茨の君
「ここが、トロデーン城じゃ」

皆が皆、言葉を失った。茨が蔦のように建物を覆い、廃墟のようになったこの城に繁栄の影を見つけろと言われても無理であったのだろう。ゼシカが気を遣って門の茨を焼き切ってから軽く冗談を飛ばしたが、重い空気はどうにもならなかった。
エイトは自らの鼓動が悪戯に速くなっているのを感じた。入りたくないと全身が拒否しているのだ。理由は彼自身が一番よく知っている。ふ、と短く息を吐いてみればトロデがエイトに視線で合図をし、他の三人には聞こえないように言う。

「エイト…あの部屋には入らなくても良いぞ」

「…いえ、もしかすると、新しい発見があるかもしれないですし」

大丈夫か?とトロデに気遣うように訊かれて情けなくなる。きゅ、と胃が握り潰される感覚がして服を掴めば、顔色の悪さに気が付いたのかヤンガスが訝しげに尋ねてきた。

「エイトの兄貴、具合悪いんでがすか?」

「…え?あ、あぁ、大丈夫だよ」

エイトはそう言って笑ってみせて、ゼシカが使用可能にした門をぎぃ、と押し開ける。場内は沈黙に満ちていた。いばらドラゴンなどの魔物が立てる微かな音以外に耳に入ってくるものは、自分達の靴音位だ。それを鳴らして一つ一つ部屋を物色していく。

「…あ、岩塩」

「岩塩?」

エイトが壺や樽の中を覗いて見付けたそれに、ゼシカが視線を向けた。

「トロデーンの料理の塩って、岩塩からなの?本格的ね」

「うん、料理長がそういうのにも気を遣う人だったから」

城での日々を思い出したのかくすりと笑うエイトに、ゼシカは何か悪い事を訊いた気分になった。だが彼はそれを気にした様子を出す事はせず、旅の糧にするつもりで岩塩を袋に詰める。それはまるで、ここに居る事で絶えず湧き出る痛みや恐怖を自らの奥にしまい込むようで、何故だか居たたまれなくなったゼシカは茨がひび割れのように走る床に視線を落としたのだった。ククールですら空気を読んで「へぇ、そりゃさぞかし美味い料理なんだろうな」と、彼なりの気遣いを見せていた。

「早く本を探しに行きましょう」

ゼシカがエイトを気遣うように言うが、彼は軽く首を横に振って「もう一ヶ所行きたい場所があるんだ」と続けた。

そこは、兵士にあてがわれた部屋であった。近衛兵だったエイトにはきっとそれなりに良い部屋が与えられているのだろう、と皆思っていたが、彼が手を掛けた扉は平兵士の部屋だった。自室ではない、とゼシカは判断した。

「それ、誰の部屋?」

エイトは我に返ったようにゼシカを真顔で見、それから慌てて笑顔を作ってから彼女の考えを訂正した。

「僕の部屋だよ」

笑顔で彼が開けた扉の向こうには他の部屋よりも綺麗さを保っているエイトの自室があった。二つ並んだベッド、二つの机、椅子、タンスや姿見等の日用品が揃っていた。そしてそのタンスの前には、今にもこちらに駆け寄ってきそうな茨の人影。

「…これ、は…?」

曖昧に笑うエイトを横目に、一番に異変に気付いたのはククールであった。他の人間と同じように茨にされたようだ。だか、その容姿に目を見開く。

「エイト、お前…これは、誰だ?」

ククールがエイトにそう尋ねれば小さく溜め息を吐き、瞑目する。その顔と茨にされている人物の顔。
傍目には、同一人物に見えた。
深い黒の髪、黒曜石の瞳、そして頭に巻かれた橙色のバンダナ、しかし、エイトに今日は非番だ、と語っていたはずの少年は、兵士服で今にも外に飛び出そうとしていた。
ただ一つだけ違うのは、その青年が変わり果てた姿である、という事だけだった。昼夜剣術で酷使した細身な指は茨の蔓の姿で刺だらけで、他の肌も勿論、植物の不気味な緑色一色に変色している。身体的特徴は殆んどエイトに酷似していた。

「それはリクト、僕の…」

エイトは、とん、と扉に体を預けた。顔色が悪い。かたかたと微かに震える指先は、それを隠すようにすぐさまきゅ、と握り締められた。

「僕の、弟だよ」

エイトの弟、リクトの机に本が乗っていた。それは過去にトロデーン城の書庫に入り浸っていた賢者の手記で、言うなれば読書感想文の集合体のようなものである。

「あった、砂漠に置き去りにされた船…」

エイトはリクトの机の上からその本を抜き取ると、パラパラと捲り始めた。見つけたページにあったタイトルは、荒野に忘れ去られた船、と言うらしい。評価は端的に言うと、読み物としては調度良い、というふうに書いてあった。実物を読んでみないことには、その意味も分からないのだが。

「…とにかく、これでトロデーン城の書庫に荒野の船の資料があることが分かりました」

パタン、と、エイトは本を閉じて、リクトの机の上に本を置く。少年が元に戻った時、読んでいた本が無くなっては驚いてしまうだろうという、彼なりの配慮だ。リクトのバンダナをつけた頭を撫でようとして、手を引っ込める。

「ありがとうリクト…、絶対に、呪いを解いてみせるから」

噛みしめるようにそう呟いてから、エイトは仲間の方を振り返った。その中に、同情の視線はもう、一つもない。頼もしい仲間達の瞳に見つめられて、エイトはいつの間にか震えの止まっていた両手に気が付いた。
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