こっち向いてよディスティニー 1


 何度遠ざけたって巡り合うわ。あなたと私は、運命で結ばれているのだから――。

 殺風景なリビングの静けさを、テレビから流れる人気若手女優の涙声が切り裂いた。
間宮智樹は引き気味に、彼女の泣き腫らした目尻から転がり落ちる雫を見送る。
 心の中を漁ってありったけの勇気と自信を混ぜ合わせても、到底あんな台詞は口にできない。巷では感動の名シーンだと評判だが、涙腺を刺激されるどころかヒロインの傍若無人さに感心するばかりだ。自意識過剰な台詞には、寒気しかしない。

「冗談きつい……」
「どうした」

 独り言へ律儀に反応したのは、隣で映画を観ている佐古春馬だ。間宮は純愛に見せかけた独占欲を丸出しにする、ヒロインへの呆れを隠さない。

「俺はこんな台詞言われたら、重すぎてドン引きする。言われる機会ないけどさあ」
「試しに僕が言ってみるか?」

 一見、近寄りがたく冷ややかな佐古の風貌に、名と同じ「春」を彷彿とさせる温かな微笑みが浮かぶ。交際が二カ月半経った今でもそれを見慣れないのは、間宮が見ないよう努めているからだ。
 今日も目を逸らし、彼が借りて来た退屈な映画を観る振りに専念する。それでも佐古が眼鏡を押し上げる仕草を視界の端に捉えてしまう辺り、間宮の希望と願望の間には矛盾が生じていた。

「興味はあるけど、らしくないよ」
「ではやめておこう。この映画は若者に流行りだと聞いたが、君の好みではなかったか」
「映画より春馬さんが好みかな」
「……可愛いことを言う」

 今の今まで大人しく膝にあった佐古の手が、我が物顔で間宮の肩を抱き寄せた。されるまま寄りかかると、彼が着ている肌触りのいい濃紺のカーディガンが頬を受け止める。真冬の寒さが嘘かのように、温もった部屋は異常に心地がいい。その上、退屈な映画と男の優しい香りは間宮を眠りへと誘い欠伸が零れた。

「眠いなら寝ても構わない」
「うん……おやすみのキスは?」
「君もめげないな」

 乾いた大地に染み入る、恵の雨みたいな声だ。眠気が瞼を閉ざしていても、彼が時折見せる砂糖菓子に似た甘くクセになる笑みが脳裏に浮かぶ。

「交際が三カ月経ってからだ、と言っただろう。時間はたっぷりある。焦る必要はない」

 彼は今どき珍しいほど堅真面目だ。出会い方も始まりのきっかけも清くはないのに、「君を大切にしたい」と言って譲らず、手を繋いだのは交際からきっかり一週間後だった。間宮より九つ年上だが二十代であるのに、あまりの古風さに脱帽したのは記憶に新しい。

「婚約指輪の予算は給料三カ月分が相場って思ってそう……」
「違うのか?」
「さあ……キスしない理由が俺に魅力がないから、じゃないといいんだけど」

 不貞腐れ、男の首筋に顔を埋める。
 間宮の少し伸びた茶色い癖毛を撫で、佐古は吐息を漏らすように笑った。

「君はとても魅力的だ。僕はコロコロ変わる表情が特に……こら、聞いているか?」

 返事をすべきか悩んだが、バレバレの狸寝入りを決めこんだ。間宮には平気な顔ができるほどの自信も、続きを促せる太々しさもない。そして子守歌に似たリズムで肩を叩く手に甘え、くすぐったく気恥ずかしい現実から逃げる内、本当に眠ってしまった。
目覚めたのは赤みがかった濃いオレンジの夕陽が、大きな掃き出し窓からソファの足元までを染め上げた頃だった。

 肩にかけられたカーディガンを握り締め、いつの間にか枕になっていた男の膝へ顔を伏せる。動けずに眠ってしまった佐古を直視する資格が、間宮にはなかった。

 二カ月半前、自暴自棄になっていた間宮は生まれて初めて入ったゲイバーで彼を一夜限りのセックスに誘った。名前も知らない、顔が好みなだけの男に抱かれたかった。その馬鹿馬鹿しさがお粗末な心の傷を上書きしてくれたら、またいつもと同じ日常を過ごせると思っていた。
 それがどうして、キスもしないまま恋人として休日を過ごしているのか。考える度に、己の低俗さが恥ずかしくなる。

 間宮の即物的な誘い文句を、男は未だに告白だと勘違いしている。噛み合わなさにすぐ気づいたが、どうにも純粋すぎるニュアンスの取り違えを指摘できなかった。今思えば、この平穏を無意識に予感していたのかもしれない。だとしたら、のうのうと愛情を搾取する間宮は人でなしで間違いない。
 後悔は賞味期限を過ぎ、腹の中で腐りかけていた。

 肩に置かれたままの手が、寝ているにも拘わらずゆっくりと動いて間宮の頬を覆う。その瞬間、「日本中が泣いた」と謳う映画でピクリともしなかった涙腺から、今日まで懸命に誤魔化し続けてきた感情が零れ落ちた。

「……好きだよ」

 佐古が恋しくて堪らないのだ。認めてしまったからには、もう傍にいられない。
ゆっくり顔を上げる。テレビの液晶画面に表示されたありがちな映画タイトルは、喉から手が出るほど欲しがったそれを手離す愚かさを蔑んでいた。

「あるわけないんだ、運命なんて」

 心安らかな日々に固執する希望が、男の傍にいたいと喚く願望を踏みつけて黙らせた。

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