁ、と屈託無く笑った。ああ、嫌な予感しかしない。

「じゃあ今日お風呂入ったあと、おれと遊んで!」

その笑顔に、ああ、やはり子供なんだな、と微笑んだクルー達。しかし、そこに含まれた意味を知っているローだけが、名前の目の前で凍り付いて青褪めていた。誰だ、こんな奴いい子とか抜かしたの。




順君様、リクエストありがとうございました!




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