「そんなところにいたら、綺麗な着物が汚れるよ」
おいで、と差し出された白く細い手に、彼女は自然に己の手を重ねていた。握られたことで、存外自分の手が冷え切っていたことに初めて気がついた。対して、白拍子の手はあたたかい。
吸い取ってしまうかのように、白拍子の体温が彼女の手に移る。ここに座って、と御座の敷かれた岩に腰を下ろしたときには、同じくらいの体温になっていた。
「こんな場所に誰かが来るとは思わなかった。どうしてここへ?」
「み、道に、迷って」
「道に? こんな遅くに出歩くからだよ」
呆れ半分に溜息を吐いた白拍子は、被っていた烏帽子を取ると横に退けた。容貌が明らかになるが、ますます性別がわからなくなってしまう。
「民家なら確か、ここを下ればすぐのところにあったよ。後で案内してあげる」
「お願い…します。すみません…。あ、あの、すごく、綺麗でした」
白拍子の袖を掴み、彼女は言った。何度か目を瞬かせた白拍子は、やがてこらえきれなくなったのかふきだして堰を切ったように笑い出した。
「どうして笑うんですか!? 私はあなたの舞いを見て…!」
「あぁ、うん、ごめん。あまりにも急に言われたものだから」
笑い上戸なのか、白拍子は腹を抱えて少しの間細い肩を震わせていた。さすがに失礼だろうと頬を膨らませた彼女を見た白拍子は、胸の辺りを落ち着かせるために何度か叩いて居住まいを正す。
「久しぶりにこんなに笑かして貰った。ごめん、気を悪くした?」
「…私はただ、舞いの感想を言っただけだったのに。笑われるなんて思いませんでした」
「でも感想は素直に嬉しかったよ、ありがとう。ひとりで練習してると、観てる人がどう思ってるかなんてわからなかったから…よかった」
蝙蝠で手を打ち、白拍子は先ほどとはまた違った雰囲気で笑った。
「あなたは誰? どうしてここで舞っていたの?」
「俺? 俺の名は緋桜。昨日ここいらへ流れ着いた遊戯団の舞い手だよ」
変わる声色。その声は、どうきいても女のものではなかった。耳に馴染む声であるのは変わらないが、高さが違う。最初の歌声と、話していた声とは違っていた。
目を見開いた彼女は、勢いよく立ち上がって緋桜と名乗った白拍子を見つめる。
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