その日の配達が終わって、私は今日もゴーシュと一緒にハチノスの廊下を歩いていた。
「おい、聞いたか?Dr.サンダーランドJr.が、マナの病室に乗り込んでったそうだぞ」
「聞いた聞いた。役に立たないなら切り刻んでやるって怒鳴りつけたんだろ」
「ったく、あの人らしいよ」
不意に聞こえてきた会話に、ゴーシュの足が止まる。
「ゴーシュ?」
「あの、ちょっと伺いたいのですが…」
私が声をかけても返事をせずに、彼は目の前の白衣を着た人達の方へと歩いて行った。
そして、私達は火災で焼けたマナの研究室にやってきた。
「やっぱりここでしたか」
ゴーシュが研究室に足を踏み入れながら、博士に声をかける。私もそれに続いて、中へと入っていく。
「スエード、フィゼル…」
博士が驚いたように、こちらを振り向いて立ち上がった。
「あなたの部下に聞きました。何の実績もなく、面接試験で落ちそうになったマナを、無理を言って合格させたのは、博士だったそうですね」
「余計な事を…」
ぼやく博士に、ゴーシュはさらに言葉を続けた。
「本当は彼女に期待していたんですね」
「とんだ見込み違いだったがな」
博士はそう言いながら、手に持っていたノートを閉じて机の上に置く。
「やはり、彼女の嗅覚ですか?」
「もちろんそれもある。だが、あいつは科学者にとって最も大事な資質を持っていた」
ゆっくりと窓際へ歩いて行き、博士は空を見上げた。
「大事な資質?」
ゴーシュが聞き返した。私も同じ思いで、博士の後ろ姿をじっと見つめる。
「好奇心だ」
「好奇心?」
思わぬ事を言われて、今度は私が聞き返した。科学者って、好奇心が必要なの?
「あいつは人一倍、好奇心の強い奴だった。この部屋に一人で閉じこもって、一日中研究に没頭した。あいつを見ていると、私を見るようだった」
「だから人一倍、彼女の事を…」
「気にかけていた」
私はゴーシュの言葉の続きを口にする。もっと伸びてほしいから、博士はマナにきつく当たっていたんだね。
「あいつには、嗅覚という天性の才能が残っている。それなのに…」
「もう一度、彼女を説得してみてはどうですか?」
「無駄だよ。私の言葉に素直に耳を貸すはずはない」
ゴーシュの提案に対して、博士はあきらめたように答えた。マナは博士の思いに気づいてないんだよね…。
「でも、彼女の可能性を信じてるのはあなただけです」
ゴーシュが腕を伸ばし、焦げかけたノートを手に取った。
「博士、あなた以外彼女を救える人はいません」
ゴーシュのまっすぐな眼差しに、博士は居心地悪そうにしていたけど、急にしゃがみこんで何かを拾った。
「博士?」
「どうかしたんですか?」
「そうか、あれだ…!」
ゴーシュや私の問いかけも聞こえてないのか、博士は何かをぶつぶつと言った後、急に走って研究室から出て行ってしまう。
「あ、博士!?」
驚いたように声をかけたゴーシュだったけど、もう博士の姿はどこにもなかった。
「行っちゃったね、博士…」
博士の出て行った方を見ながら、私はゴーシュに寄り添う。
「そうですね。リーシャ、今日はもう帰りましょう」
「いいの?」
ノートを机に戻したゴーシュの言葉に、私は確認を取った。彼の事だから、てっきり博士を追いかけて行くと思ったのに。
「ええ。きっと、博士が彼女を救うきっかけを見つけたんだと思います。僕達が邪魔してはいけません。さあ、帰りますよ」
「はーい」
差し出された手をぎゅっと握り、私はゴーシュと一緒に帰るのだった。
→
2010.09.20 up