安常処順
 

対する葵と呼ばれた青年も少年と同じように昔を思い出していたのか、その目元はどこか穏やかである。
だが、葵は不意に口元を左手で覆った。
「私はつい昨日の事のように思えますがね」
彼の声音は普段通りである。
もちろん少年から見える表情もいつもと別段変わった様子はない。
しかし青年が左手で口元を覆う。
この行動の意味するところを知る少年はどこか慌てたように葵に体ごと向き直った。
「ちょっ何笑ってるんだよ!俺あの時何かした!」
そう、葵が左手で口元を覆う。
それは知る者ぞ知る葵の笑いをこらえる時の癖であった。
もちろん葵と付き合いの長い昌暁もその癖は十分に知っていた。
だからこそ慌てたのである。
昌暁と葵は昔を懐かしんでいた。
おそらく葵が笑いをこらえている理由は昌暁が青年と出会った頃、つまりまだ幼かったころに何か彼にとって面白いことを己がしてしまった可能性が十分に高かった為であろうから。
そしてなによりも葵という青年は普段からその表情に笑みを浮かべてはいるが勿論心から笑みを浮かべているわけではない。
あれは一種の仮面である。
己の本心を誰にも不意に見られることのないように昌暁が想像もできない程ずっと昔からかぶり続けてきたであろう仮面だ。
十年近い歳月を共にいる昌暁にそう思わせる程に青年は表情が表に出ることというのは少ない。
彼が笑うことというのは本当に稀なことなのだ。
その彼が笑っている。
しかも昌暁の幼いころのことで。
十年前といえば昌暁は五歳である。
そんな幼いころのことなどなんとなくは覚えていても、しっかり覚えている者というのは少ないであろう。
己の知らないところで己の幼い時の忘れてしまっている失敗談などを誰かに話されてしまっては正直敵わない。
「いいえ、特にこれと言っては」
しかし昌暁の想い等当然知る由もない青年は口元の手はそのままに澄ました表情で答える。
「じゃぁなんで笑ってるんだよ!気になるじゃんか!」
「些細なことを気にしていては大きくなれませんよ」
青年の言葉にさらに憤る昌暁に葵は止めとばかりに言った。
昌暁の身長は葵の胸の下あたりだ。
だがしかしそれは年齢の差も大きいだろう。
昌暁は今が成長期。
つまりこれからいくらでも伸びるのだ。
それこそいずれ青年の身長を超すこともあり得るだろう。
あくまでも可能性の一種ではあるが。
「俺はこれから伸びるんです!!」
昌暁もそのことは十分に理解しているのか、青年にはっきりとそう告げる。
だがその眼差しが嫌に歪んでいるのは青年の身長を追い越せる自信がないからであろう。
青年は愉快そうな表情を今度は隠すことなく口元に笑みを浮かべる。
「はいはい。ほら着きましたよ」
青年の目の前には一軒のあばら家。
そのあばら家こそが彼らの目的地であり、昌暁の住居である。
どうやら話に夢中になっている間に着いていたようであった。



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