「いらっしゃいませ、マルコさん」 「あぁ」 一ヶ月もすると、彼はうちの立派な常連さんだった。 毎日とは言わないものの、二、三日に一度は昼食を食べに訪れる。 夜は他の船員のひとたちと船内で過ごすことが多いらしい。 その時は弟分のエースさんや、本人は否定するけど仲の良いサッチさん、と言う方が騒いで大変だとか、船長である親父さんがそれを笑って見てるとか。 そんなことを知るくらいに私は彼の色んなことを聞いていた。 どんどん近付いていく距離。 どちらとも、惹かれていっていると、気付いてしまう距離。 「ヘレン」 「はい?」 「今日の夜、空いてるか」 「……」 来てしまったと、後悔した。 後悔して、同時に、喜びを感じた。 明確な形を避けてきたのに、それを理解してしまった所為で。 「……別に、無理にとは、言わねぇが」 言い淀む私に、彼はがしがしと頭を掻き、バツの悪そうな顔をしてそう付け加える。 どう応えるのが正解か、どうするのが、一番なのか。 「…あの子も、一緒で、良いですか」 「当たり前だよい」 彼がもし、私を欲しがってくれているなら、それは、その世界には、子供が居なければ意味がない。 母親としての私と、女としての私。 どれが、正解なの。 どうあれば、いいの。 「また、夜に」 でも、私はそれに頷くしか。 「この子の父親、海賊、なんです」 早めに店を閉めて、晩御飯は食べてきたという彼に、置いてある中でも一番高いお酒を出す。 子供はまだ起きていて、私の膝の上でにこにこと足をばたつかせている。 「まあ、生まれる前に、どこかの海で、どうしてか、死んでしまったんですけれど」 海賊なら良くあることだ、彼もわかるだろう。 「でも私は、待つことをしなかった」 付いて行こうとも、縋りつこうとも、しなかった。 「薄情な女です」 彼が死ぬことを、わかっていた。 わかっていて、送り出した。 「…俺は」 「……」 「俺たちは、死にはしねぇよい」 「ふふ、そうでしょうね」 白ひげ海賊団。海賊が求めるものに一番近い存在。 「ヘレン」 「ねぇ、マルコさん」 どこまでも私は、酷い女だ。 ただ、酷い母親には、なりたくなかった。 「私、この子はきっと、海賊になると思うんです」 「どうして、そう思う」 「この子は、海を見る時一番嬉しそうな顔をするの」 反射する水面。 香る潮風。 どれも、彼は、この子は、そして彼も、好きだった。 「ヘレンは、」 「…私?」 「お前は、どうなんだよい」 「海賊を?」 「いや、海を」 「好きですよ」 全てを奪っていくに違いない海。 それでも焦がれるのは、きっと、私の好きなひとたちが皆、海が好きだから。 「私は船に乗ったことがないけれど、きっと、素敵な海が見れる」 「だったら、」 「それ以上は言わないで、マルコさん」 こくり、こくりと子供が頭を揺らす。 ああ、もうこんな時間だ。 「寝かせてきます」 住居の二階へと繋がる会談へと向かう。 これで彼が帰ったら、もう二度と会うことはない。 そして彼がここに残っていたら。 後戻りも、出来ない。 ← → |