彼の掲げる結婚条件


お昼休みの過ぎた食堂で、名前は禍々しい液体の入った茶碗を前に心を決めていた。
この状況は、鬼灯が「(脳)味噌汁を笑顔で飲める方と結婚する」と言ったことがあるということを、お香がうっかり話してしまったことから始まる。
名前は「鬼灯様のためなら飲んでみせる」と意気込み、今こうして目の前にしているのである。
まさか実行すると思っていなかったお香はなんとか思いとどまらせようと名前に付き合っていた。

「名前さん…さすがにこれは……ねぇ?」
「い、いや……いけます。逝けますたぶん」
「無理しないほうがいいわ。鬼灯様も本気で仰ったわけじゃないと思うし」

身分ゆえ近寄ってくる女性の多い鬼灯は、そう言うことで玉の輿を狙う女性を牽制しているのかもしれない。
そう言ってみるものの、名前は首を横に振り茶碗を手に取った。
見ただけで気分の悪くなりそうな中身に名前はごくんと唾を飲み込んだ。

「飲みます……」

神妙な面持ちの名前にお香も固唾を飲んで見守る。
名前は中身を見つめると目を瞑り、一気に味噌汁を飲み干した。一口だけでも勇気ある行動だが、ごくごくと喉を鳴らす様子にお香は開いた口が塞がらない。
勢いよく茶碗を机に置いた名前は、必死に笑顔を作ろうとしているがその顔は次第に真っ青になっていく。

「名前さん…?」
「む……無理です!!」

うぷ、と口を押さえ食堂を飛び出していく姿に、さすがの名前でも脳みそで作った味噌汁は無理だったようだ。
残さず綺麗に飲んだ茶碗はまだ禍々しい空気を漂わせている。お香はしばらく呆気に取られ、彼女が心配だと追いかけた。


こうなることを予想して食堂からトイレの場所は最短ルートを暗記していた。
廊下を走りながら今にも吐いてしまいそうな吐き気を何とか飲み込む。あまりの不味さと不快感に意識が遠くなりながら、あと数メートルに手を伸ばした。
そこで、資料室から出てきた鬼灯とぶつかってしまった。

「名前さん?」
「ほ……おうっ……」

変な声を出したと思えば、名前は鬼灯に見向きもせずに駆けて行ってしまった。
涙目で口を押さえる姿に「何をやっているんだ」と首を傾げる鬼灯は、次にぶつかりそうになったお香と顔を合わせた。

「あ、鬼灯様」
「お香さんまでどうしたんです、廊下なんか走って。転ばないでくださいよ」
「そ、そうね…気をつけるわ」

今頃吐いているだろう名前にお香の顔色も悪い。名前を追いかけていたのだと察する鬼灯はその理由を尋ねた。
お香は言葉を濁しながら口に手を当てる。吐いているというのは女性の名誉に関わることではなかろうか。言ってもいいのだろうかと言いよどむお香に、鬼灯は名前の走っていったほうへと歩き出した。

「鬼灯様?あの……」
「あの名前さんが私に見向きもしませんでしたからね。何かあったんでしょう」

真っ青な表情を思い出してその先のトイレに行き着く。さすがに女子トイレに入ることはできず、鬼灯は入り口の前で足を止めた。
全て終わったあとなのか、中から声は聞こえてこない。お香は心配するように駆け込んだ。

「名前さん?名前さん大丈夫?」

一つだけ閉まっている個室をノックする。返事の代わりに鍵の開く音がし、ドアが開いた。名前は倒れ込むように出てきた。

「名前さん!」
「は…お香さん……ふふ、私…鬼灯様と結婚…できそうにない…です……」

げっそりとしている名前は顔色も悪く目の焦点も合っていない。くたりとそのまま気を失うように名前は目を閉じた。
ただ事じゃないと何とか名前を支えてトイレを出れば、鬼灯が代わりに名前を支えた。

「どうしたんですかこれは」
「とりあえずどこかに運びましょう。お医者様を呼んだほうがいいわ」

説明はあとだと、鬼灯は言われるままに名前を運んだ。


***


脳みそで作った味噌汁を飲んだと説明したお香に、医者は苦笑し鬼灯は呆れたような顔をしていた。
医者の帰ったあと事情を説明したお香を「このアホは私が何とかしておきます」と言って帰した。医者が言うには心配は無いそうで、ちゃんとしたものを食べれば回復するという。

そして名前は数時間後に目を覚ました。
なかなか焦点の合わない視界にようやくピントを合わせたところで、名前は自分を見ている鬼灯にハッと体を起こす。
急に起き上がればふらりと体から力が抜け、そんな行動をする名前を支える気も無い鬼灯は、再びベッドに倒れ込む名前をじっと見ていた。

「鬼灯様、どうしてここに」

ようやく起き上がった名前は首を傾げる。
確か脳味噌汁を飲んで悲惨なことになったと記憶している名前は、鬼灯がいることと結びつかず頭を悩ませる。お香はどこに行ったのかときょろきょろしていれば、鬼灯は名前の頭にチョップした。

「いっ……」
「何を馬鹿なことをしてるんですか。脳みそで作った味噌汁を飲むなんて」
「ど、どうしてそれを……」
「お香さんから全部聞きました」

説明した鬼灯に名前は頭を押さえながら俯いた。
鬼灯の掲げる結婚条件。それさえクリアすれば上手くいくかもしれないと思って試してみたが玉砕だ。
鬼灯のいないところで試したというのに、失敗したことまで知られてしまい名前の心の中は泣き叫びたい気分。恥ずかしいところを見せてしまったことが嫌なのだ。

「あの…どうして鬼灯様はここにいるんですか。今日仕事でしょう?」

しかしそれよりも仕事優先の鬼灯がどうしてここにいるのかが気になってしまう。
失敗してしまったことはもうどうにもできないため後で考えるとして、この状況は少し特殊だ。
好意をあしらう彼がなぜ仕事を放り出してここにいるのだろうか。見つめる名前に鬼灯はわざとらしくため息を吐いた。

「冗談で言ったことを真に受けた瀕死の部下を放っておきますか。一応私のせいでしょう」
「でも、勝手にやったことです」
「勝手にやったことでも責任は感じるものです」

落ち込む名前は恐る恐る鬼灯を見る。意外にも優しい彼に名前は少しだけ口元を緩めた。それだけで失敗したこの行動もやってよかったと感じてしまう。ポジティブ思考の名前にはそれだけで嬉しいのだ。
なにやらにやにやする名前に鬼灯は眉根を寄せた。

「心配してくれてありがとうございます。脳味噌汁飲めるように訓練しますね」
「また倒れられても困るのでやめてください」
「でも、脳味噌汁が飲める人と結婚するんでしょう?」
「それはただの牽制です。まあ、飲める人がいたらそれはそれで興味ありますが」
「じゃあ…私は飲めるように」
「やめなさい」

再び頭にチョップが落とされ涙目になる。名前は体育座りをするように頭を抱え込んだ。

「無理して飲めるようになって何になるんですか。無益なことはやめなさい」
「でも鬼灯様が……」
「飲める飲めないだけで結婚相手を選びますか。少し考えればわかることでしょう。明日休んだら許しませんよ」

久々の休暇に名前は何をやっているのかと鬼灯は呆れながら椅子から立ち上がった。
好きな人のためにここまでするとは名前も相当らしい。閻魔に言わせれば「それほどまでに鬼灯君が好きなんだよ」らしいが、鬼灯としては迷惑なこと。こうして仕事を中断させられ面倒を見るのは迷惑だ。
立ち去ろうとする鬼灯に名前は着物を掴んで引き止めた。

「お仕事中断させてごめんなさい。明日からはいつも通りアピールすることにします」
「それもやめてくれたら嬉しいんですけど」
「鬼灯様が本気で嫌がるまでやめません」
「……本気で嫌がってますよ」

その手を振り払うと鬼灯は部屋を出た。
そんな後姿を見送ると、名前は布団に顔を埋めながら緩む表情を必死に押さえた。少しだけ鬼灯が自分を見てくれた気がして嬉しいのだ。
大切な休日を割いてくれたお香にも謝らないと、と名前は嬉しさを胸にお香に連絡する。悲惨なことがあったにも関わらず嬉しそうな名前に、お香も楽しそうに笑った。

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