FLOWER

Case 1


エース死後、バッドエンドかもしれない




ふらふら、あしもとがおぼつかない。

倒れるのを堪えるようにして牛歩で前に進む。ゆら、ゆら、と揺れる体は前進する起き上がりこぼしのようだ。傍から見たらそうなんだろうと苦笑して、おれはやっとのことでその無機質な石の前に辿り着いた。

否、ただ無機質なのではない。二つ並んだその大きな石碑は所謂墓石で、そこに眠る住人たちの生存の持ち物が飾られている。テンガロンハット、ナイフ、隣の大きな墓石には、白いコート、薙刀。

「エース…オヤジ」

来たぜと、ふふ、と笑えば、温かい風が頬をするりと撫でた。

花束を二つ、それぞれの墓石の前に放る。エースには燃えるような赤い花を、オヤジには太陽のような黄色い大輪の花を。おれたち白ひげ海賊団にとってこの二人は、どちらも太陽のような存在だったから。ああでも失念した、三人で飲み交わそうとしていた酒を持ってくるのを忘れてしまった。その時、ふとエースの墓石の前の木箱の存在に気が付く。

「…何だよエース、妬けるなあ」

その木箱の上には、三つの盃が並べられていた。まるで誰かとエースがその場で酒を酌み交わしたように、誰か来訪者が置いていったものだろう。

「盃を交わすと、兄弟になれるんだ」

そんな、ふと思い出したような一言から始まるエースの昔話が好きだった。決して七つの海を渡ったシンドバットのような、輝かしい冒険譚ではなかったけれど、胸が踊るような、締め付けられるような、そんな昔話。二人の兄弟の話。その話をする時のエースは、どこか照れ臭そうな、それでも兄弟を誇っているような柔らかい笑顔だった。

その笑顔が、好きだった。

「う、ぐ…っ!」

喉の奥から込み上げるような圧迫感に、思わず洋服の胸元を掴む。前屈みになって、どうにか口からそれを追い出そうと、手のひらで鳩尾から胸にかけてを押すように撫でれば、その動きに促されてせり上がるものがある。う、と呻きながら素直に喉を開けば、もう慣れたその感触を感じたあとに視界に黄色の細長い花弁がぱらぱらと降った。よくも気道を塞ぐくらいの量が一度に出てくるようになったものである。

く、と苦笑して、その場に崩れ落ちて膝をつく。まだ何枚か口の中に張り付くように残る花弁をむぐ、と噛み締めると、特有の香りが口腔に充満してふわりと鼻孔に広がった。

このままここで死んでしまえばいい。

お前の業火に焼かれて死ねればよかった。お前を守って死ねればよかった。お前と共に、隣で、死ねればよかった。苦しかった。エースが先に死んで、残ったのは一人きりじゃなかったけど、おれは一人だった。もう生きる希望も、なにもない。誇りも、守るものも、大切なものもとっくにすべて、あの戦争が壊して攫っていってしまったから。それでもエースの死は文句もつけようがなかった。大切なものを守って死んだんだ。男として最高の死に方だろう。俺とは、違って。

なあ、もういいだろう、連れて行ってよ。お前への思いで込み上げる花に殺されるなら本望だ。

好きだった。どうしようもなく。言い訳をするつもりも、今更隠すつもりもない。そうだよ、つんけんしてたなんて言葉じゃ言い表せないくらい誰も寄せ付けなかったエースも、懐き始めてきた野良猫みたいなお前も、キラキラ屈託なく笑う末っ子も、大好きだった、愛していた。思わず零したおれの「好きだ」に少し驚いて、その後綻ぶように笑って、おれの劣情とか恋心に一切気が付かないで「おう、おれもだよ」って返してきた、その全てがただ愛おしかった。

もう、いいだろ、生きたよなおれ。充分だろう。

「好きだ」

ぽつり、思わずそう零す。好きだ。好きなんだ。いくら言ってももう、「おれもだよ」なんて声は聞こえない。端から端まで同じ思いじゃなくたって、嫌われていなければおれは幸せだ。幸せだった。

「エース、好きだよ」

ああほら、幸せだったのに思ってしまう。お前が生きているうちに伝えておけばよかった。万に一つその思いにも「おれもだよ」と返して、笑ってくれたら、どんなに、って。ぜえ、と浅い息を吐いて背中を丸める。腿の、銃のホルダーがきつい。

好きだよ、だからもう死んでいいか。

ごぼ、と、溺れているように花弁で口内が満ちる。これを全部飲み込めば呼吸は出来なくなるだろうか。それとも銃で頭でも打ちぬくのがいいだろうか。どれでもいい、早く会いたい。自分で死ぬなんてって怒ってもいい、殴られたってかまわない、ああでも、泣かすのだけは嫌だ。あの時の泣き顔はもう見たくないからなぁ。

後から込み上げてくる黄色い花弁が喉を塞いでいく。細くて柔らかいから、ゆっくりと張り付くように呼吸を止めていく。そのまま体を前に倒して、地面に額を擦り付けた。草の匂いでもするのだろうが、鼻腔を占めるのは橙色の花の香りだ。体も弱ってきている。もう、いいかな、そんなことを思いながらゆっくりと目を閉じた。

のだが。

「っ!?ぶ、うグッ!!?」

唐突に鳩尾を殴られたような衝撃が体に走った。その勢いが喉奥を締めて、あまりの息苦しさに噎せ返る。断続的な擬似嘔吐に疲れ切っていたはずの身体が跳ねて、唾液と混じった花弁が地面にこれでもかという程散らばった。その苦しさにかすんだ視界からぼろりと涙が零れ落ちる。え、え、と状況を飲み込めないままに、ビンタでも食らったヒロインのような格好で呆気に取られながら、思わずぽかんと開いた口の端から花弁を零した。

何だ、何が起きた。呼吸が出来なくなって、意識が白んできたところを思い切り現実に引き戻されたようだ。どうして。目を丸くしていると止めだと言わんばかりの嘔吐感が込み上げてきて、大人しく喉を開いた。そうして、出てきた見慣れない色に目を見張る。

「…、なん、で」

そう、言うしかない。期待していたというか、予想していたものと違ったからだ。形も色も違う。おれはこんな花しらない、こんな銀色の。

「なんで、なんでだよ、お前、今更」

指が震える。その花びらに手が伸びたのは無意識にも近かった。摘み上げて、見れば見る程それは、銀色の百合だった。

今更こんな仕打ちは、ないだろう。

はらりと力の抜けた手から花弁が抜け落ちる。もう、いくらエースの事を思っても喉は苦しくならない、ただ痛い。ただ胸が痛い。そうか、どうしてこんな形で返事がもらえたのかは分からないが、お前もおれのことを好きでいてくれたってことなのか。なんだ、なんだそうか。じゃあもっと早く伝えておけば、あの時、あの時「好き」じゃなくて「愛してる」って言っておけば。「おれもすき」という言葉にもう一度「好き」を重ねておけば。なんだ、なんだよ。ほろり、と目尻から涙が落ちた。

「知らないふりしやがって、この野郎」

く、と、もう花弁に塞がれることのなくなった喉の奥で笑う。ここにはおれの他に誰もいない筈なのに、どこかで生きろと聞こえた気がした。





キンセンカ(別れの悲しみ)

back



- ナノ -