ケイイロ5



すぅ、と呼吸する度に、二週間空けただけの我が家の匂いが懐かしくて歯軋りした。
日付が変わろうかという頃漸く着いた玄関の扉をそっと閉める。
通りを歩きながら見上げた部屋は真っ暗で、だったらイロはもう眠っているのだろう。明日も仕事だ、わかってる。それが寂しいなどと思ってはいけない。
シンとした冷たい廊下を歩きながら、それでも帰って来たという安堵で勝手に頬は緩む。

二週間も帰らない俺を、イロは見捨てたりしない。
積み上げてきた信頼が壊れる事はない。俺がイロを愛してるのは変わりないし、その逆も然別。

もう少し。明日。
明日になれば、全て終われば、この二週間を埋める勢いで二人一緒に過ごして、寂しい思いをさせた事をたくさん謝って、よく頑張ったなって、甘えさせてほしい。

「、イロ……?」

静かに開いたリビングへの扉。
何よりも先にイロの寝顔が見たくて通り過ぎようとした俺の視界に、もぞりと動くイロが映った。
狭くないとは言え寝る為ではないソファに、小さく踞るように眠っている。
暗闇に慣れはじめた俺の目が捉えたのは、その苦しそうな表情で。

いつしか高校生の時、レンを思って泣いていた表情と同じソレに、肌が栗立つ。
鈍器で後頭部を殴られたような気分だった。

「……せんぱ、」

誰だよ。
イロなら大丈夫って、言ったのは。

「イロ……、イロ」
「ん……? せんぱい?」

そっと傍らに膝をついて、背中を撫でる。ゆっくりと寝返りを打ったイロは、殆ど閉じたままの瞳を俺に向け、焦点を合わせられないまま笑った。

「おかえりなさい」

たどたどしい言葉。いつもの、寝起きのイロ。
けれどいつもより夢を引きずっているのは、俺にはしっかり伝わっていた。
何の夢を見ていたのだろう。
俺を先輩と呼んでいた頃なら、どうしてそんな夢を見たのだろう。俺の心を蝕んだのは、後悔なんて生易しいものではなかった。

地肌を撫でるように髪をすいて、閉じてしまった瞼の上にキスをする。ピクリと震えるそれが愛らしい。放り出された手に指を絡めると、途端、イロの顔がくしゃりと歪んだ。

「……好きな人、できたん、ですか」
「イロ、」
「出てけっていわれました、せんぱい、いやですおれせんぱいと居たい」
「イロ、落ち着け、」
「どうして、せんぱいは俺のなのに……」

首を腕をまわして、力一杯しがみついてくる暖かい身体。
耳元で聞こえる声は掠れて、濡れていた。

「せんぱいがいるならだれに後ろ指さされても、いいって思ってたのに」
「それは、本音か?」
「そうだよ、けい」

スリスリと、寝起きでかさついた唇が首筋を辿る。二週間発散する事の出来なかった欲が頭を擡げそうになって、俺は拳を握り締めた。

「何があっても俺が居りゃあ満足出来んのか?」

慶、慶、慶。
愛しい声が愛しそうに同じ固有名詞を連呼する。
熱い息を吐いて、俺は全ての計画が狂った事を悟った。

俺なんかが思い切り抱きしめたら悲鳴を上げそうな背骨。
いつもみたく加減する事なく、俺は馬鹿みたいにイロを抱きしめた。

「だって俺は慶のモンだろう?」

(ぜってぇ許さねぇ。あいつも、……俺自身も)

 

短編・ログトップへ