名前を呼べば、面倒そうに振り返って俺を小突く指が好きだった。

いたいよー、と言えば、はいはいとおざなりに頭を撫でていく手のひらが好きだった。

おいしーよ、とお菓子を出せば、あ、と開けてくれる口が好きだった。

ねむいー、と喚けば、奥行けよ、と俺の背中を軽く蹴る足が好きだった。

またねー、と手を振れば、またねと返してくれてるみたいな背中が好きだった。

すきだよー、と笑えば、馬鹿じゃん、と細まる真っ黒の瞳が、好きだった。

それはもう、いつの事だったかわからないけど。
それでも確かに、俺は彼を好きだったんだ。

+++

「あれ、かいちょーしか居ないの」
「悪いか」
「んーん。ちょっと、こわいなーって」
「失礼な奴だなてめー」

生徒会室の扉を開けば、ポツンと会長が一人でデスクに座っていた。他の皆はまだ来てないらしい。
俺はプラプラと鞄を振りながら自分の席につく。今日こそは予算案を完成させるぞ!とヤル気満々で、電池切れだった電卓を新調したばかりなのだ。

「かいちょー」
「なんだ」
「みんなは?」
「知らね」

ぶすりと尖った唇。幻覚だけど。
偉そうだけど仕事も出来てかっこいー会長は、チラリと時計を見た。

「もう来るんじゃねーの。あいつらのクラス、いつも終わるの遅いし」

なんだかんだ言って質問に答えようとしてくれる会長は、見た目よりずっとずっと優しい。ぶっきらぼうだけど、生徒会に入って俺はそれに感動したのを覚えている。

「なあ恭也」
「なーに、かいちょ」
「お前最近さ、」

かいちょーが何かを言いかけたけど、その声は扉の開く音と共に消えていった。
ぱっと扉に顔を向け、俺はにまーと笑う。

「ふくかいちょー、お疲れ!」

授業の名残か眼鏡をかけたままの副会長が、怠そうに部屋へ入り眉を寄せる。
会長は口を閉ざし、何だか嫌そうに副会長を見ていた。

「須田、俺今日用事あるからパスな」
「またかよ。てめー仕事しろよ」
「来ただけいいだろ。そんなもん会計にでもやらせとけ」
「うんうん、俺出来るよー!」

会長の睨みもなんのその。涼しげな顔で部屋を横切った副会長は、自分のデスクにある書類を俺のデスクに放った。

「いい加減恭也にばっか押し付けんのやめろ。ずっとじゃねぇか」
「本人が了承してるのに問題ないだろ。最近須田口うるさい。なんならお前がやれば?」
「それはてめーに、」
「あーあーあー聞こえない。じゃ、俺人待たせてるから」
「待てって田所!おい!」

バラバラになった書類を慌ててまとめている間に、副会長は耳を押さえたまま部屋を出て行った。
その間早二分ほど。今日は昨日より長く顔を見れた気がして、舞い上がりそうだった。

「はぁ…恭也、てめーもあいつを甘やかし過ぎだ」
「いーの。俺もこれ出来るんだし、俺の分は夜すれば間に合うしー。ふくかいちょーは忙しーんだよ」

俺の仕事は夜、副会長の仕事は放課後。うまいサイクルで回せてるから、誰にも迷惑はかけてない。それに、あの人の役に立てるなら最高に嬉しいと思う。

にへにへ笑いながら身体を揺らしていると、会長は低い声で、怒ってるみたいな顔で言った。

「わかってんだろ」
「なにが?」
「あいつがずっと…いろんな奴と関係持ってるって。お前一人じゃないって」

言ってから一瞬だけ気まずそうに目を細めるから、俺は思わず笑ってしまった。
会長は優しいから、それを言う事で俺が悲しむって思ったのかもしれない。そんな事ないのに、優しい人は損だ。
それこそ俺に言わせれば、可哀想なのに。

「うん、知ってるよー。ふくかいちょーモテモテだもんね!」
「モテモテって…お前ら付き合ってんじゃねーのかよ」
「うん?うーん、五年程近くに置いてもらってるー。でもね、ふくかいちょーはそれでいーんだよ」
「…辛くねーのか。好きなんだろ」

そう訊きながら、会長は自分が辛そうな顔をしてみせた。
俺はどうして会長がそんな顔をするのかわからなくて、困ってしまう。

「辛くないよー。かいちょの方が辛そー。お腹空いた?」
「…あほ。言ってろ」
「ちなみに俺はねー、ふくかいちょーが大好きだよ!」

皆が言う。付き合ってるのに浮気されて悲しくないの?て。
怒らないの?喧嘩しないの?浮気やめてって言わないの?

正直耳にタコが出来そうだから、そろそろやめてほしいなぁなんて。

「仕方ないんだよー。ふくかいちょ、俺じゃ勃起しないもん。背がにょきにょき伸びちゃったしね!」
「…付き合ってんだよな?」
「違うよー、傍に置いてもらってんの」
「わかんねーよ…」

それきり会長は何も言わず、手元の書類にペンを走らせ始めた。
俺も同じように副会長の仕事を進めながら、ふふと笑う。

痛む胸は、五年前に置き去りにした。

欲しいものがあったんだ。それがもらえるなら、何を捨ててもよかった。

「なぁ恭也…お前さ」
「ふふーっ。なぁにかいちょー」
「田所と最後に話したの、いつだよ」
「二週間くらい前かなー」

コーヒー。はーい。そんな会話だった。

副会長は、俺を大多数の中に入れてくれた。
だから俺は、今でもあの日の約束を違える事なく生きてくのだ。

目が合わなくても話しかけられなくても、俺みたいな出来損ないには十分な厚待遇なのだ。彼は、俺の事をよく理解している。

「…あんまりだろ」

会長のアメジストみたいな深い色の瞳が、俺を向いたままどろりと変化した。
俺は、心の底から、哀れむようなその色が、苦手だった。

昼間、俺の知らない誰かと親しげに寄り添う副会長を見て、誰かが話していたのを思い出す。

「田所副会長、あの人と最近ずっといるよな」
「え、でも副会長、中学の時から会計様と付き合ってるんじゃないの?」
「そのはずだけど、それも噂じゃん?つっても、専ら遊ばれてるって聞くけど」
「会計様が?」
「そ。不憫だよなぁ。めちゃめちゃ尽くしてるらしいけど、あの副会長だもんな」

捨てたのだ。痛む心と共に、求める手のひらも。

(だから、そんな目で、俺を見ないで、頼むから、おねがいだから)

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