熱だけを遮断して光を取り込む窓ガラスのおかげで、リビングは明るいのに居心地がいい。

俺は朝買ってきた食器の値札をいかに綺麗に剥がすか、という使命に駈られ、慎重にディッシュプレートの裏を指で掻いていた。

「恭也、そろそろ行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい。アキさん気を付けてね」

洗い物を終えたアキさんは俺の返事にむっと唇を尖らせ、テーブルに向かう背に覆い被さってきた。

「だーかーらー、パパって呼んでってば」
「はーいダディ」
「ちがう!なんか違う!でも恭也可愛い許す」
「ありがとーアボジ」
「まだダディのがいいかなぁ」

アキさんは少し拗ねたように言って、被さっていた身体を起こす。
薄手のカーディガン姿の彼は、本日は休日で、待ちに待った息子を駅まで迎えに行く予定なのだ。

「すぐに帰って来るから、いい子にしてるんだよ」
「はーい」

クシャクシャと俺の頭を撫でて、アキさんは足取り軽くリビングを出て行った。
普段仕事に向かう時とは全然違う姿に、思わず笑ってしまう。

ーーアキさんに拾われた日から、一週間が経った。
あの夜、ここに居ると返した俺は、不思議な事に何の違和感もなく彼の家で過ごしている。

アキさんは当たり前に子供扱い(どちらかと言えばそれは低年齢相手な扱いだけど)するし、さっきみたいに父と呼べと言われるのも日常茶飯事だ。
俺は何だか恥ずかしくて、そのリクエストをのらりくらりとかわしているけれど。

(てゆーか、まだ三十路にもなってない人を、パパとは呼べないよねー…)

若すぎて罪悪感が半端ないから、冗談でも呼べやしない。
見た目だけならそれこそ成人式を終えてすぐくらいに見えるから、余計に。

そんなアキさんはお医者さんらしく、あまり家にいる事はない。それでも一日一回は絶対に帰宅して、一言だけでも俺と言葉を交わしてくれる。
まだ一週間しか一緒に過ごしていないからわからない事もたくさんあるけど、少なくとも俺はこの一週間、何にも煩う事なく穏やかな日々を過ごしていた。

(がっこ、どーなったんだろ…)

思い返せばどこか不機嫌そうだった副会長や、青ざめていた会長。可愛い後輩達は、今どうしているだろう。
俺が居なくなったと、学園から家に連絡がいってしまっただろうか。あの日の夜に携帯は充電切れを起こし、それから全く触っていないから知る術はなかった。

とは言え、知りたいとも思っていない。
だから浮かんだ疑問に、いつものように俺は頑丈な蓋を被せた。

生温いところに浸っていたいのだ。
お人形みたいになりたいと感情を激しく揺さぶられていた一週間前の俺には、呆気なくさよならした。穏やかに、子供扱いされながらここで過ごすのは、とてもとても心地が良かったから。

「さーて、豆でも挽こっかなー」

俺は綺麗になったプレートをシンクに置き、アキさんに教えてもらったように珈琲豆を挽く事にした。

なんと言っても、初めてアキさんの息子さんに会うのだ。
結局彼の息子が誰なのか、アキさんは「楽しみにしておいて」と教えてくれなかったけれど。

「俺の写る写真持っててー、俺の名前知っててー…同級生かなぁ?」

あまりクラスの中で親しい友人はいなかったが、あのアキさんの息子なら仲良くなりたい。突然俺がここに居たら驚かれるだろうから、俺の持てる限りのフレンドリーさを全面に出して口説く気でいる。

「ふふー。なーんか楽しー」

こんな風にワクワクするのは、久しい感覚だ。学園に居た時よりずっと人間らしい自分が、俺は嫌いじゃない。

願わくばずっと、こんな風に楽しい毎日が続きますように。

俺は香ばしい珈琲豆の香りに包まれながら、アキさん達が帰宅するまでひたすら楽しい妄想を繰り広げていた。

+++

それからあまり時間の経たぬ間に、玄関から物音が聞こえた。
ついで、二人分の話し声も耳に届く。

俺はソファの上で膝を抱えたままソワソワと、リビングの扉をじっと見つめていた。

そしてその明るい茶色の扉は開かれ、幸せそうなアキさんが顔を出す。

「ただいま。いい子にしてた?」
「うん、お帰りー!」
「はは、紹介するね。この子が俺の息子」

ピョンとクッションの上で跳ね背もたれにかじりついた俺を見て、アキさんはクスクスと笑う。
そして扉を開ききり、後ろにいた息子さんの手を引いた。

「…え」

す、と現れた人物を見て、俺はこれでもかってくらい目をかっぴらいた。

「…は!?」

その人物も足を踏み出したおかしな体勢で固まったまま、いつもは鋭い眼をまんまるく見張っている。

俺たちの中では一番背が高くて、喧嘩慣れした拳は傷がたくさんあるけど、議事録をまとめるのはとても早く正確だった。

見た目はどうしても不良っぽくてすごく怖いけど、彼は、似合わないタッパーが可愛かったり、弄られて怒るのが年相応で、それからそれから。

「嘘、どーゆー事?」
「嘘だろ、マジかよ!?」

そこに居たのはとても可愛い俺の後輩とーーその逞しい腕に抱かれた、ゴールデンレトリーバーの子犬だった。

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