突きつけられる現実


「鬼灯様まだかなぁ…」

鬼灯が現世へ出張に行っている今日、名前は鬼灯の執務室で二つの金魚草を眺めていた。
片方は鬼灯の育てた金魚草。片方は名前の育ててたピンク色の金魚草。
金魚草談義を心待ちにしてはいるのだが、なかなか忙しい鬼灯とは時間が合わない。お昼休みに話してみようとしても、数時間で収まるような話ではない。
小さな金魚草二匹が互いに見つめ合っているのを見て、名前は「羨ましいな」と零した。

普段鬼灯の座る椅子に座って一時間。定時過ぎには帰ってくると言っていたが、名前を騙すための嘘か。いつも執務室に戻ってレポートを書くため、ここで待機しているが全然帰ってこない。
なぜかラブラブしている金魚草を見ているのも飽きてきた。

「というか、どうしてこの金魚草できてるの?羨ましい……」

呟けば金魚草がこちらを見た気がして、名前は唇を尖らせた。
自分の恋は叶わないというのに、育てたわが子が先に幸せになるなんて。キスができそうでできない微妙な距離に金魚草は奮闘している。この絶妙な配置はきっと鬼灯の仕業だ。

急におぎゃあと泣き出した金魚草に驚きながら、扉の開く音がした。名前は咄嗟に机の下に身を隠した。

「…おや、水貰えなかったんですか?名前さんに頼んだのに」

帰ってきた鬼灯が泣き喚く金魚草に話しかける。しかし湿っている土に水の遣り忘れではないとわかる。
いつの間にかできている金魚草をいじめたせいだと気がつく鬼灯は鉢を少しだけ近づけた。そうすれば金魚草は念願の相手と触れ合うことができる。

「見せ付けてくれますねぇ」

大人しくなった金魚草を見ながら鬼灯は椅子を引いた。

隠れている名前は、どうしてこんなことをしているのかと自分に聞く。別に隠れなくてはいいではないか。普通に鬼灯を迎えればいいではないか。と。
隠れてしまったばかりに妙にドキドキする。鬼灯は気づかずに椅子に座った。名前はというと足に触れないようギリギリまで机の端にへばりついていた。

(どうしよう、完全に出るタイミングを見失った)

いつこの足で蹴られるだろうかと恐怖していれば、それは意外にも早く来て、鬼灯の足が名前の顔面へ直撃した。
がん、と机にぶつかる音がし、名前は声にならない声を上げ顔面を押さえる。鬼灯は椅子を下げると机の下にいる名前を見下ろした。

「何してるんですか?」
「わざとですね……」
「咄嗟に隠れたんでしょうが、バレバレですよ」

気配でわかります、と鬼灯はさらりと答える。名前は涙目になりながら机の下から顔を出した。

「酷いです、わかっていたなら声をかけてください。蹴らなくても……」
「まあ、顔面に当たったのは予想外でした。すみません」

腕を組みながら見下ろす鬼灯はそこだけ謝った。
酷いなぁと出ようとすれば、鬼灯の足が邪魔で出られない。名前は鬼灯の膝に手を置きながら退けようとした。

「出られないです」
「……」
「鬼灯様?」
「いや、このアングルは…と思っただけです」

それだけ言うと鬼灯は立ち上がって退いてくれた。
涙目で腰の位置から見上げられてはよこしまなことを思い浮かべてしまう。何を考えているのだと鬼灯はため息を吐いた。
這い出してきた名前は埃を払うと机の上の金魚草を見た。

「あ、やっと触れ合えたんですね。羨ましい」

金魚草をつつきながら頬を緩める。そして名前は鬼灯の手を握った。いきなりの行動に鬼灯は一本取られてしまった。

「油断してましたね」
「…離してください」
「大好きな人の手を握られて幸せです」

ぱ、と手を離したのは鬼灯の顔が怖くなったから。また顔面に痛みを食らうのは真っ平ごめんだ。
日中会えなかった鬼灯に名前は今日もノルマのように言う。

「鬼灯様、好きです」

鬼灯は表情も変えず名前を見つめ返す。返事はしてくれなくても名前は言えるだけで満足で、見つめ返されるとドキドキしてしまう。
普段よりも静かな空間に緊張しているのか名前はいつもより頬を染めた。机の上でラブラブしている金魚草に当てられているのかもしれない。
やはり返事をしてくれない鬼灯に名前は身を翻す。本当はもう少しいたいけれど、鬼灯はこれから報告書作りだ。
仕事を邪魔してまで一緒にいたいという傲慢さは無いつもりだ。人目も気にせず言い寄っている時点で迷惑極まりないのだが。
では、と出て行こうとする名前を鬼灯は止めた。

「金魚草談義でもしますか」

ぱあと表情を明るくした名前は元気に頷いた。


***


庭が見渡せる廊下の階段に腰を下ろし、金魚草について熱く語り合う二人はそれは盛り上がっていた。

「……ということなのです」
「数年はかかってますね。前から金魚草に興味があったんですか?」
「どうにか鬼灯様と共通の話題をと思っていたら、いつの間にのめり込んでしまって。いつか話そうと思っていたのですが、改良が成功してからにしようと」
「言ってくれれば協力したのに。というか是非立ち会いたかったです」
「え……もったいないことしました……」

がくりとうな垂れる名前はチャンスを無駄にしたと顔を覆う。しかしこうして隣に座って話せるのなら、それはそれでいいやと鬼灯の表情を盗み見た。金魚草を眺めている横顔は仕事をしているときとは違い穏やかで、そのちょっとした変化に心を奪われる。
彼を好きになってから大胆な行動を取ってはいるが、こうしてそっと見守るのは大好きだった。今まではずっと、そうして彼を見つめていた。行動に至ったのはそれじゃ何も変わらないと気がついたから。
体の横に投げ出されている手を見つめながら、名前はそっとそれに手を伸ばした。

「名前さん」

しかしタイミングが悪いことに鬼灯は振り向き名前の名前を呼んだ。びくりと肩を震わせ、名前はその手を引っ込めた。

「な、何もしてません!しようとしてません!」
「何がですか」

送られる視線に名前はばれていないと安堵する。
妙にドキドキするのはいつもより鬼灯が近いから。ここでいつものように好きと言えないのがもどかしい。
鬼灯はそんな名前に構わず続けた。

「いつまで続けるつもりですか。そろそろ諦めたらどうです?」
「何をですか?」
「私に好きと言うことをですよ」

そう言われて名前は目を丸くした。
いつも適当にあしらうだけで、やめろというのも冗談のように聞こえていた。好きと言われるのは慣れているだろう彼に、何度言っても無駄なのはわかっているが、言うだけならいいだろうと。
面と向かって、真剣なトーンで「諦めろ」と言われれば、告白を断られたときよりもダメージを感じる。名前は少しだけ顔を俯かせた。

「迷惑でしたか」
「ずっと迷惑だと言っているでしょう」
「でも、聞いてくれていたから」
「聞くに堪えないです」

毎日毎日好きと繰り返す名前に鬼灯は冷たく言い放った。
何を言ってもポジティブ思考の名前が、それだけで表情を曇らせたのを見て、鬼灯は少しだけ胸が痛んだ気がした。しかし、望みも無い恋をいつまでもさせるよりは、きっぱりと諦めて他を当たったほうが彼女のためだ。
鬼灯は揺れる金魚草に視線を戻した。泣かれたら慰めるのが面倒だと思ったが、名前は堪えているようだった。

「……ごめんなさい」

彼女の口から謝罪の言葉が漏れた。

「私勝手に勘違いしてました。相手にしてくれるわけじゃないですけど、聞いてくれないわけでもないので頑張ったら私の気持ちに応えてくれるかもしれないって。鬼灯様は私が諦めるのを待っていたんですね。気がつかなくてすみません」
「……いえ。はっきりしなかった私も悪いです」
「いいえ、最初から私は鬼灯様にフラれていたんでした。往生際が悪くてみっともないですね」

名前はそう言うと目に涙を溜めながら立ち上がった。鬼灯は見向きもしない。
倒れたときに傍にいたのも、金魚草談義に付き合ってくれたのも、ただの部下との交流で誰にでもすることだ。それを勝手に特別だと思って、上手くいっていると勘違いした。
名前は鬼灯に頭を下げるとひとつだけお願い事をした。

「もう好きだとは言わないので、同僚としての付き合いは続けてください」
「私はいつもそのつもりで接してきましたよ」

名前は安心したように顔を上げた。
何も無かったように金魚草たちを眺め、「金魚草談義楽しかったです!」と言って廊下を駆けて行った。
鬼灯は彼女がいなくなったのを確認しながら懐から煙管を取り出す。吐き出した紫煙がゆらゆらと空へと滲んでいった。

「これでいいんです」

目の前の金魚草に話しかけるように、そんな言葉を落とした。

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