序
―必ず、まもるよ。
優しい声音が、耳朶を打つ。
―必ず俺が、守る。
逆光で、顔は見えない。
だけれども、どうしてかその表情が柔らかく微笑んでいると思った。
―芹(せり)・・。
そして、その瞳は暖かな、金色をしているのだ。
一:其の姫の名は
「・・・・・。」
暗闇の中、颯灯芹(そうひ せり)は目を開けた。
(―随分と、昔の夢を見た。)
はあ、と唇からため息が零れる。
あれは、いくつくらいの時だろうか?七つくらいだったような気がする。
むくり、と身を起こし辺りを見渡した。灯りのない室内は暗く、妻戸からぼんやりと日が射している。
(―まもなく、夜明けか。)
そのまま完全に起き上がると、そっと手を伸ばして妻戸を開ける。
籠った空気を払うように夏のからりとした朝の風が頬を撫でた。
はらり、と見事な黒髪が風に揺れる。
てん、と軽い身のこなしで簀(すのこ)から庭に裸足で降り、ぺたぺたと地面を歩いて庭を自由気ままに散策する。
普通ならはしたないと咎められるが、その心配は芹にはいらない。
昨夜の雨で地面はしっとりと湿り、草木は透明な雫をまとっている。
そっと庭の池の前まで来ると、膝を折り水面に触れた。
波紋が起こり、消えた後にはっきりと映る、紅い――双眸。
ここは、人気も疎らで寂れた邸宅が目立つ場所。
そこにひっそりと、徒人にも力ある者にも、妖にも見えない様に気が付かれない様に、術が施された小さな邸があった。
そこが芹の暮らしている場所であり、芹以外の人間はいない。
十年前、本宅から一人ここへ移され、以来誰も来ていないのだから。
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