「ゴーシュ…」
眠っているゴーシュを見つめながら、彼の名前を小さく呟く。
あれから、私はラグにお願いしてゴーシュの眠っている部屋まで連れて来てもらったのだ。そして、今はゴーシュと二人きり…。
「助かったんだよね…?」
青白いゴーシュの顔を見ていたら、やっぱり不安で。私は彼の頬にそっと触れた。その指先に感じるぬくもりは、彼が確かに生きている事を教えてくれる。
「よかった…」
溢れてくる涙を袖で拭ってから、ゴーシュの左胸に耳をくっつけた。とくん、とくんと規則的に聞こえる心音が、私のこころを落ち着かせていく。
しばらく目を瞑って心音を聞いていたら、不意にガチャリと扉の開く音が聞こえた。それとほぼ同時に声がかけられる。
「リーシャ。サブリナおばさんが、食事を用意したから食べにおいでだって」
慌てて体を起こして振り返ると、ラグが部屋の入り口で立っていた。
「うん、今行くからラグは先に行っててくれる?」
「分かったよ」
私はラグが先に行ったのを見届けて、未だに眠り続けるゴーシュへと視線を移した。
「ちょっと食べに行ってくるね」
声をかけた後、ゴーシュにそっとキスをする。おとぎ話なら、これで目を覚ますのに。そう思う自分が滑稽で自嘲の笑みが零れる。
「リーシャ、早くー!」
「はーい」
ラグに急かされて、私は慌てて部屋を出ていくのだった。
サブリナさんのご飯を食べてすっかり回復した私は、ゴーシュの看病をする事にした。でも…。
「リーシャは病み上がりなんだから、無理しない方がいいよ」
「ラグこそ、私の看病もしてくれたんだから、ゴーシュの看病は私に任せて?」
私とラグのどちらが、ゴーシュの看病をするかで揉めていたのだ。お互いに譲らない中、決着をつけたのはサブリナさんの一声だった。
「何言ってんだい。嬢ちゃんには別の仕事があるんだよ。看病はラグに任せて、兄ちゃんの破れた服を直してあげな」
目から鱗の提案に、私は素直に頷いた。そっか、ゴーシュの制服はあの時に破れちゃったんだっけ。
ゴーシュの看病をしているラグのかたわらで、私が破れた制服を繕い直すという作業を続けて、まるっと二日が過ぎた。
ラグは今までの疲れが出たのか、ベッドの脇に頭を乗せて眠っている。私はというと、やっと破れた部分を全部繕い直した所だった。ちなみに、制服に染み込んだ血はサブリナさんがきれいに落としてくれたんだよ。すごいよね、サブリナさん。
ゴーンゴーン…。
鐘の音が聞こえる。このキャンベル・リートゥスという港町は、毎日決まった刻になると鐘が鳴らされる習慣があるそうだ。ユウサリ中央にはない習慣だから、初めて知った時はとても驚いた。今はだいぶ慣れてきて、意外に便利だなーと思う。
「シルベット…」
「ゴーシュ、おはよう」
妹の名前を呼びながら目を覚ましたゴーシュに、私は笑顔で声をかける。やっとゴーシュが目を覚ましてくれたー!
「リーシャ?ラグ?」
ゴーシュは不思議そうな顔をしながら起き上がって、にこにこ笑う私と眠っているラグを交互に見比べる。
「やっと目覚めたようだね」
いつの間に入って来たのか、サブリナさんが声をかけてきた。
「あの、ここは?」
「キャンベルの港町だよ」
「え、それじゃあ…」
サブリナさんの答えを聞いたゴーシュが驚いた顔してこちらを見たので、私はうんと頷く。
「そうさ。ここにいる嬢ちゃんが何十キールも、あんたを担いで歩いてきたんだ。あんたは嬢ちゃんのおかげで…」
「あの!あなたはサブリナ・メリーさん?」
「ああ」
話を途中で遮られたサブリナさんは、怪訝そうに肯定した。
「そうですか。ではメリーさん、こちらに」
「ゴーシュ?」
言いながら、鞄をがさごそと探すゴーシュの意図がよく分からなかった。
「まず、受け取りにハンコかサインをお願いします」
「………」
にっこりと笑ったゴーシュが、受取用紙を片手に言い放った言葉。確かに、テガミバチとしては正しい台詞なのかもしれない。でも、助けた人からすれば、いくら何でもあんまりな気がするもので…。
「あの、メリーさん?」
不思議そうな顔したゴーシュが、ぶるぶると震えるサブリナさんに声をかける。
「とっととここから出て行きな!」
すると、サブリナさんはゴーシュを家の外まで追い出してしまった。おそらく、堪忍袋の緒が切れたんだろう。あまり人の事をとやかく言えない私だけど、お礼の一言は必要だと思うし。
「大丈夫!?」
なんて考えながらも、私は慌てて追いかけて、尻餅をつく形になったゴーシュへと駆け寄る。
「何がまずハンコだよ!?こころのない男だね!まずは三日三晩あんたを看病したラグと、二日間寝ずにあんたの破れた制服を繕い直した嬢ちゃんに礼を言うのが先だろ!?これだから都会の人間は好かないんだよ!」
「サブリナおばさん、あの…」
「あんたは黙っときな!とっとユウサリでもアカツキでも帰れ、このバカテガミバチ!」
烈火のごとく怒るサブリナさんにラグが話かけたものの、彼女はぴしゃりとはねのける。それから、受取用紙と私の鞄をこちらへ放り出した後、バタン!と勢いよく玄関の扉を閉めてしまった。
「ゴーシュ、怪我はもう大丈夫なの?」
呆然としているゴーシュへ声をかける。まだ病み上がりだから、体調が心配だ。
「え、ええ。もう大丈夫です、リーシャ。すみません、迷惑かけて…」
はっとしたゴーシュは申し訳なさそうに謝った。見た感じ、顔色もよさそうだし、もう大丈夫かな。そう思ったら、自然と顔が綻んでいくのが自分でもよく分かった。
「何言ってるの。私達、夫婦でしょ?助け合って支えあって生きていくんだから、細かい事は気にしないの!ね?」
「リーシャ…。ありがとうございます」
嬉しそうなゴーシュの笑顔。私は抱きつきたい気持ちを抑えて、繕い直した制服をはいと差し出した。
「それよりも、早く服を着た方がいいよ。風邪引いたら困るしね」
「そうですね」
私から制服を受け取って手早く着ていくゴーシュを横目に、落ちていた受取用紙と自分の鞄を拾っておく。そして、受取用紙を確認すると、しっかりハンコが押してあって驚いた。あの短時間でハンコまで押すとは恐るべし、サブリナ・メリーさん。
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2010.12.27 up