お弁当作戦と


「鬼灯様、これどうぞ」
「…何ですかこれ」
「手作りお弁当です!」

お昼休みも取れないくらい忙しい鬼灯の元にやってきた名前は、この忙しさを予想してお弁当を持参してきた。
重箱に入っているのは鬼灯が大食いだからである。おにぎりもありますよ、と一段下にもたくさん入っている。
いきなりお弁当作戦とはやるな、と報告に来ていた獄卒がそそくさと出て行った。

「一緒に食べましょう」
「お気持ちだけで結構です。というか、そういうのはよくないって知ってるでしょう?」
「賄賂になるってやつですか?鬼灯様にこの手のことが通じるとは思ってませんよ」
「気に入られようとしてるじゃないですか。一緒です」

名前は唇を尖らせながら風呂敷を解いてお弁当を開ける。そうすれば色とりどりのおかずが顔を出し、食欲をそそる香りが漂ってくる。
鬼灯のお腹がぐうと鳴った。名前はニコリと微笑むとおにぎりを差し出した。

「どうぞ!」
「…今回だけですよ」
「はい!」

鬼灯が食べなければどうしたのだろうか、この量を。名前が料理上手だという新たな発見もありながら、鬼灯はもぐもぐとおにぎりを頬張る。
鬼灯はご飯を飲み込みながらお茶を啜った。

「他の人に言いふらさないでくださいよ」
「どうしてですか?」
「あなたの真似をする人が出てきたら嫌なので。一時期お弁当が流行ったんですよ」
「へぇ…じゃあ、私は特別ですね」
「…名前さんってそんなキャラでしたっけ」

それはもう仕事ばかりというイメージだった気がするが、そんな面影どこにもいない。
恋をしたら人は変わるんです。名前はそう言うと笑った。あながち間違いではないかもしれない。
他の鬼がやってこないうちにと重箱はすぐに空になった。
もう一度口外しないように念を押せば、名前はその特別感にまた頬を緩めるのだ。

「おいしそうに食べてくれてよかったです」
「今回きりですのでもう持ってこないでください。迷惑です」
「はい!」

迷惑といっているのにこの喜びよう。楽しそうに執務室を出て行く名前に、鬼灯はため息を吐いた。

手作りお弁当を食べてくれて嬉しい名前はスキップでもしそうな足取りで廊下を歩く。
するとさっき書類を提出していた獄卒と何人かの女獄卒とすれ違った。

「あの、鬼灯様お弁当食べてくれたんですか?」

もし食べてくれたのなら私たちも作りたい。そんなところだろう。
名前の笑顔を見れば成功したと見える。しかし名前は約束どおり首を横に振った。

「断固拒否です。次の作戦を考えなくちゃ」

そう言って行ってしまう姿に獄卒たちも納得する。名前が嘘をついているなど微塵も思わない。
なんたって、彼女はフラれてもあんな調子なのだから、お弁当を食べてもらえなかったくらいで落ち込むはずがない。
スキップするような背中に、すごいなと尊敬するほどだ。


***


お弁当を食べてくれたことで内心とても喜びに叫びたい気分だが、仕事はおろそかにはできない。
もし何か失敗すれば、本当に鬼灯に見捨てられてしまう。名前は黙々と仕事をこなしていた。
そこで気になるものを見つけた。

「これは……うーん……」

閻魔庁から経費と落とされているものはたくさんある。備品から会食など全ての領収書やその旨の書類が集まる。
その中になんともいえぬ領収書があるのだ。

「動物園の入園料は経費で落ちるのかな……」

それは鬼灯が現世へ行ったときに赴く動物園の入園料だ。
必要経費ですときっぱり言い切られたと閻魔は言っていたが、なんとも怪しいところである。
実際は視察というより趣味のために行っている。たったいくらだが、それでもお金を管理する立場としては見過ごせない。
遊びで行っているなら視察とはいえ自費で行ってほしい。
名前は報告書をまとめると鬼灯の元へ急いだ。


「鬼灯様、少しよろしいでしょうか」

ひょこりと顔を出した名前に鬼灯は顔を上げた。
いくら鬼灯に好意を寄せるからといってわざわざ勤務時間にただ会いに来ることはない。
書類を持っているのを見ながら「どうしました」と受け答える。
名前は鬼灯の姿に頬を緩めると、仕事の話をするため真顔に戻した。

「鬼灯様の経費の使い方について」

鬼灯は聞きながら差し出された報告書に目を通す。
ここ数年で何度も行っている動物園の入園料に関して、経費として落とすことができない旨が書かれていた。

「動物獄卒強化のための視察です」
「しかし、レポートなどは提出されていないようです。視察の場合、報告書やレポート提出が義務付けられているはずです。閻魔様に確認を取りました」
「まあ、普通に趣味として行ってますので」
「経費で落ちないことわかっているでしょう。これまで経費として落としていた分は鬼灯様から頂くことになります。そしてこれからは自費で……」

説明する名前に鬼灯は見上げるような視線を送った。
名前の目をじっと見つめ何かを訴える。いつもとは違うどこか熱い瞳に見つめられれば、名前はどきりと甘い痛みに心を揺らす。
言葉に詰まる彼女に鬼灯は低い声で囁いた。

「それくらい見逃してくださいよ。地獄で休みもなく働いて、休日返上で現地調査。動物園に行くくらい労いだとは思いませんか?」

熱心なまなざしに釘付けになったまま、名前は彼から零れる甘い囁きに惑わされそうになる。

「ねえ、名前さん」

低く耳に残るような妖艶な声音。名前はごくりと喉を鳴らした。

しんと静まり返る執務室。鬼灯は名前を見つめたままどう反応するか観察していた。
鬼灯に惚れている名前が、仕事を取るか男を取るか。名前の表情を見れば後者を選択するだろうと分かる。
結局恋愛はこうして仕事に影響するのだと、彼女の艶やかな唇が言葉を発しようとするのを、幻滅するように見守った。彼女も所詮恋に惑わされる愚かな女性なのだと。

しかし彼女が選んだのは男ではなかった。

「……いくら鬼灯様でも見逃せません。どんなに立場のある方でも贔屓は許されないので。報告書に書いてあるとおり、経理課の判断した事項に則ってください。それでも逃れようとするのなら改めて閻魔様にご報告いたします」

名前はまっすぐ鬼灯を見つめて反論できないような凛とした声を響かせた。
鬼灯はその言葉にすっと目を細めた。思わず口が緩んでしまいそうなのをどうにか抑える。

どうやら名前は恋愛に現を抜かし仕事を捨てるような獄卒ではないようだ。
睨んでも怯まない彼女に、鬼灯はようやく視線を戻した。
金縛りにあっていたかのように彼の瞳に縛られていた名前は、開放されたように緊張が緩むのを感じた。

「わかりました。名前さんがそこまで言うなら従いましょう」

鬼灯はそう返事するとその書類を懐にしまった。
名前は安心したように胸を撫で下ろすが、先ほど言った鬼灯の言葉が少しだけ引っかかっていた。鬼灯もそういうことを言うのだと。

仕事の話が終わるといつも付け足すように好意を伝えてくる名前が静かなことに鬼灯は再び彼女を見る。
不安そうな表情に何を考えているのかはすぐ分かる。

「それと、先ほど言ったことは本気ではないですよ。あなたがどう答えるか試していました」
「試す?」
「あそこで私の言ったことを受け入れれば、私はあなたを軽蔑してました。それだけです」

軽蔑というのは少し言いすぎだが、どういう意味で試していたのかは理解できただろう。
名前は鬼灯のしたことの意味を知って深く息を吐き出した。

「びっくりしました……鬼灯様が不正をするようなこと言うなんて、すごく心配しました」
「しませんよそんなこと。ただ、これくらい経費で落としてもいいような気はします」
「それはダメです」
「しっかりしてますね」

やれやれ、と仕事に忠実な彼女に安心したところで鬼灯は手元の仕事に戻った。
名前も安心したのかいつものだらしないニコニコとした表情に戻っている。そして、もじもじと鬼灯に視線を送った。

「なんですか」
「さっきのとてもよかったです。鬼灯様のその目と声大好きです」

思い出して恥ずかしくなったのか、名前は両手で顔を覆うと逃げるように部屋を出て行った。
恍惚とした表情で鬼灯の声を聞いていた名前にとっては、先ほどの囁きはかなり心臓に負担がかかったことだろう。
ただ試していただけだというのに、喜んでしまった彼女に鬼灯はため息を吐いた。
どうにも一途な彼女は手に負えない。

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