責任逃れは許さない


「遅かったな、おかえり、ロッカ」

家にたどり着いて玄関のドアを開ける。奥のリビングから長い足で歩いてくるのはぽや、とした笑顔を浮かべたキバナだ。今日は特に、家に来るという話は聞いていなかった筈だが。この間会った以来一週間ぶりだ、少し驚いて目を丸くしてしまった。

「キバナ…来てたんだ」

連絡を入れてくれればよかったのに、と思って言うと、キバナが言葉に詰まる。あぁ、と視線を空中に外して、少し黙ってから深刻そうな顔を床に向けた。

「…悪い、会いたくなったから」

苦虫を噛み潰したような表情で、キバナが言う。僕としては責めたつもりはないんだけど、そう聞こえたらしい。そんなつもりじゃなかった、来てると知らなかったから来てたのかと言っただけだ。

先週のひと悶着のあと、絶対別れないいやだ帰らない離れない捨てないでくれと泣き喚いたキバナに困り果てて、僕は咄嗟に「じゃあ保留で」と言ってしまったのだった。保留なんて冷たい言葉を口走った自分も最低だと思うけれど、それを聞いて「いいのか?」と心の底から安堵の表情を浮かべたキバナも中々にキてると思うのは僕だけだろうか。

ともかく今まで通り恋人としての関係を続けていく運びにはなった。が、やはり僕の言葉がずっと引っかかっているようだ。

「じゃあ尚更待たせてごめんな、連絡してくれたらもう少し早く帰ったのに」

「や、ロッカも予定あるだろ、勝手に来たんだからいいんだよ」

「そう?」

鍵を閉めてから部屋に上がって、キバナに身を寄せて頬に唇を落とす。お返しにキバナからもキスを貰うのは、お決まりの挨拶だった。と、ふわりとキバナから香ばしく焼けた匂いが薫る。

「いいにおい、フィッシュパイ?」

すん、とキバナの部屋着のトレーナーを匂ってみると、フィッシュパイの匂いがした。フィッシュパイは僕の好物だ。居心地が悪そうに視線を逸したキバナの頬は赤い。

「ん、好きだろ?」

「…折角だけど、夜、食べてきちゃって」

勿論好きではある。とはいえレストランのフルコースを胃に詰め込んできた上にその分の札が空を飛んでいった。虚しさで胸まで一杯である。食べられる気がしなくて素直に断ると、え、と小さくキバナから声が漏れた。その気落ちした声に驚いてキバナの顔を見ると、咄嗟に笑顔が取り繕われた。

「あー…おれさま、余計なことしたな」

「いや、明日の朝食べるよ」

ありがとう、と僕より少し高い位置の頭に手を置く。それからキバナの横を通り過ぎて、洗面所に手を洗いに行く。リビングに戻ると、テーブルの上に一人分の大きさのフィッシュパイが二つと、ローストチキンが並んでいた。両方にラップが掛けられている。そう、二つだ。器に触れるともう随分冷たい。それもそうだ、時間はもう十一時を回ろうとしている。リビングに入ってきたキバナと視線がぶつかって、不思議そうに微笑まれる。沸と罪悪感が湧いて、いつも僕が座る方の椅子を引いた。

「…やっぱり食べてもいい?」

「でも、食べてきたんだろ、おれさまも明日一緒に食おっと」

「食べたい」

「…ロッカ」

やめとけって、と僕を止めるキバナを尻目に椅子に座って、大きめのスプーンで一口がつりとフィッシュパイを口に放り込む。表面がカリッと焼けた、いや、少し焦げたマッシュポテト、いつも思うけど隠し味は何なんだろうなこれ。美味しい。けれどそれ以上に悔しい。

「キバナ、さあ」

「…どうした?」

止めるのは諦めたのか、僕の正面に座ったキバナもスプーンを手に取った。食事前にお祈りを済ませて、キバナの大きい口には少し少ない量のフィッシュパイがその口に吸い込まれていく。

「僕の彼女に何話したの?」

「…ロッカからおれさまに乗り換えないかって」

ぱち、とキバナがひとつ瞬きをした。ふ、と小さく息を吐いて、夜に会った彼女から聞いた通りの内容が返ってくる。

「そうじゃなくて」

そうじゃない。そこは聞いたし、本当かどうかは判断しかねるが、元彼女が乗らなかったことも聞いた。もし本当なら歴代の彼女がキバナの誘いに応じたかどうかも、正直五分五分といったところだろう、なんて推察してみる。だからその話ではなくて、今日彼女の口から聞いた言葉についてだ。

「僕の話、したんでしょ」

キバナが垂れた目を丸くした。彼女は「はじめはロッカの話で盛り上がった」と言っていたから、そのとおり僕の話をしたんだろう。あー、とキバナが後頭部に片手を当てて、少し視線を斜め上に上げた。

「そうだな、…ロッカは、ナックルシティにたまにくるワゴンの…アイスクリームが好きなんだ、とか」

あぁ、キルスクタウンや、シュートシティのスタジアム前にもいるやつだ。たまにナックルシティにも回ってくる。チープな割に生のフルーツが乗っていたりして、なかなかどうして美味い。少し思案した様子でキバナが続けた。

「おれさまの手持ちの中で一番仲良いのはコータス、でも実は小さい頃から好きだったのはフライゴンだとか」

コータスは人懐っこくて、僕とも仲良くしてくれる。基本的にキバナの手持ちはバトル以外の時は温厚で、見た目に反して取っ付きやすい子が多い。その中でもコータスは表情豊かなところがあるからついつい接点を多く持ってしまう。けれど確かに、見た目からしてドラゴン然として空も飛べるフライゴンは、小さい頃からとくべつ好きなポケモンの一匹だった。ふ、とキバナの口元が緩む。

「ああ見えてキャンプとカレー作りが好きで、得意なのはインスタント麺カレーだから、料理の腕はお察しとか」

「失礼な」

「本当の事だろぉ、あとは…そうだな…」

けれどそれも一瞬で、ふとキバナの笑顔が溶け落ちるように崩れた。下がった視線がフィッシュパイに落ちる。懐かしむような焦がれるような顔のキバナが、ぽつりと嘘みたいに小さな声で言った。

「彼女を大切にしてるから、最近会ってない、とか」

ぐ、と自分の眉間に皺が寄るのを感じた。なんて顔をするんだ。

確かにそう、手頃な食べ物が好きだ。高級なレストランは苦手だ。少しずつしか料理が出てこないし、最初に肉が食べたくても出てくるのはサラダだし。しかも店を出る頃には僕の腹は膨れてもそれ以上に財布がやせ細る。嫌いじゃないけど苦手だ。

それに比べて何だこのフィッシュパイは。味だって焼き加減だって絶妙に僕の好みで、それどころか最初の頃に比べたらどんどん美味しくなってくる。冷たくても美味しいなんておかしいだろう。どれだけ僕の好みに合わせれば気が済むんだよ。どれだけ僕のこと知ってて、どれだけ好きなんだよ、キバナ。ふざけるなよ、ふざけるな。がつ、ともう一口頬張る。キバナがふと目を閉じて、それからあっけらかんと笑った。

「全然、他愛もない話だよ、悪いことは言ってないから安心しな…って、言っても信じないか」

なるほど、僕の事をどれだけ知っているかで、どれほどの思いを向けているかで彼女達に勝負を仕掛けたわけだ。大した度胸だ。恋人相手に好意の大きさでマウントを取ったわけだ。それで勝つんだから大したものだ。キバナの諦めの悪さは知っていたけれど、まさかここまでとは思わなんだ。

「…信じるよ」

彼女達だって僕のことを何も知らなかったわけじゃない。それでもこんなふうに僕のことを何でも知っていて、それで僕もキバナのことを知っている、こんな関係を誰かと作れることって、とても喜ばしいことだと思う。腹立たしい。喜ばしいと思う自分が腹立たしい。スプーンに山盛りマッシュポテトを乗せて、キバナの顔をじっとまっすぐ見上げた。パイとすれ違いでポロっと口から溢れたのは、思わぬ僕の本音だった。

「フィッシュパイ、多分もうこれ以外食べられないし」

責任取ってよ、キバナ。そう言うと、短く息を呑んだキバナがぐ、と目尻に力を入れた。涙をこらえるような顔をしてから、無理矢理に作られた笑顔が珍しく下手くそだ。

「…おう、任せてくれよ」

がつ、とキバナが一口頬張ったのを見て、僕もそれに倣う。どこまでも僕好みのフィッシュパイは幸せの味がするのだから、既に夕食を済ませていたって、今が深夜十一時だって、何ら関係のないことだった。





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