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 佐古と再会した日は冬真っ只中だった季節が、そろそろ初夏を迎える。早朝から所用で出かけていた間宮は、日の長くなった駅前をゆったりとしたスピードで歩いていた。

 田沼との一悶着があった夜から一週間と経たず、駅近のアパートに越して数カ月。今日漸く、目標だった母の墓参りができた。
 間宮が譲った保険金で、母の交際男性は墓を建て、今も弔ってくれていた。彼は葬式で会ってから連絡すらしなかった薄情な間宮を温かく歓迎し、母との思い出話を聞かせてくれた。とてもとても、大切そうに。

 思い出話を聞く内に、間宮は封じたつもりでいた願望を認めてやることができた。
 本当は、彼女に対しての感情がないわけじゃない。誰よりも、何よりも、息子として愛されたかった。叶わない願いがあまりに虚しく、母という存在から目を背けていただけなのだろう。たとえ愛情が返ってこなくとも、間宮は母を愛してよかったのだ。
 そう気づけたから、嫌われることに怯えて恋から逃げることはもうない。母と間宮はとてもよく似ているが、別人だと胸を張れる。

 佐古が間宮を一途に想い続けてくれたように、同じだけの愛情が返ってこずとも彼を愛し続けたい。失わない努力を重ねていきたい。
 清々しいほどに純粋で単純な感情を抱く間宮は、もう一つの目標を頭に浮かべながら自宅へ帰りついた。

「ただいまー」

 誰もいないワンルームへ律儀に声をかけ、郵便受けの蓋をスライドさせる。するとそこから、白い封筒が靴の上に重めの音を立てて落ちた。

「ん? ……あ」

 印字された文字を見た間宮は、すぐさま封筒を拾い上げる。記憶に新しい弁護士事務所名は佐古の務め先で、差出人は彼の名だ。
 あえて連絡もしないと決めた間宮と佐古は、メールのやり取りすらしていない。胸中は期待で逸り、深呼吸をしつつ部屋へ入る。
 ソファベッドに胡坐を掻いて封筒を開けると、三つ折りになった紙が数枚収まっていた。

「まだなんか手続きあったのかな」

 裁判は田沼との再会後すぐ、原告側の訴訟取り下げ申請という形で幕を下ろした。呆気ない結末は予想外だったが、田沼の真意はわからない。残る手続きは佐古が片づけ、弁護士費用と成功報酬も支払い済みの今、送られてきた書類が何か想像つかなかった。

 首を傾げつつ中身を取り出してみると、一枚目は形式的な送付状だったが、内容物の詳細を読んで驚く。
 下部には佐古の直筆で、手紙が田沼の代理人から送られてきたこと、双方の代理人が安全のため目を通していることが綴られていた。

 クリップで留められた便箋を開くと、「智樹へ」という書き出しの後、角張った字が間宮への謝罪を述べている。続くのは、彼の苦しい胸の内だ。
 一途に母を愛していたこと。その果てに突きつけられた裏切りと喪失は、人生を投げ打ちたくなるほど苦しかったこと。そんなとき、間宮の存在を思い出したこと。
 だが調査会社を使って居場所を突き止めたとき、間宮は当時の恋人と平和に暮らしていた。親の死を嘆く素振りもなく。
 田沼にとって恋人を失ったのは直近の不幸であったから、悲しみの温度差を受け入れられず苛立ちが生まれた。小さな火種は積年の不満や渡す宛てのない愛情を取りこみ、母の面影を濃く残す間宮への憎しみとして変化していったのだと言う。訴訟を起こす準備に没頭する自分を、田沼は「誰かを憎むエネルギーで辛うじて生きていた」と振り返っていた。
 それから何度も謝罪の言葉が続き、最後は間宮にとって嬉しい一言で締め括られた。

「そっか……よかった」

 ――本当は今でも、沙也加を愛しているよ。
 この世に二人も母を愛し続けてくれる人がいるなら、間宮も、母も救われる。消滅しない愛情の存在を証明できる。

「会いたいなあ……」

 思わず呟いて苦笑した。目標を達成するにはまだ数カ月かかるだろう。今感じている幸せを佐古と共有できるのは、もう少し先だ。
 我慢、と言い聞かせた間宮は、折り跡のついた便箋を丁寧に畳み直す。しかしそれを封筒に戻す際、変に重みの残る袋を不思議に思い逆さに向けた。

「……?」

 ストン、と足の間に落ちたのは、透明な袋に入った黒いカードだった。間宮はそれを手に取り、クシャリと顔を歪める。

「何、考えて……」

 声が震える。見慣れたマンション名と部屋番号が、手の中にあるものの正体を知らせた。
 これは、佐古の自宅の合鍵だ。数カ月前まで間宮が借りていたそれには、蛍光イエローの付箋と、「これはもう君のものだ」という一言が添えられている。

 恋しい。愛しい。会いたい――今すぐに。
 間宮の胸に去来する抑えきれない恋情が、皮膚を突き破って体外に飛び出さんとしている。躊躇う理性は合鍵へ込められた想いに沈黙し、呆気なく白旗を上げた。
 送りつけられたカードキーと、貴重品。
 それだけを手にした間宮は、佐古に会いたい一心で家を飛び出した。


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