/ / /



「誰か、今日飲みに行く人!」

そう切り出したのは、騒ぐのが好きなマイクでもなく、ミッドナイトでもなく、しゃべるのが好きな校長でもなく、意外な人物。なまえだった。ここ1週間、新人ヒーローの育成に手を焼いているなまえのストレスはピークで、飲んで何もかも忘れたい気分だったのだ。憧れのヒーローからの誘いを断る人など、この職員室には最早1人も居らず、全員「お供します!」と受けた。

「………あ、あの、ここすっげえ高いんじゃ……」
「みんな好きに頼みなさい。今日は私が出すから」
「いやぁ、さすがに…」

今まで見たことのない、どっしりと構えるなまえに、全員が恐縮していた。しかし、他人行儀でなくなった言葉遣いや態度に嬉しさを感じる。憧れのヒーローが素の姿でいるのだ。尤も、なまえは素でヒーローを活動をしていたため、彼らが本来見たかった姿なので幻滅などはない。普段の教師としての姿は、経営者としての面である。人を教える立場だから、とキッチリしていたがついにそれも面倒になってしまったのだ。

「フグだめな人いない?いないみたいね。じゃあ、てっちりとしゃぶしゃぶにしよう。肉はいつもので。みんなは?」
「…も、もっと普通のおつまみとか……」
「じゃあ枝豆、塩キャベツ、焼き鳥と、あと軟骨からあげ。あーあとだし巻き玉子。他に食べたいのは?」
「とりあえずそれだけでいいんじゃないかしら」

かろうじて13号とミッドナイトが返事をした。マイクと相澤は「えれぇとこに来ちまったな…」「やっぱり普通の居酒屋は似合わねえよなぁ……」「お前だけ見るとこ違うぜオイ」と話し合っている。相澤はさすがラブレターを送るだけあって、着眼点が違う。

「そんなに新人ヒーロー、厄介なやつなのかい?」
「まあ……。私も経営者一本でやってきて数年が経つけど、こんな人は初めてね。相棒と初日で殴り合いの喧嘩をして、コンビを解消するし……。嘘の怪我で仕事を休むし……。昨今は、ヒーローとしてファンサービスもしなければならないでしょう?それなのに、子供は嫌だ。男は嫌だと。しかも、挙げ句の果てにブスは嫌だとファンを罵倒し始めて……。個性はそこそこ強いのに、そういう性格や積もり積もった不祥事のせいで仕事はなく。たまに敵を退治したかと思えば、多額の負債を抱え……。辞めさせたいのは山々だけど、最近、クビにするのにも条件が厳しいでしょう。もう、どうすればいいのか………」
「予想以上に大変だね」

教鞭を取っている立場なので、こういう経営者の苦悩を聞かされると、ますますちゃんとヒーローとして教えなければと思ってしまう。逆に申し訳ない気分にもなってきた。一応乾杯は済ませたのだが、校長先生に慰めなられながらどんどん酒を注ぎ足していくなまえを、止めればいいのかそっとしておけばいいのかがわからない。とりあえずその新人ヒーローは説教したいと思う。

「これを期にヒーロー活動に戻ったらいいじゃねえか!みょうじの華麗な復活を、リスナーは心待ちにしてるんだぜ!?」
「ここにも1人」
「私も」
「………ヒーロー活動ね……考えておくわ」

そう言って、明らかに値段も度数も高そうな日本酒を飲んだ。意外にも前向きな返答。まさか…。まさか!

(ヒーロー活動復帰クルーーー!?)





これだから自制心の足りないやつは………。深く溜め息を吐いた。いくら憧れのヒーローとの飲み会だからって、何も酔うほど飲む必要はないのだ。相澤はともかく、ミッドナイトやプレゼント・マイクは、メディアの露出も激しいのだから気を付けてもらいたい。なまえが勘定をしている間に(最後の最後まで抵抗したが、ここまで付き合わせたのだからと、押しきられてしまった)、酔い潰れた連中をタクシーに乗せて帰らせた。面倒事を避けたい相澤が、酔った相手を介抱しながら送り届けるなど有り得ない。ちなみに校長は颯爽と帰っていった。なまえも少し顔が赤くなるくらいで済んでいたが、顔色すら変わらない校長はどんな体をしているのだろうか。

「相澤くん。先に帰っててもよかったのに」
「……いえ。どうせ行き先同じですし」

未だに慣れない“相澤くん“に、柄にも無く照れてしまう。敵襲撃事件があって気が抜けなかったり、優秀だがいろいろと目が離せない生徒たちに手を焼いたり、その中で唯一の癒しというか幸せというか。ヒーローとしての憧れであり、好意を寄せている相手が今、横に…!

「……みなさん、よく付き合ってくれますね。私がヒーローとして活動していたのは極僅かですよ。なのに、どうしてこんなに持ち上げてくれるんでしょう」

二人ともペラペラと話すタイプではないので、沈黙が続いた中、なまえがそう話し出した。純粋な疑問だ。

「同期の中じゃあ、一番活躍してたじゃないですか。学生時代から、ずっと」
「怒られてたの間違いじゃないですかね。よくヒーローや警察に説教されていました。あんまりいいことじゃありません」
「でも、それでもやってたじゃないですか」

何回も何回も何回も。目撃したことは何度もある。原則として、資格のない者が公共の場で個性を使うことは許されない。なまえが、初めて人前で敵を退治したときは、高校2年生のときだった。警察にしこたま怒られ、なまえも「だったら個性使わなかったらいいんでしょ」と逆ギレし、次に敵を退治したときは素手だった。いつぞやの爆豪がヘドロヴィランに捕まったときのように、プロヒーローが敵の個性に有利なヒーローが来るまで待っているときも、野次馬に混ざって事態を把握するよりも早く敵に一撃を食らわせていた。トップヒーローは学生時代から逸話を残している、というのは有名な話。トップヒーローだから学生時代から逸話があるのか、学生時代から逸話があるからトップヒーローなのかはわからないが、それになまえも該当すると思う。そんななまえの出世を絶ったのは、単に社会の目が原因だろう。

「でも、所詮ルールの範囲外で行動していた人間ですから」
「一般人に人気がなくても、ヒーローたちには人気がありましたよ」
「買いかぶりです。プロにも人気はありませんでしたよ。人気があったのは、相澤くんのような同じヒーロー志望の人達からだけです」

駅に着いた。なまえと相澤は違う方向なので、ホームへ繋がる階段の前で分かれることになる。少し気まずい気分だったので嬉しいような、でもやっぱり名残惜しいような。でもまた学校に行けば職員室に彼女は居るのだ。「じゃあ、」と階段を登ろうとすると、なまえが名前を呼んだ。

「私がヒーローに復帰したら、またお手紙くれますか」

え、と間抜けな声が出た。真っ直ぐな視線に、思わず目をさ迷わせた。確か、「これからも応援よろしく」とフラれたはずだった。その相手からまさかそれを切り出されるとは。

「………今の、やっぱり忘れてください。たまに読み返したりするんですけど、虫のいい話でしたね」
「あ、いや…」

読み返してくれてるのか、と衝撃を受けつつ、言葉を続ける。

「書きますよ、何枚でも」
「資源の無駄は合理的ではないのでは?」
「じゃあ口で言います」

自分でも何を言っているのかわからないが、畳み掛けるなら今だった。またヒーローになってくれるのも、二回目の想いを告げるのも。

「ヒーローしてるときのみょうじさんが、一番好きです。もう一度、俺に夢を見させてください」

いい歳した大人が何をやっているんだと、自棄になってくる。こんなところ、絶対に生徒に見られたくない。柄にもない。オールマイトが出てくる度に騒ぎ立てる生徒の気持ちがよくわかった。

顔が赤く染まりそうになるのを何とか堪えて、平然を装ってなまえの反応を待つ。ゆっくりと笑みを浮かべたなまえに、ぐっと唇を結んだ。

「ありがとう。相澤くんのおかげで、また私はヒーローを続けられる。これからも応援よろしくね」

じゃあ、また明日、と。そう言って、なまえはホームに上がっていった。相澤も、はい、と答えたが、そこに意識はなく。最後の一文は昔と同じだったけれど、それに新たな文章が追加された。

“また“ヒーローを続けられる。

一般的に人気がなかったなまえにとって、相澤のファンレターが最初で最後。プロにも警察にも怒られていた自分が、このままヒーローを目指していいのかと迷っていた矢先にもらったのだ。

「……ずっと応援してるっつーの………」

その場に力無く座り込むと、何だかこのまま帰らなくていい気がしてきた。