特に会話もないまま辿り着いたのは、住宅街の中にある大きな一軒家だった。

立派な門構えの奥には広い庭があり、そのまた奥にクリーム色の屋根を乗せた家がある。門の隣にあるシャッターは、ガレージの入り口だろうか。

「さ、どうぞ」
「あ…はい」

極自然に中へ通され、俺は困惑しつつも従った。

あなたは誰?どうして俺の名前を知っていたの?何故、家にまで連れてきたの?

聞きたい事はあるが、言葉にはならない。
例えばこの人がもし危険人物だったとしても俺は男だし、少なくとも彼がいなければ学園に戻らなければならなかったから、不信感と感謝が相殺されてしまっているのだ。

それに、どうなろうといいや別に。とも思っていた。

「ごめんね、今日は掃除してないんだ」
「いえ…すごくきれい、ですよー…?」
「はは、そう?ありがとう」

男は嬉しそうに笑う。
見た感じ20代くらいなのに、この大きな家はとても不釣り合いに思えた。

俺は彼の出してくれたスリッパを有り難く借り、部屋に入っていく背を追う。
玄関から続く廊下にはいくつかの扉があり、突き当たりの扉右手には二階へ続く階段があった。

「広い…」
「そうかもしれないね。基本的には俺一人だから、余計ガランとしてる」

男が突き当たりの扉を開けると、そこはリビングダイニングのスペースらしい。
左手のカウンターキッチンから臨めるように、かなり広い空間が待ち構えていた。

「座って。時間が時間だしねぇ…カフェインは控えた方がいいかな。恭也は牛乳アレルギーある?」
「いえ、ないです」
「そう、なら待っててね」

俺をL字型のソファに座らせ、彼は鞄をダイニングテーブルに置いてキッチンに入った。

(…なんなんだろー…すごい、ふつーにここまで、来ちゃったけど…)

それにしても柔らかいソファだ。身体がどんどん沈んでいって、そのまま床に抜けるんじゃないかと妄想してしまう。
まるでモデルルームの一角みたいな部屋を見渡しながら、俺はそんな事をぼんやり考えていた。

「恭也?」
「え?はい」
「ふふ、緊張してる?」

いつの間に戻ってきたのか、男は両手に持ったマグカップの内一つを俺の前に置き、ニコニコと隣へ腰かけた。

「緊張…かなー…?」
「別に連れ込んで食っちゃおうなんて思ってないから、安心していいよ。…て言っても、この状況じゃ説得力ないねぇ」
「えと、はい…?」
「まぁ、一先ず温かい内に飲みなよ。落ち着くから」

男がのんびりとカップを口に運ぶのを見て、俺も湯気の立つそれを手に取った。
白い液体から、甘い香りが立ち上る。どうやら蜂蜜を垂らしたホットミルクらしい。

ほんのりと喉元を通りすぎる温かさについホッと息をつくと、彼はコトリとカップをテーブルに置いてソファに背を預けた。

「美味しい?」
「うん」
「そっか。…それにしても、君に危機感がないのはその死にそうな顔が原因なのかな?」

唐突な切り出しに瞬く。
男はふわ、と笑い、身体を起こして膝に肘をついた。

「駅員に言われてたじゃない。死にそうな顔してるって」
「聞いてたんですか?」
「まぁね。見た事ある子だなって、電車の中で思ってたから」
「…どこかで、お会いしましたか?」

そうだ。名前も顔も覚えはないが、彼は俺の名前を呼んだし、見覚えもあると言っている。それなら、単に俺が忘れているだけで面識があったのかもしれない。だとしたらかなり失礼だけど。

しかし彼は首を横に振り、申し訳なさそうに眉を下げた。

「いや、初めましてだよ。恭也を知っていたのは…。ごめん、その前に、手順を踏もうか」
「…?」
「自己紹介。まだだったろ?」

コクリと頷き、俺はカップを置いた。それから彼に向き直り、なるべく行儀よく居佇まいを正す。

「…先程は助けていただき、ありがとーございます。初めまして、志藤恭也と申します」
「どういたしまして。俺は瀬名暁彦。気軽にアキって呼んでくれたらいいよ、恭也」

言いながら差し出された手を軽く握る。男の人なのにスラリとした白い手は、びっくりするくらい綺麗だった。

「アキさんは…どうして、俺の事を?」
「息子が見せてくれた学校の写真に、君が映っていたんだよ。うちの子、帰ってきたら色んな話をしてくれるから、名前もその時にね」
「え…む、息子?…若い、のに?」

どう見ても二十代なアキさんからは想像出来ない単語だ。違和感しかない。
しかも、俺の写る写真を見たなら息子さんは高等部にいるという事になる。俺が狼狽えているのがわかったのか、アキさんは柔らかく苦笑を浮かべた。

「多分恭也が思う程は若くないよ。高校生の息子がいる年齢でないのは事実だけど…それに実際は、息子のような子、だからね」
「…?」
「いい意味で、息子だとは思ってないし」
「………?」

アキさんの言葉は、意味がよくわからない。
安易にへぇそうですか、という訳にもいかない気がして、俺はただ困惑していた。いい意味でってなんだろう。息子さんと折り合いが悪い…って意味ではなさそうなんだけど。

アキさんはそんな俺の葛藤に気付いたのか、深い意味はないよと笑う。
そして今度は心配そうに、じっと俺を見つめた。

「恭也は、どうしてあんなところに一人で居たの?荷物も持ってないって事は…もしかして抜け出してきたの?寮を」

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