ズル、と椅子から俺がずり落ちたと同時に、隣の部屋から椅子が倒れるような衝突音が聞こえた。
大きな音に身をすくませたヒロと扉を見ていると、ガチャガチャと慌てた音がして暫く、その扉が観念したように開いた。

「……わりぃ、盗み聞きするつもりはなかったんだけど」
「いや…大声やったもん、しゃあないやろ」
「ごごごめんなさぁい…っ」

遠い目をした梅やんは頭を抱えるヒロを哀れそうに見て、俺が手招くままこっちの椅子に腰掛けた。
呆れが混じりつつも真剣に心配する表情が、ヒロを見る。

「藤堂、それいつからだ」
「え?えーっとぉ…もう三日、かなぁ…みったんのとことか行っても探しに来るからぁ…」
「三日も徹夜か」
「うん…」

気まずそうに俯くヒロに、梅やんは溜め息を吐いて髪をかきあげた。そしてグシャグシャと掻き回して、難しい顔をする。

「内容が内容だけに教員の入っていい話しじゃねぇかもしれねぇけど…実際それじゃ授業にも支障をきたすし、体調面では保健医として見過ごせねぇな」
「トモ先輩の様子は?」
「ん…変な感じ、かなぁ…なんか、焦ってるっぽくてぇ…でもあんま会話してくんなくなったからぁ、よくわかんなぁい…」

梅やんと顔を見合わせる。怪訝そうなそれは、恐らく俺と同じ考えやからやと予測した。

確実な証拠なんかないけど、これは多分、トモ先輩とちゃんと話し合ったら解決すんのんちゃうか、と。
聞く限り、てゆうか見る限りヒロはトモ先輩を嫌がっとうって訳でもなさそうやし、トモ先輩だって、どっから見てもヒロにゾッコンって感じやったと思う。
そもそも一回や二回ならともかく、三日も一晩中ほにゃららな事実を踏まえたら、どこか、そう。

「大事なもんが無くならんように懐に入れる子供みたい」
「聞く限りはな…」
「え?なんの話しぃ?」

キョトリと目を丸くするヒロは可愛いなぁて思う。最近は鼻の下伸ばして気持ち悪い顔しか見てへんかったから余計に。
アホな顔してセクハラ紛いの事しでかして、それを怒ったり笑ったりすんのもやっぱり楽しかったけど、こうやってTHE恋してます的な表情のんがイイと思う。

多分、ヒロの根底にはツンデレ属性なるものが今でもあって、トモ先輩はそれを真正面から受け止めて焦って、こんな事になっとんちゃうかなぁって。
いや、あくまで憶測の域やねんけども。

「今日トモ先輩は?」
「あぅ…多分寝てると思う。ほっといたら一日中寝てる人間だしぃ、徹夜はあっちも一緒だもぉん」
「お前よぅ起きれたなぁ」
「…みったんが鬼電してきたぁ」

充、心配やったんか。

よもやそこまで充がお母さんポジションを確立してたとは驚き。
いんやー、人ってのはホンマ見た目だけじゃわからへんもんやな。
しかも無闇に世話焼くから、世話焼かれる立場の奴が寄ってくんねやろうなぁ。うまい事出来てるやん世の中。

「ゆーたん…俺どうするべきかなぁ…」
「好きってゆうた?」
「え?」
「やから、トモ先輩に、好きやからこのまますんのは辛いってゆうたん?」

落ち込むヒロを真っ直ぐ見て問い掛ける。生意気そうな茶色の瞳がほんの少し、揺れた気がした。

まずはそこからやと思う。
どんだけほにゃららしとったって、結局人間なんてもんは見つめ合うだけで意思が伝わるような構造してないし、嘘もつくけど、本来言葉ってのは気持ちを伝える為の手段やと思う。
何よりも先にお互いが交わすべきやったものがすっ飛んでる以上、今までよりももっとそれが重要化してくる。

「言っ…てなぃ」
「ほなまずそれからやな」
「なっむ、無理だよぉ!」
「何で」

本気でわからんかったからそう返したのに、ヒロは酷く傷付いた顔をした。
なんで。好きなんやったら好きってゆうのが当たり前なんじゃないん。
俺の頭はそう結論を弾き出すけど、ヒロの顔を見てたら、何か重大なミスを犯したような気分になった。

「好きやから好きってゆうんやろ…ちゃう、のん…?」

突如として重くなった空気に息が詰まる。
ヒロを見ても梅やんを見ても複雑な表情しか返ってこんくて、理由のわからん気まずさに俯いた。

「ゆーたん…好きだから言えないんだよぉ…」
「…ごめん、おれわからへん」
「相手の返事考えたりぃ、今のままの関係の心地良さに負けそうになったりぃ、…それにぃ、すごく好きな人にはぁ、中々言う勇気出ないんだよぉ」

静かに語る口調のせいで、もう一度わからへんと言うのは憚られた。
俺のイメージでは、恋愛ってのは白くてフワフワしとって、綺麗やった。
ヒロの言葉はその中に無くて、でも純粋な気持ちが綺麗な事は確信した、けど。

その綺麗な気持ちを持ってない俺は、ヒロに何かを言うだけの資格がないんやと、無性に心細くなった。

「…まだ先は長ぇんだから、んなシケた顔すんな若者。ほらほら、解決策練んだろ?」

二人して俯いた俺達の頭に、梅やんが手を乗せて掻き回した。
グワングワン揺れる中で見えたヒロの視線が自棄に生暖かくて、気持ち悪かった。

「いつかわかるよぉ」

返事はせんかった。

多分自分の知らん事を知ってた友人に対しての、ただの嫉妬のせい。
自分自身が酷くみっともなかった。



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