安常処順
 

その場に満ちる静寂を壊すかのように不意に響く音。
それは青年の目の前にある大きな屋敷から聞こえた。
おそらくは誰かが出てきたのであろう。
そしてそれは青年が待っていた少年その人であった。
少年は青年に気付く様子はなく、一人腕を上げで伸びをしていた。
通常、貴族と呼ばれる者たちはこのような時間まで仕事をしていることというのは少ない。
おそらくは誰かに追加で仕事を頼まれ断り切れなかったのだろう。
青年はそのままでは気付かずに去ってしまいそうな少年にそっと近寄り声をかけた。
「お疲れ様です」
「おわ!いつからいたんだよ」
青年は特に少年を驚かせるつもりはなかった。
しかし薄暗い道端で急に背後から声をかけられるというのは青年が考えるよりも少年に恐怖心を与えてしまったようであったようで、少年、昌暁は右手を胸に当てながら青年を凝視していた。
その瞳は明らかに青年の存在を非難していたが、青年はあえてその点には触れることなく笑みを浮かべた。
「そろそろ終わるかと思いまして」
その答えは直接的には昌暁の問の答えではない。
だが、よくよく考えてみればその答えは「終わる時間を見計らって来た」とも取れる。
そしてその答えから青年は昌暁が出てくる時間を知っていたのであろう。
通常ではそのようなことはありえない。
だが、青年にとってその程度のことを知るのは簡単なことなのだと昌暁は知っていた。
だからこそ少年はその後に続くであろう「迎えに来た」という言葉に対する答えを返す。
「別に一人で帰れるんだけど」
そう言いながらどこか恨めしそうに青年を見る昌暁だが、その両肩は落ち、どこか諦めたような雰囲気を纏っていた。
しかし青年は昌暁のあからさまな様子を一切気にした様子はない。
おそらく彼にとって昌暁のこの様は日常茶飯事であったのであろう。
「京の夜は物騒ですからね。大事な主になにかあっては大変ですから」
「主って…」
「一応表面上の私の立場は家人ですから」
青年は昌暁の不満を軽くかわすとそのまま歩き始めた。
彼の歩き始めた方向は昌暁の家のある方向。
「そうだけどさー。まぁ本人がいいならいいか」
昌暁は何を言っても仕方がないと無理やり自分に言い聞かせるようにそう呟くと、先に歩き始めてしまった青年を追うようにゆっくりと足を動かした。
昌暁が歩き始めたことに気付いたのか青年は昌暁を一瞬だけ見ると空を見上げた。
「そうですよ。それに今日は月が綺麗ですから。気分もいいんです」
青年の見つめる先には美しく輝く月。
今夜は雲もなく、月だけではなく美しく輝きを放つ星々も沢山見ることができる。
しかし、その星々の中でも美しい円形を放つ月の美しさは素晴らしいものである。
まるでそこだけどこか別世界であるかのようにも見えてくる。
「そういや葵と始めてあったのもこんな日だったよな」
昌暁の瞳はそう呟くように言いながらも月から逸らされることはない。
「もうあれから十年近く立つんだよなー。懐かしいな」
そう語る少年の瞳はどこか昔を懐かしむかのようにうっすらと細められた。



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