一途な恋の行方


「名前さん」
「鬼灯様」

言葉が重なりどきりとする。相手が何を言おうとしているかなど、こうも期待と不安が混ざればわからなくなる。世間話か、もっと重要なことか。期待したってどうせ今までと同じかもしれない。不安から口を噤んでしまった名前を見て、鬼灯は小さく息を吐いた。

「今日は楽しめましたか」
「え……あ、はい!楽しかったです」
「それならよかった」

そんなことだと思った、と名前は愛想笑いで乗り切る。鬼灯は名前の心の中を覗くように言葉を落とした。

「あなたの言いたいこと、代わりに言ってあげましょうか」

そう言われて名前は自分の中の時間が止まったような感覚がした。まだその想いがあることに、きっと気づいているのだとは感じていた。気づいた上で鬼灯は自分と接してくれているのだと安心して、彼を頼りきっていた。
その言葉が出たということは、何かしら今の関係が崩れるということ。名前は口を開けるが言葉は出なかった。見透かされて、すべてお見通しで、そんな状況で告白してフラれるなど名前には耐えられない。けれど、自分の感情を説明されてその上断られるなど、さらに恥ずかしいことだ。
少しだけ、ほんの少し期待していた心も奥底に沈んでいき、悪いことばかりが名前を取り巻く。名前は静かに首を横に振った。

「私から言わせてください」

震える声は名前の不安と緊張を表している。どこまでも追い詰めているのだと改めて感じる鬼灯は、名前を安心させるように彼女の手をそっと握った。

「何をそんなに焦っているのですか。深呼吸しなさい」
「深呼吸?」
「いいから、ほら」

鬼灯が息を吸うのを見て名前もつられて息を吸う。胸いっぱいに広がるのは新鮮な空気だけではなく、どこか温かな甘酸っぱい想い。ゆっくりと息を吐けば、名前の心は少し落ち着いた。
もう二度と言わないと約束した言葉を言うチャンスをくれた鬼灯に、名前はそれだけで嬉しかった。断られても、受け入れてくれても、きっと今よりも楽になれるのだと、彼の手を握り返した。

「好き……です」

いつか法廷でやって見せた告白とは違い、言葉の強さも歯切れもないけれど、そこには確かに彼を想う気持ちが込められていた。身体を包み込むように広がっていくその言葉は鬼灯のずっと聞きたかったもの。気を引くのでもない、挨拶でもない、本気の言葉に眩暈がする。鬼灯は今にも抱きしめたい衝動を抑えながら彼女を見つめた。

「やっと、その言葉が聞けました」

すっと目を細める仕草に期待してしまうのは、その返事にやわらかさが含まれていたからだ。その言い方はまるで、と名前ははやる気持ちを抑えた。
まだ駄目だ、だって彼はいつだって思わせぶりな態度を取ってくる。期待しては、だめ。そう言い聞かせて次の言葉を待った。

「あなたには少々意地悪をしすぎたようです。まさかあなたをこんなにも縛り付けるとは思いもしませんでしたから」
「……私はちゃんと諦めるつもりでした。でも、鬼灯様が」
「ええ、私のせいです。認めますよ。しかし、あなたもあなたです」

名前の頬に鬼灯の手が触れる。目の前の整った顔を見て名前は思わず視線を泳がせた。

「今までの威勢はどこへやったんですか?てっきりすぐに音を上げると思っていたのに」
「だ、だって……」
「いつまでも悩んで、我慢して、勝手に傷ついて」
「……どうして私、叱られているんですか。鬼灯様、私が欲しいのはそんなことじゃなくて、ちゃんとした答えが」

なかなか上手くいかなかったことが気に入らなくて、つい言いたいことを零していた鬼灯は、相当イライラしているのだとため息を吐く。そうだ、名前がこんなにも悩んでいなければ、事はもっと上手く進んだ。
答えを急かす名前に鬼灯は睨みを利かせた。それは地獄の王も怖がる目つきだ。名前は大人しく口を閉じた。

「あなたのせいですよ、こんなことになったのは」

悩むなどらしくはない。顔色を窺い、言動に一喜一憂するなど今までにあったことか。鬼灯は名前を抱き寄せると優しく口付けた。そのまま少し困らせてやろうかとも思うが、名前の表情にそんな気も失せる。代わりに名前が一番欲しいであろう言葉を落とした。

「私も好いていますよ、あなたのこと」

耳元近くで囁かれたその言葉に名前の全身が痺れいてく。顔が熱くなり「嬉しい」の言葉さえ出てこない。目が合えば恥ずかしくなって、顔を隠すように俯いた。名前は自分でも驚くくらいに動揺していた。鬼灯は顔が見えるよう名前の髪を掬い上げると表情を覗き込んだ。

「ようやくあなたの本気の想いが届きましたよ。一途なあなたに負けました。もう随分前から振り回されっぱなしです」

何度「好き」と言われたところで気持ちが揺らぐことなどないと、根負けするなどありえないと馬鹿にしていたのに、結局はその言葉に心を動かされた。なくなった途端その言葉が欲しくなり、自分から言うなど負けを認めることを嫌った。そんな鬼灯はようやく負けを認めた。

「好きですよ、名前さん」

無意識に零れ落ちた言葉に、自分もずっと言いたかったのだと自覚する。固まったままの名前に鬼灯は再び口付けた。
優しく触れるだけの口付けに名前の緊張が解れていく。甘い期待をしていた部分もあったが、諦めの方が大きく、いざ両想いとなってもすぐに実感がわかなかった。名前は鬼灯の手を握りしめながら、じっと彼を見上げた。

「どうして……いつからですか?」
「さあ、いつからでしょうね」
「……意地悪です」

一度は振った自分をどのタイミングで想うようになったのか、名前には全く検討がつかない。振り回されたのは自分の方だと、余裕な鬼灯に悪態も吐きたくなる。それでも、あれほど願った恋が叶ったのだと自覚すると、胸いっぱいに嬉しさが込み上げる。好きでいていいのだと、もう誤魔化さなくていいのだと、そう思うと自然と言葉がこぼれ落ちた。

「鬼灯様、好きです。大好きです」

それ以上の言葉が思い付かなく、精一杯の気持ちを込めて呟いた。どうにかなってしまいそうなほど心は幸福に満ち溢れていた。真っ赤な顔で見つめるその瞳は輝くように濡れていて、まばたきをすると一筋の線になって雫が頬を伝う。緩んでしまう表情はしばらく引き締められそうにはない。

「ドキドキしすぎて苦しいです」
「大袈裟ですね」
「それくらい嬉しいんです。今日は眠れそうにないです」

恥ずかしくなった名前は両手で顔を隠して鬼灯から視線を外した。高鳴る心音がうるさくて、熱を持つ頬は鏡を見なくても真っ赤なのだとわかる。いてもたってもいられなくなり、名前は勢いよく立ち上がった。そのままふらふらと歩き出すため、鬼灯も腰を上げた。

「どこに行くのです」
「お祭り……せっかくなのでお祭り見て回りましょう!」
「さっき見て回ったでしょう」
「もう一回、今度はきっと全力で楽しめるので!」

振り返った名前の顔が赤い提灯に照らされる。真っ赤な顔を隠し、妖怪の行き交う喧騒の中に紛れれば、心音だって隠せる。なにより、悩みながら歩いた屋台を今度は晴れやかな気持ちで歩けるのだ。
期待に溢れた表情で、心から笑う名前に鬼灯は内心乱されていた。本気の想いに眩しさをこらえながら、外見上ではあくまでも冷静に、淡々と言葉を紡ぐ。

「そろそろ時間ですよ」

懐中時計の針は零時に近づいていた。空にはすでに亡者たちが帰ってくる様子も見える。仕事があってよかったと、残念がる名前を横目に鬼灯はため息を吐いた。空を見上げて時計と睨めっこする名前は、鬼灯を急かすように袖を引っ張った。

「一ヵ所だけならまだ間に合います!」

早く早く、と急かされて、輝くその表情を見て、しばらく彼女の本気の笑顔を見ていなかったことを思い出す。たった一言でこんなに嬉しそうにして、言葉ひとつで彼女は喜び悲しむ。単純なのに思うようにいかなくて、そこがいいのだと一人納得する。

「仕方がないですね。一ヵ所だけですよ」
「はい!」
「金魚すくいに行きましょうか」
「鬼灯様、本当に金魚好きですね。行きましょう!」

祭りも終盤になり、空には花火が打ち上がる。そんな空を見上げながら、賑わう屋台を縫うように、しっかりとした足取りで歩くのは不安が消えた表れだろう。振り返って手招きする姿に急かされながら、鬼灯は名前のあとを追う。

「転ばないでくださいよ」
「はい!」

楽しそうな姿に思わず表情が緩みそうで、しかめた顔を見て「怖い顔してますよ」と名前は笑う。零時までのひと時は、今までのどの時間よりも充実していた。


***


盂蘭盆祭の浮かれ気分を引きずりながら、各々通常業務を始める始業時間。閻魔は机に積み重なる書類を前にため息をこぼした。盂蘭盆の間に逃亡を試みた亡者や懲りもせずに犯罪行為を犯した者は堕獄となり、関連書類が閻魔の元に集まっていた。

「あなたは判子を押すだけでしょう。わざとらしくため息つかないでください、辛気くさい」
「押すだけも大変なんだよ。君は相変わらずお祭りの余韻にも浸らないね」
「祭りは昨日のことですよ。今日は今日です」
「きっちりしてるなあ、もう。少しくらい緩くたっていいじゃない」

文句をたれる閻魔を日課のように叩いてから、鬼灯は裁判の準備を始める。閻魔は頭をさすりながら机にうなだれると、無慈悲な腹心を呆れたように見つめた。

「君さあ、ちゃっかり名前ちゃんとお祭り歩いてたでしょ?一緒にいるところワシ見たよ。なんかないの?」
「的当てでプレミアものの金魚草ぬいぐるみを手に入れました」
「そうじゃないよ」

ぴしゃりとクールな部下に、頑張って誘ったのだろう名前を思い浮かべて可哀想になってくる。あんなに頑張っているのになあ、と応援している閻魔としては、なんとかくっついてほしいもの。けれど、二人きりで祭りを歩くなんて思わせ振りな鬼灯に、邪推もしてしまう。最近の二人を見ていると、どうにも焦れったいのだ。

「ねえ、鬼灯君は実際のところ名前ちゃんをどう思ってるの?」
「どうでしょうね」
「そうやって誤魔化すんだから……名前ちゃんいい子だよ?仕事もできるし金魚草も好きだし、君にぴったりだよ」
「無駄話してないで仕事始めてください」

睨み上げられると地獄の王も怯んでしまう。二度目のため息を吐いて目の前に積まれる書類になくなく手を伸ばしたとき、明るい声が響いた。

「閻魔様、鬼灯様、おはようございます!」
「名前ちゃん、おはよう」
「おはようございます」

よくもまあ、無愛想な鬼にあしらわれながら笑顔でいるなあ、と閻魔はつくづく思う。今日は一段と明るい名前に昨日のことだと思い至れば、書類に伸ばしかけた手も元通り。その様子を見て鬼灯は舌打ちをこぼすが、聞こえていないふりで名前に笑いかけた。

「昨日鬼灯君とデートしてたよね。楽しかった?」

わざとデートと強調すると、名前は驚いたように顔を上げる。鬼灯を見つめて様子を窺っていた。

「あの、もしかして……」
「何も言っていませんよ。私たちを見かけたそうです」

納得する名前は閻魔に「楽しかったです」と笑顔を向けると持っていた書類を手渡す。なんだか含みのあったやり取りに閻魔は首を傾げた。

「その言い方は何かあったの?」
「いいことがありました。金魚草のぬいぐるみを取ってもらったり!」
「君もそれか……」

名前の喜ぶ基準が低いことは閻魔もわかっているため、またそうなのだろうと特にあったことを聞き出すことはなかった。楽しそうな名前を見て安心すると、対照的な鬼灯が嫌でも目に入る。閻魔は名前を手招きすると声を小さくした。

「名前ちゃん、こう言うのもなんだけど、あれでいいの?」
「あれ?」
「うん、あれ」

ちらりと視線を向けると内緒話をする二人を鋭い瞳が睨んでいる。片手に持っている巻物が何かの凶器に見えてきて、閻魔はすぐに背中を向けた。しかし名前は楽しそうに笑って言うのだ。

「あれがいいんです」

柔らかく微笑む名前にいつもと違うと感じたのは気のせいかもしれない。一途だなあ、なんてかわいくない腹心を一瞥しながら、名前を応援した。
そんなことをしているうちに、いつまでたっても仕事を始めない閻魔は再び叩かれ、名前も油を売っている暇ではないと背筋を伸ばした。

「名前さん、頼みたいことがあるのですが」
「はい!」

仕事を始める二人を閻魔はうずくまりながら見送った。
法廷を出ると執務室へ向かい、依頼の書類を名前に手渡す。鬼灯は腕を組みながら、書類に目を通す名前を睨んだ。

「あれ、あれと、ひとを物みたいに」
「ごめんなさい。閻魔様が言ったのでつい」

肩を竦めて楽しそうに笑うと、名前は鬼灯を見つめる。何か言いたげな瞳を無視して鬼灯は席についた。

「それ、できるだけ早いと助かります」

世間話もそこそこに仕事を始めてしまった鬼灯に、いつも通りだと唇を尖らせる。昨日の今日だし、少しくらい浮かれてもいいかなと考えていた名前は、照れ笑うようにはにかんだ。仕事の鬼は相変わらず無表情で、何を考えているのかわからない。振った相手を実は好きだなんて言う読めない男なのだ。
机の上の金魚草は静かに揺れて、時計の音やペンを走らせる音が響く。何度も理由をつけて留まったこの定位置は名前のお気に入りの場所だ。ふと顔を上げる鬼灯に睨まれて、そんな怖い顔でさえ名前を笑顔に変える。

「仕事なさい」
「はい。今日もお昼ご一緒させてくださいね!」

くるりと踵を返して部屋を出ていく名前の姿を眺めると、鬼灯はペンを置いて腕を組んだ。仕事中に手を出すわけにはいかないと、冷たい態度で追い払ってみても彼女は楽しそうにしている。

「本当にわかりやすい」

そう呟いて息を吐くと、騒ぎ出す金魚草を指で弾く。熱心に見つめて名前が何を言いたいのかなんてお見通しだ。その言葉をずっと我慢させていたのだ。鬼灯は時計を確認すると書類へと視線を戻す。次会ったときは彼女の喜びそうなことでも言ってやろうかと、慌てる名前を想像しながら、今からお昼休みを楽しみにするのだ。

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