黄昏のむこう側 | ナノ
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今朝から教え子の雪村の様子がおかしい。
いや昨夜あたりからか……とにかく食欲が急に落ちて元気もなく、とても心配だ。

雪村は東京から北海道に疎開してきた少年で、白恋町にある国民学校で見習い教師をしていた吹雪士郎と、そこで出会った。

そして、終戦の年。厳しい冬が近づく前に、雪村は吹雪とともに町を出た。
もともと天涯孤独で身軽だった吹雪が、疎開してきた生徒たちを連れて本土へ渡ったからだ。
目的は一つ。彼らを肉親や縁者のもとへと送り届けるためだった。

旅を続けながら、子どもたちは一人ふたりと帰るべき場所へと戻っていったのだが、終戦から丸一年経った今も、雪村だけは吹雪とともにいた。

東京の彼の実家は戦火で跡形もなく、肉親も見つからなかったからだ。
でも吹雪はあきらめずに手がかりを探した。
そうしてたどり着いたこの軍港の町。
雪村の父がそこから出征した記録があり、少なくとも死亡手続きがされていないという事実が、二人をそこに留まらせていた。

雪村の父が引き揚げてくるのを、あてもなく待つ暮らし――――
”家族を待つ“ということ自体が、荒んだ生活の中で生きる意味をもたせる大事な営みであることを、吹雪は知っていた。

だが、ここでの食糧事情は戦時中の北海道より厳しい。
少しずつ日々の糧と交換した手持ちの荷物が消えていき………昨日はとうとう換える物がなくなって、農家に拝みたおして労働と引き換えに薩摩芋を手に入れた。

嬉々として持ち帰って粥にしたのだが………肝心の雪村は力ない視線を一瞬寄越しただけで、首を横に振るばかりだ。
「俺はいいよ。もう先生が食べて」と。

食べなきゃダメだよ、と匙で潰して呑み込ませようとすると、今度は真顔で信じられない言葉を寄越す。

「もういいよ。俺、死にたいんだ………そしたら先生、こんなとこ抜け出して故郷に帰れる」

吹雪は言葉を失った。
彼は自分を“お荷物”だと思っている――――?
違う。むしろ僕は彼の存在に助けられているのに――――

その晩、吹雪は眠れなかった。
雪村のことを誰かに相談したくても、この界隈の闇医者では話にならない。
変な薬を渡されて中毒症状から廃人になったという話すら珍しくないからだ。


翌朝。


夜が明けても雪村は目を閉じたまま、息も小さく唇も肌もカラカラに乾いていて。とうにしゃべることさえなくなっている。
いたたまれなくなって外へ飛び出した吹雪は、そのままあてもなく徘徊し、いつの間にか場違いな界隈に足を踏み入れていた―――――


そこは進駐軍の溜まり場となっている店だった。

居酒屋なのは表向き、酒臭く薄暗い店内で昼間からさかった兵士と商売女が絡み合ういかがわしい場所だ。
ここには堕落の危険もあると同時に、高望みを叶える“モノ"にも手が届く場所かもしれない。
“情報”の一つだっていいから、雪村を助ける希望を見つけたくて―――――さまよう吹雪に、そこら中から巣にかかった蝶に伸びる蜘蛛のような視線が絡んでくる。

「Hey! そこの可愛コちゃん」

「…………」

吹雪は一段と大きな呼び声に足をゆるめた。何かを得るための価値が自分にあるのなら、差し出す覚悟もあった。

「君だよ。ふわふわの子猫ちゃん」
いかつい影に行く手を塞がれ、ぎょっとして立ち止まる吹雪の耳元で、酒臭い息が囁く。
「アンタ……いくらだい?」

吹雪はカタコトの英語と身ぶりで「お金はいらない」と答えた。

ガタイはいいが吹雪と変わらない年頃にもみえる海兵は、不思議そうに首を傾げる。
「へぇ……じゃ何が欲しいんだい?」
兵は笑顔だが、スイーツを味見するような視線が吹雪を上から下まで舐めていく。余程性欲が溜まっているようだった。

「助けが……欲しいんだ。腕のよいドクターの……」

ダメ元の交渉。でも軍のツテならいい医師がいるのではないかと思ったのだ。

「ドクターだと?」
海兵はおどけたしかめっ面をして「そりゃ無理だ。今俺が一番会いたくない奴だからな」と肩をすくめる。

驚いた……………脈はあるんだ。

「わかった。じゃあ、他を当たるよ」

吹雪はわざとそっぽを向いた。

「えぇ……おい、待てよ」
海兵は肩を掴んで向き直らせ、まじまじと顔を覗き込みながら交渉に乗ってくる。
「俺は会いたくないと言っただけだろ?…………確実な“捕まえ方”なら教えてやれるぜ?」

「え………本当に?」

「ああ、本当さ。そいつは俺の部隊のドクターで、若くて尖ってるが見立てと腕はいい」

「………………」

「どうだい?アンタの可愛いお口で気持ちよくさせてくれるのと引き換えに………」

前のめりの海兵の荒い息がかかる。
向こうにとって淫らな行為が餌なら、こっちにとってもドクターが餌だ。

目の前に餌をつりあった状況で、感覚が麻痺していたのかもしれない。

「…………いいよ。一回………だけなら………」

無表情で頷く吹雪を前に、海兵はギラリと顔を輝かせた。

「よし!そうと決まれば裏へ、早く……」

「………ドクターには今日………会えるかな?急な用事なんだけど」

「あ〜あ簡単だとも。何なら俺も急いでる。奴は毎日ここらを見回ってるし、早くしねぇと……」

海兵の手が踏み留まろうとする吹雪の腕を掴む。

「………っ、そのひとの名前は?」

「名前はゴー…………おっとそれは後だ。一発済んだご褒美に、だろ?」

吹雪はしかたなく頷いて歩きだした。

こうみえて腕力や脚力には自信がある吹雪だ。

外なら好都合……名前とか必要な情報を引き出してたら、この鈍そうな男を捻り潰して逃げる手もある、と考えながら。


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