熱に浮かされて


誰かが部屋のドアを叩く音で目が覚めた。こんなことをするのはどうせ上司だし…と寝返りを打つ。
ドアが壊れる気配はないからきっと緊急は要さない。
昨日も残業して、朝早くからなんだろう。嫌がらせか……なんて顔を上げると部屋にある時計はすでに出勤時間を過ぎていた。

「ち、遅刻…!?」

勢いよく飛び起きると、頭がくらりとして一瞬目の前が見えなくなる。気が付けばベッドから落ちていて、ドアの向こう側で一瞬狼狽えるような気配がした。

「名前?起きてるなら出てきてください」

やっぱり鬼灯さんだ……というか、なぜベッドから落ちた……。
訳がわからなくて起き上がるもなんだか体がだるい。ぺたりと床に座り込んだまま重い頭を抱えていると、鬼灯さんが勝手に部屋に入ってきた。

「遅刻ですよ。いつまで……何してるんですか?」
「いや……」

座り込む私に鬼灯さんは怪訝な表情で見てくる。そしてずかずかと部屋に入ってくると私のそばまでやってきて顔を覗き込んだ。
こんな時間まで寝てたなんて怒られる…。どうにか言い訳を、と口を開いたところで鬼灯さんの手が顔に触れた。

「な、なんですか」
「……顔が赤いですよ」
「からかわないでください!」

顔を近づけられたくらいで赤くなるわけがない。けれどどこか真剣な表情で見つめられると胸のあたりがざわついて……。いやいや、遅刻した罰か何かだろう。また人のことをからかおうと……!
ふい、と顔を逸らすと鬼灯さんは自分と私の額に触れている。

「熱ありますよ。体の具合はどうですか?」
「具合?具合は……」

そう言われてみると妙に体がだるくて頭が痛い。熱があるといわれると熱っぽいような気もしてきて、だんだんと体調が悪いような気がしてきた。
けれどこんなときに体調は崩してはいられない。仕事は残業するほど山ほどあるのだ。遅刻した時点でかなり迷惑になっている。
それに体調管理ができてないとわかれば嫌味を言われるのは必至。仕事を休んだらそれこそ……。
迷惑になることと呆れられるのが嫌で体調が悪いのを隠した。

「大丈夫です」
「嘘ですね。熱計ってみなさい」
「大丈夫ですって。ほら」

大丈夫だと立ち上がると立ちくらみを起こして体に力が入らない。そのままふらりと倒れて鬼灯さんの腕に抱えられた。
鬼灯さんは問答無用で私をベッドまで運び、当然のように救急箱を探し当て体温計を差し込んだ。私の部屋のものの位置を完全に覚えてらっしゃる……恐ろしい。
そんなふうに思っていればいつの間にか体温計測は出来ていた。これで熱が高かったら休むことになると鬼灯さんよりも先に確認しようとするけど、それよりも先に取られてしまった。
鬼灯さんは体温計を見ると眉間に皺を寄せて私を睨んだ。

「39度ですよ。いつから体調悪いんですか?」
「…今初めて気が付きました」
「そんなわけないでしょう」
「本当です。残業が長引けば頭が痛くなることくらいありますし、最近疲れていたのでそれかと……怖い顔しないでくださいよ!熱だってすぐに……」

すぐに引きますから。そう言おうとしたのに鬼灯さんに止められた。叩くようにして乱雑に私の頭を撫で髪を乱していく。
ぼさぼさと前が見えなくなって鬼灯さんの表情もわからない。ただ、小さく呟いたのは聞こえた。

「…少し無理をさせたようですね」

あの鬼灯さんが反省をしている…?徹夜が続いても大した労いもしてくれないあの鬼灯さんが…?
ちらりと見えた表情がいつもより浮かない顔で、もしかしたらこれは熱による幻覚なのかもしれない。
乱れた髪を掻き分けて鬼灯さんを見つめていると、鬼灯さんは気がついたようにいつもの表情に戻ってしまった。
貴重な表情が…!

「鬼灯さん、今心配してくれました?」
「してません」
「ちょっと声が優しくなりましたよ」
「熱が酷いようですね。都合のいいように解釈して……体調管理くらいしっかりしてください。忙しいんですから」

そっけなく言うと私をベッドに寝かせ布団をかける。少し強引な仕草に思わず笑みが零れた。鬼灯さんは怖い顔をして睨むけど、それが余計におかしくて笑いが堪えられなかった。

「随分元気そうですね。あとで薬持ってきます」

呆れたように部屋を出て行く鬼灯さんを見送れば、ようやく高熱が出ていることを思い出してなんだか一気に体が疲れたような感じがした。
頭が痛くて体が重く、布団に包まるとすぐにでも眠ってしまいそうだった。

「仕事があるのに……」

そう思いながらも眠気には勝てずに瞼を閉じた。


***


しばらくして頭の冷たい感覚に目を覚ました。目を開くと鬼灯さんが額の上に濡れタオルを乗せていて、ちょうど目が合った。
鬼灯さんは気がつくとベッドの側にある机に手を伸ばした。

「できれば食事を取って薬を飲んでほしいんですが。おかゆなら食べられますか?」
「……少しなら」

あれ……鬼灯さんが優しい。夢でも見ているのかもしれない。ゆっくりと体を起こすと手伝ってくれて、小さな土鍋から食べられそうな分だけよそってくれる。
茶碗を差し出されても、つい鬼灯さんの顔を目で追ってしまっていた。

「自分で食べられませんか?食べさせましょうか?」
「いえ!自分で食べます!」

世話をさせるわけにはいかない。どうせからかわれて恥ずかしい思いをするだけだし。
急いで受け取ろうとすると手から茶碗が滑って零してしまいそうになる。あ、と思ったときには鬼灯さんの両手が私の手ごと茶碗を受け止めていた。

「何してるんですか。遊んでないで早く食べなさい」
「わ、わかってますよ……」

思わずドキリと心臓が跳ねて、ただ手が触れ合っただけだというのに妙に恥ずかしい。
これは熱に浮かされているからで……いつものような判断ができないからであってだな……。
じっと見つめられながら食べるというのはどうも慣れなくて、貰ったおかゆを掻き込むようにして食べた。
急いだせいか少し苦しいけど、早く薬を飲んで寝てしまえば大丈夫。早く鬼灯さんにいなくなってもらおう。
鬼灯さんがくれた薬は苦いけどよく効くらしい。思わず舌を出すと口の中に何かを突っ込まれた。

「な、なに……甘い」
「まったく、世話がかかりますね。体にいいので食べてください」

口の中に広がるみずみずしい甘さに頬が緩む。差し出されたお皿には綺麗に切り分けられた桃が乗っていた。
美味しくて、あまり食欲がないはずなのに手が伸びる。果物というよりはジュースを飲んでいるようなのどごしに、桃はすぐになくなってしまった。

「どうしたんですかこれ?すごい美味しい……!」
「たまたま貰ったのがあったので」

鬼灯さんは仕事上色んな人と会うから物をもらうことが多い。こんなに美味しいものがもらえるなんて、今度から私も手伝おうかな…なんて。
ちょっぴり幸せな気分でいると、早く寝ろとばかりに急かされて横になる。鬼灯さんも仕事の合間を見つけて来てくれたのかな。悪いことをしたな……と思っていると薬が効いてきたのか眠気が襲う。
さすが鬼灯さんがよく効くと太鼓判を押す薬。第一補佐官は風邪を引いても代わりがいないから、体調が悪いときはこれで凌いでいるんだろうな。そう思うとこうして寝ているのが悪い気がして、無意識に鬼灯さんの手を掴んでいた。

「ごめんなさい、迷惑かけて」

鬼灯さんは一瞬驚いた表情を見せて、いつも私をからかうときのような目つきをする。

「熱に浮かされると正直になりますね。しばらくそのままでもいいですよ。見ていて面白い」

またそうやって私をからかう。言い返す気にもならなくて、戻る支度を始める鬼灯さんをぼーっと見つめた。
体全体が熱に覆われたようでふわふわする。部屋を出て行こうとする鬼灯さんの背中が少しだけ恋しかった。

「鬼灯さん……」

気がつけば名前を呼んでいて、鬼灯さんは振り向くと思い至ったようにこちらに戻ってきた。

「心細いですか?風邪を引くと気弱になると聞いたことがありますよ」

鬼灯さんはそう言いながらそっと私の頭を撫でた。夢のような心地につい私も本音を漏らしてしまう。普段なら絶対言わないのに、風邪のせいで心が弱っているんだ。

「行かないで……ください」

夢の中なら何を言っても大丈夫。恥ずかしいのは今だけだ。
だんだんと意識が朦朧としてきて、温かい手に握られたままゆっくりと眠りに落ちた。

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