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「ちゃんと嬉しい……けど、なのに、俺は手離しで喜べねえんだ」
人並みに反抗期もあれば夜遊びと喧嘩にのめりこんだ時期もあったが、それでも惜しみない愛情を注いでくれた母の幸せを願っている。その思いは嘘じゃないのに、祝福より先に諒太との関係を危ぶんだ大雅は、まさしく悪だった。
「ただでさえ男同士で、その上、兄弟? ねえよ、世間に背中向けすぎだ。お前に……親不孝なことさせてる。謝っても謝りきれねえ」
「ま、待って大ちゃん……俺は大丈夫だよ、大ちゃんが内緒にしたいなら、ちゃんと隠せるから、だから……そんな風に責めないで」
顔を覆う手を諒太がそっと外す。覗きこんでくる澄んだ瞳は不安げに揺れていた。
今時珍しいほど素直に父を慕う品行方正な男に、なんという不実な言葉を吐かせてしまったのだろう。口にできない秘密を背負わせ、しなくていい覚悟をさせようとしている。
血飛沫のように噴き出す罪悪感は、これみよがしに大雅を糾弾していた。
「ごめん……ごめんな、諒太」
押しに弱くて寂しがり屋で、誰にでも優しい諒太が昔から心配だった。自分が彼を守るのだと使命感を抱いていた。
その純粋な友愛は成長と共に、驚くほど自然に恋愛感情へ姿を変えた。心臓が動くのと同じくらい、気づけば我が物顔で大雅の中にあったのだ。
だが幼馴染以上の関係を求めたのは、大雅の身勝手でしかない。俺がいればいいだろう、もう俺と付き合えよ、そんな傍若無人極まりない告白に迷いなく頷いた諒太は、やはり大雅のヒヨコだった。
「あの日、本当はわかってたんだ。ああ言えばお前は頷くって」
息をのんだ諒太が、遠慮がちに手を伸ばしてくる。恐る恐る大雅の肩に触れた指先は、いつものように頬を撫でてから後頭部を抱き寄せるのだろう。
「大ちゃん、……大ちゃん」
しかし大雅は肩から頬へと移動しかけた手を掴んで止めた。触れてもらえるのが嬉しくて制止したことがなかったせいか、諒太はビクッと固まる。
「何……?」
「もういいんだ。こういうことさせてるとき、ずっとごめんって思ってた」
「そ、そんなこと」
「けど……嬉しくてさ」
カミングアウトしてしまえば、諒太は容易く逃げ出せない。彼の体温と存在に味をしめた大雅は、小賢しい計算の元で今日に臨んだ。
だからきっと、バチが当たったのだろう。
「こんな目に合わせる日がくるって知ってたら、絶対好きだって言わなかったのに」
掴んだ手を解放してやると、諒太はじっと手の平を見下ろす。ポツリと落とされた声は唖然としていた。
「後悔、してるの……?」
「ああ、してる。俺が馬鹿なことしなかったら、お前に無理させることもなかった」
「無理……? 大ちゃんの気持ちは、どうなるの……」
「馬鹿お前、そんな優しいから俺みたいなのにつけこまれんだぞ」
大雅の顔色を窺いながら行うハグもキスも、結構な頻度で諒太が達さないまま終わるセックスの真意も、見て見ぬ振りをしていたツケがまわってきているのだろう。傍にいる内、いつか男の感情にも恋が芽生えてくれないかと、卑しさ丸出しで息を潜めていたのだから当然の報いだ。
とうとう一度も彼の声で奏でられる恋人への「好き」を聞けなかった大雅は、嘘の吐けない幼馴染が可愛くて、少し憎らしかった。
「取り返しがつかなくなる前でよかった」
「た、大ちゃん? 変だよ、それじゃあ、その言い方じゃあ、まるで……」
核心を避けたがるように、諒太が言葉を濁す。
大雅は切れ長のつり目を優しく細め、黒く艶のある恋人の頭へ手を置いた。
「ああ、……そういうこった」
言うだけ言って、撫でるだけ撫でて立ち上がる。幕引きも大雅の役目であるのに、どうしても「別れよう」の一言が口にできない。
どうしようもなくなって、逃げるように床へ脱ぎ捨てていたダウンジャケットを羽織る。部屋の鍵と携帯を手に取ると、背後から空虚で寂しそうな声が弱々しく大雅を呼んだ。
「大ちゃん……俺、どうしたらいい?」
約十年かけて形作られた恋愛感情が、この数分で消滅するはずがない。今まで通りでいい。別れるなんて嘘だ。隠し通してでも一緒にいてくれ――告げたい想いは喉元で音になりたがって暴れているのに、どれも大雅には言う資格がない。選び取らざるを得ない別れを、脳以外の、理屈が通じない部分はのた打ち回って拒絶していた。
「お、前は……どうしたい?」
いつもなんでも二人のことは大雅が決めてきたくせに、こんなときに選択を委ねるのは狡い。だが、今だけは彼お得意の「大ちゃんが決めて」が飛び出さないことを願った。
しかし勝手な祈りは、凍りついて砕け散る。
「大ちゃんが決めてほしい……言うこと聞くから……お願い」
大雅は歯を食い縛って、振り向きたがる己の弱さを踏みつけた。
「今までありがとな。これからは兄弟だ」
こんな台詞を告げるくらいなら血反吐を吐くほうがずっと楽なのに、大雅は別れのカードしか持っていなかった。この関係を貫き通したところで、到底諒太は幸せになれない。自分だけが幸福でいられる選択など、大雅の目には映らなかった。
「合鍵、ポスト入れといてくれ」
諒太からの返事はない。
大雅も口を閉ざしたまま、一人部屋を出た。
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