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「春馬さん……大丈夫?」
「……すまない」

 溜まった熱と煩悩を放ったせいか、今にも布団に突っ伏しそうな男の虚ろな目が間宮を捉えた。
 気怠い動きで腰を引かれると、中から体積を狭めた性器が抜ける。思わずブルリと震えた間宮を見下ろし、彼は辛うじて聞き取れるような小声を落とした。

「頭が……沸騰、するかと思った」
「気持ちよくて?」
「君が愛しいからに決まっている」

 全身全霊で間宮を慈しむ男は、少し微笑んで「塩辛いのは嫌いじゃない」と言い、目尻へ口づけてくる。
 間宮は唇を引き結んだまま、零れる前に吸い取られていく涙に混じった恋心が、男の体内に溶け出して消えない染みになることを望んだ。

 ***

 間宮も佐古も予定がない日曜日は、前夜に録画した映画を観るのが定番と化している。
 夏の盛りである八月は夕刻を迎えても明るく、ジリジリと暑い。しかし二十七度で保たれたリビングは動かなければ涼しく、そこかしこに生まれる陽炎とは無縁だった。
 間宮は液晶テレビへ向けていた目を擦り、大きな欠伸を零す。隣で同じように映画を観ていた佐古は、ふ、と笑んだ。

「眠いのか」
「ううん……違うはずなんだけど、なんか」
「なんか?」
「……この映画、退屈なんだよね」
「君の好みではないしな」

 今二人が観ている映画は、三年半前に流行した恋愛映画だ。当時もこうして並んで観賞し、眠気に負けてリタイアした。
 間宮は二度目の欠伸を噛み殺してから、過去を思い返して肩を震わせる。

「前も思ったけど……やっぱり台詞が強烈」
「何度でも巡り合う?」
「そうそう。私とあなたは、運命で結ばれているから」

 顔を見合わせ、同時に目を逸らして吹き出す。映画は相変わらずつまらないが、他愛ない話をして過ごせる時間の愛しさを知れるから嫌いにはなれない。
 佐古はおもむろに膝を叩き、間宮の視線を誘った。

「寝るなら来い」
「寝ないよ。もったいない」
「僕と過ごす時間が?」

 余裕綽綽にからかってくる男へ否定を返したいが、それでは嘘になってしまう。
 間宮は思案したけれど、うまい冗談が浮かばす正直に首肯した。

「ま、そういうこと」

 すると今の今まで機嫌よく笑っていた男が、口を尖らせて不満を露わにする。

「おかしい。矛盾している」
「なんで?」
「もっと僕の傍にいたいなら、さっさとあのアパートを引き払って越して来い。せっかくベッドをクイーンに変えたのに、いつまで僕に一人寝をさせるつもりだ。まさか、居候はよくて同棲は嫌だとでも?」

 隙あらば挟まれる同棲の誘いは、改めて恋人になってから二日と空けず続いている。
そろそろいいかと思っているのも事実だが、間宮は困り果てて苦笑した。

「嫌なわけないんだけど」
「では何故、頑なに断るんだ」
「なんか照れるじゃん」
「わかった。来週末から引っ越しの準備に取りかかる。取り急ぎ週明けに大家へ連絡しておけ。それから……」
「春馬さん?」

 立ち上がった佐古が、テレビ台の引き出しから茶封筒とペン、印鑑ケースを取って戻ってくる。そしてソファへ座ると同時に封筒を間宮へ差し出した。

「君と棲むことになったら渡そうと思っていた」
「これは?」
「開けてみろ」

 不思議がりつつ受け取り、中から一枚の紙を取り出す。三つ折りのそれを開いた間宮は、見慣れない形式に己の目を疑った。

「変だな……眼精疲労が悪化したっぽい。パソコンの見すぎかも」
「心配するな。正常だ」
「いやいや……これ、婚姻届けに見えるんだけど」
「そうだ。さあ書け」
「待って、何言ってん……はあ?」

 これほど現実味のない贈り物は初めてだ。
 見ればご丁寧に、「夫になる人」欄には佐古の、「妻になる人」欄には間宮の個人情報が書きこまれている。証人欄には佐古の身内らしき人物の署名捺印があり、空欄は妻が名を書く場所だけだった。

「ちょっと……落ち着こう。訊いていい?」
「ああ、なんでも」
「証人欄の二人の佐古さんは誰?」
「僕の父と兄だ」
「うーわ」

 ある意味予想通りではあるが、もはや目を剥くしかない。しかし青褪める間宮とは正反対に、佐古は平然としていた。

「そんな顔をするな。父も兄も、母も兄嫁も君のことを報告したら喜んでいた。兄は泣いていたぞ。よもや人間で、僕と将来を誓える存在がいるとは思わなかったそうだ」
「人間以外の何と付き合うんだよ……」
「精々、小鳥かハムスターが関の山だと言われたことならある」
「なんでそうなる」

 呆れ返る間宮は頭を抱え、ほぼ書く場所のない婚姻届けをしげしげと眺める。
日本の法律では同性婚が認められていないだの、住所地を治める自治体では同性パートナー制度も導入されていないだの、言いたいことは山ほどあるが言っても無駄だろう。
弁護士という職業柄か、彼は人に揚げ足を取らせることも、言われて考え直すような殊勝な性格もしていない。冗談抜きで、真剣にこの婚姻届けを用意しているのは明白だった。

「えーと、ちなみにこれ、書いた後は……」
「わかっている。何も本当に役所へ提出するわけじゃない。受理されないからな」

 少しばかり安堵した間宮は、しかし首を傾げる。


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