今宵踊るは悪しき獣 | ナノ

宵の口の宴



彼がこれから生活していくための準備を終えた頃、既に時計の針は17時を過ぎていた。夕飯の支度をし始めるべき時間だが、生憎今日の出来事でお腹がいっぱいだ。食欲がない。

それもそうだろう、空から降ってきた人を助けたと思ったらその人は訳ありのヤクザで、闇医者に高額な治療費を請求された上にヤクザを匿わさせられることになるなんて。気ばっかり滅入ってしまう。
一応、これから共に生活していくヤクザことオーバーホールさんにも夕飯をどうするか声をかけたが、目を瞑ったまま「いらない」と突っぱねられた。そうですか。

座ったまま天井へ腕を伸ばすと腰がコキコキと音を立てた。今日はもう風呂へ入って寝てしまおう。オーバーホールさんにはソファで寝てもらって……あ。

「お風呂、どうしますか」

「俺もそれについて考えていたところだ」

大量に買ってきた生活用品の中から目当てのものを取り出す。
柔らかい毛の生えたボディブラシとシリコンでできてるシャンプーブラシを彼の前に置いた。

「これで良ければお手伝いしますけど……」

「……用意がいいな。さっさと済ますぞ」

立ち上がった彼をお風呂の方へ案内して、脱衣場の扉を開けると、室内をジロジロ見ながら入って行った。脱ぐ手伝いもするべきかな?嫌がるかな?悩んだ私を察したのか、「早く閉めろ」と怒られてしまった。
閉めた扉に寄りかかって待機する。あの腕で脱衣できるとは、どんだけ器用なんだ。すごい。
時間かかるだろうと思って待機していれば、意外と早く声をかけられた。

「おい、入れ」

浴室の扉を恐る恐る開ける。
オーバーホールさんはこちらに背中を向けて座っていた。何も纏ってない、少し丸まった背中から体の引き締まり具合が伺える。傷がちらほらあるけど、中々の細マッチョ具合にドキッと心臓が鳴ってしまった。くそう。この時点で今まで付き合ってきた男性の中でダントツにスタイルがいいと言い切れる。
腹筋も見てみたい気持ちを抑え、「失礼しますねー」と声をかけて体を洗い始める。
ちなみに足を横断するようにタオルをかけてくれていたため、お互い気まずい思いをすることにはならなかった。


便利グッズを使って洗い終わると、体を拭くぐらいできると言い切るので私はさっさとリビングへ戻った。脱げるなら服も着れるだろう。
あ、でも扉は開けられないか……最初も私を顎で使って開けさせてたもの。
寒いけど扉は開けておくか、とソファから腰を上げたと同時に目的だった扉がひとりでに開く。入ってきたオーバーホールさんを見て、一人で開けられるやんけと心の中で突っ込んだ。

「寝る場所なんですけど、ソファでいいですか?」

「お前が今座ってるそれのことか?」

「そうですけど……」

如何にも不満です、と言いたげな顔をするオーバーホールさんに「あとは私のベッドくらいしか寝る場所ないですよ。1DKなので空き部屋とかないですし」と言うと「お前が常日頃使ってる寝具よりマシか」と返された。この人の横暴さは病気に値するだろう。
ふとオーバーホールさんを見ると、髪が濡れていることに気づく。そりゃあそうか、ドライヤーなんて使えたもんじゃない。

「ここ座ってください。髪乾かしますよ」

「いい。いらん世話だ」

「……。でも寒いでしょう」

「いらないと言ってる」

そうは言ってもね。触らなきゃ良いんだろうとドライヤーを持ち出して、「風邪引いちゃいますし」と近付いたら腕を払われてドライヤーがガチャンッと床に落ちた。

「やめろ。必要以上に関わるな」

払われた手の甲がじんじんと痛みを告げる。一方払った本人も腕に蕁麻疹が走ったようで、「クソッ……」と苦言を漏らしていた。
一度深呼吸をし、落ちたドライヤーを拾い、元の場所に戻して私も寝室へと向かった。

なんなんだ、あの人。

やめろ?関わるな?バカなの?
こっちだって好きで関わってるわけじゃない!アンタを押し付けられて迷惑してるんだ!大体人の世話になるっていうのにあの態度はなに!?こっちはせめて生活していくなら良い関係を築こうと歩み寄ってるというのに、最初から最後まで感謝という気持ちが一切感じられない。ああそうかしてないのか。そういう気持ちがないから、感じられないのか。

枕を思い切り殴って、湧き上がる憤りを抑えるため、もう一度深呼吸をした。
あの人とこれから生活を共にしていかなきゃいけないのか。この先どうしよう。こんなんじゃ彼氏もできない。

……彼氏。……彼氏か。ふと嫌なことを思い出してしまい、項垂れるようにベッドへ突っ伏した。
今日は……とっても疲れた。

目が覚めたら出て行ってくれてないかなぁ。
そう考えながら、どっと襲って来る眠気に従い、瞼を閉じた。


────
──


目が覚め、時計を見ると針は10時を指していた。
いい土曜日の始まりだ。
しかし、ヤクザが家にいるというのに随分ぐっすり眠ってしまった自分にほとほと嫌気が差す。よくもまあ、10時間以上も。
ベッドに仰向けになったままぼーっと天井を見上げていると、喉が渇いたことに気づいた。

あ〜……いやだ。リビングに行きたくない。あの人がいるという現実を見たくない……

私の思いとは裏腹に喉はカラカラ。意を決してベッドから立ち上がって部屋を出る。
リビングの扉を開けると昨日と同じ位置に座ってる姿を見て、やっぱり出て行ってないかぁとため息をついた。

「おはようございます」

「……」

家主の私には一瞥も寄こさずテレビのニュースを見つめる彼に、脳内で舌打ちをする。挨拶くらい返せないものか。
彼は私に対する感謝の気持ちと歩み寄る姿勢を見せるべき立場だというのに、さすが大物。もちろん、皮肉だ!

「おい」

「……はい」

「追加で買い出し行ってこい」

"行ってこい"!?どこまで態度がでかいの……!?
絶句している私に対し、彼が「聞いてるのか」とテーブルをガンッと蹴った音に驚き、肩が跳ねる。
あぁ……昔付き合ってたDV男もこんな感じだったなぁ。

嫌な記憶を思い出してしまった……不愉快さに眉をひそめながら「何が欲しいんですか」と問えば、ツラツラと買う物を挙げて行くので、慌ててスマホにメモを取る。

「じゃあ行ってきますが……お昼はどうしますか?」

「いらん」

「了解です」

軽く身支度をして家を出た。
あんな人と同じ空間にいるくらいなら買い出しでも何でも喜んで行ってやる。

昼はフードコートでステーキ定食を食べた。

──

夜。買い出しの中に10秒メシがあったのでまさかとは思ったが、オーバーホールさんのご飯はそれらしい。
蓋を開けて口元へ持って行くと、ジュッと中身が吸われて無くなった。
ゴミを捨てにオーバーホールさんから離れると、テーブルをガンッと蹴る音が聞こえる。ただ蓋を開けてあげるだけでもお世話されるという行為自体が癪に触るのだろう。プライド高そうだもんなぁ、これからどうしようかなぁ。
そう悩みながら、空になった容器をゴミ箱へ落とした。

──

次の日の朝。いつ寝て、いつ起きているんだろうか。服も着替えてあるが、不自由な腕でどうやったのだろう。
今日もオーバーホールさんはソファでニュース番組を見ていた。10秒メシはいらないらしい。朝は食べない派だったようだ。着替えを回収して洗濯カゴに放る。

さて、明日からの仕事はどうしよう。さすがに全休をとるのは憚れる。しかし不安要素が減る気配は一切無い。チラッとソファに目を遣ると、相変わらずニュースを見ている後頭部が見えた。

よし、午前中に最低限の仕事を終わらせ、午後から半休を取ろう。頑張れ、月曜日の私。
そう決めて、会員登録したものの全く通えていなかった駅前のスポーツジムへ足を運んだ。

──

昼過ぎ。帰りたくない気持ちが先行してしまい、予想よりも長くジムに居座ってしまった。

帰路をたどりながら、彼はお昼はどうしただろうかと考える。
完全に頭から抜けていた。早く10秒メシの蓋を開けてあげなければ。未だに彼のお腹の音を聞いたことはないが、ゼリーだけで腹が膨れる筈はない。
栄養も足りないだろうし、どうにかせねば。あんな人、関わりたくないけど、栄養失調で倒れられたらまたあの闇医者に頼らなければいけなくなる。それだけは勘弁だ。
けどあんな潔癖症が食べてくれるご飯なんかあるの?

悶々と考えながら帰宅すると、私の帰宅に気付いた彼は一瞥を寄越す。
すぐに10秒メシの蓋を開けて持って行くとジュッと吸われた。お腹、空いてるんじゃないのかなぁ。

──

その日の夕飯。オーバーホールさんのことを考えると手で直接触れるような料理はダメ。
パンは買い置きがない、米は研がなきゃいけないから無し、そしたら……台所事情によってそばかパスタに絞られる。パスタにしよう。
そう意気込んでゴム手袋を嵌め、料理にかかった。



そして今。
一向に食べないオーバーホールさんと、引かない私。冷戦が続いていた。
先日のドライヤー事件を彷彿とさせるが、食べ物なら彼も釣られてくれるだろうと甘い考えで臨んでいる。

「直接手で触らずに作ったパスタですよ。食べれますよね」

「食べない」

「食べてください」

「いらないと言ってるのが聞こえないのか?俺は最低限の食事を摂取するだけでいい。第一、他人の手料理なんぞ食べれない」

「10秒メシだけじゃ体壊します。体調崩されたらこっちが困ります。なにより好き嫌いは良くないですよ」

「好き嫌いじゃねぇよ、うるせぇな」

「今まで何食べて生きてきたんですか?パスタはだめなんですか?教えてくださいよ」

「鬱陶しいんだよ!」

右腕で振り払われたフォークは空を飛び、パスタごと床に着地した。
一拍おいて理解した私はショックを受け、「ああ!」と声を上げてティッシュを掴み取る。
床を拭きながら「なんて事するんですか!」と振り払った張本人を睨むと、それ以上の眼力で睨みつけられた。

「誰が作ってくれと頼んだ?お前のやってる事は親切じゃねぇ、エゴだよ。ソレはお前のエゴが招いた結果だろ」

圧力の伴った正論に何も言い返せず、掃除を再開する。
なんだよ、歩み寄ろうとしただけじゃんか。なんなんだよこの人。早く出て行ってくれよ。



冷戦は結局私の負けだった。

最初から分かってたけどね。



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