『どーよ、勉強進んでんの』
「任せてよー。てかこの程度?ていつも思ってる」
『あー、うちの学園これでも超進学校だしな。恭也には高校レベルはチョロいか』
「もちよー。俺はそれより、拓海のテストの結果が気になるんだけどー?」
『心配されるほど怠けてねぇよ。つか、成績落ちたら易々と帰省させてもらえねぇじゃん』

夜も更けた頃にかかってきた電話は、現在学園の寮にいる弟からだった。
二、三日の間隔を空けて必ず夜に電話してくる拓海は、その度とりとめのない話をしていく。今回はテスト勉強をしていたらしく間が空いたけど、それでも余裕だったのか俺の心配をし出す始末だ。優秀な弟を持って、俺は嬉しいやら誇らしいやら。

「だーね。明日は帰って来るんでしょー?何時くらい?」
『あー、朝一にすっかな。久々にアンと朝の散歩行くわ。朝飯食わねぇで帰るから、何か食わして』
「オッケー任せて。アキさんちょー楽しみにしてたよ。早起きするんだって九時には寝たもん」
『はは、小学生かよあいつ』

二人でクスクス笑って、それから少し話し、また明日ねと電話を切った。
枕元に携帯を放って、ベッドのど真ん中を陣取るアンの隣に転ぶ。

ーー俺が彼らと家族になって、数ヵ月が経った。
何をどうしたのか俺の戸籍は正式にアキさんの元へ養子縁組され、学園は自主退学の手続きをとった。しかしアキさんの勧めで今は高卒の資格を取るため目下勉強中だ。簡単だけど。

もぞりと寝返りを打つ犬らしくないアンは、何かの夢でも見ているのかピクピクと前足を揺らしている。
俺が使っているこの部屋は物置にするには広く、何故か置いてあったベッドもダブルサイズだった為アンが寝ても狭くはない。

てこでもゲージには入らねぇ!といつも主張するアンのお陰で、この部屋はもう俺とアンの二人用みたいになっていた。

「きょーやー、おきてるー…?」
「起きてるー。どしたの」

扉をノックする音と共に、アキさんがひょっこり顔を出す。
明日の為に寝入ってからまだ二時間程しか経っていないせいか、優しげな顔立ちがトロンと微睡んでいた。

「うん…病院から電話あった…」
「じゃあ今から行くのー?」
「ん…眠い…手術…人足りないんだって」
「そうなんだ。お医者さんってホント不規則だねー」

頻りに目を擦って眠気を飛ばそうとするアキさんが、こいこいと空いた手で手招いた。
これはあれか、お見送りしてほしいのか。

そう思った俺が素直にベッドから降りると、さすがに起きたのかアンもタシッとフローリングに降り立った。

「あれ、アンもお見送りしてくれるの?可愛い恭也とアンのお陰で俺頑張れる」
「はいはい。ほら、急ぐんじゃないのー?行かなきゃ」

扉横の壁に全体重を預けんばかりのアキさんを促し、二人と一匹で玄関へ向かう。
と、そこでアキさんはハッとし、間抜けな母音を口にした。

「やばい、俺何も持ってない」
「どんだけ寝惚けてんのー…鞄?俺取ってこよーか?」

右足を靴に突っ込んでしまっているアキさんに言うと、彼は情けなく眉をハの字にしたまま首を振った。

「うーん、見られちゃまずい書類が一杯あるからねぇ…仕方ない、自分で行くよ」
「お医者さんってホント大変なんだね」
「まぁね。ふふ、待ってて」

トボトボと来た道を戻る背中を見送った俺は、観葉植物の鉢に顔を突っ込み始めたアンを抱き上げた。

「もー、アン最近ヤンチャっ子だねー?アキさんお見送りするんだから、いー子にしてね」

わう。アンが小さく鳴く。この子はとても頭がいいらしく、こうして返事のタイミングできちんと鳴いたりしてみせるのだ。

「かーわい。拓海が帰って来るまでにアキさん帰ってきてくれるかなー?」
「わふ」
「そーだよね、わかんないよねー」

くりくりした目で見上げてくるアンは、また鳴いて勢い良く尻尾を振る。どうやら完全に眠気が覚めたらしい。
これは暫く寝てくれなさそうだなぁって苦笑していると、忘れ物を取りに行ったアキさんがもだもだと戻ってきた。

「もう忘れ物ないー?」
「多分。それじゃあ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、気を付けてねー」

出勤自体はいつも電車でしてるけど、今回は緊急だからか車を出すらしい。
アキさんは鞄と車の鍵を持って、名残惜しそうに玄関を出て行った。

「患者さんに休日はないもんねー…アン、俺たちも寝よっか?」

腕の中からまたワウンと返事。アンはそれからもがいてそこから降り立ち、タシタシと愛らしい足音を立てて廊下を戻っていく。

明日の朝はお腹を空かせた拓海にご飯を用意しなきゃならないから、俺も早く寝ないといけない。
アキさんが帰宅した時家が真っ暗なのは気が引けるけど、今回は起きて待ってる訳にもいかないだろう。寝坊したら拓海に笑われそうだし。

俺はのんびりとアンの後を追い、階段を上がっていった。

「…う?あ!こらアン!」

階段を上がって右手前が拓海の部屋で、その奥隣は俺の部屋だ。そしてその反対側、つまり左手の部屋がアキさんの部屋なんだけれど、アンはその部屋の隙間に鼻先を突っ込み、するりと入って行ってしまった。

「だめだって、アン出ておいで!」

アキさんは普段、自室にしっかりと鍵をかけている。個人情報の載ったファイルだとか、論文だとか、家族と言えど安易に見せられないものが多いからだ。
だから俺はおろか、拓海すら彼の部屋には入った事がないのだという。

けれどさっきのアキさんはかなりボケボケしていたから、うっかり鍵をかけ忘れた上にドアをきちんと閉め切らなかったようだ。

俺はアンが消えていった扉の前で一頻り狼狽え、何度も愛犬の名前を呼んだ。しかしアンは聞こえていないのか無視しているのか、一向に暗い隙間から顔を出してくれなかった。

「どーしよ…入っちゃダメ、だけど…もし大事な書類をアンが破いちゃったら、もっと大変だよね…?」

最近暴れん坊の頭角をメキメキ表し始めたアンの事だ。
万が一の嫌な想像をするのは容易い。

「ご、ごめんアキさん!俺何見ても忘れるからね!」

俺はここに居ない家主に目一杯謝り、腹を括って扉に手をかけた。
大丈夫。ここで見た個人情報はそっこー記憶から消去するし、むしろアン以外の何も触らず出て来てしっかり扉を閉める。それに、今アキさんは居ないのだから、俺の口一つ封じてしまえば入った事実はないも同然だ。

「お邪魔しまーす…」

半分ほど扉を開き、俺はアキさんの部屋に足を踏み入れた。
そしてカーテンの隙間から覗く月明かりと、俺の背後から差し込む廊下の明かりを頼りに部屋の隅にいたアンを見つけ、ホッと息を、吐いて。

「な…っ、に、これ…!」

ーー俺はこれでもかと目を見開き、その部屋の異常さに言葉を失った。

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