丁と丁


丁が村にやってきてからというもの、村人の対応はどちらかというと冷たかった。
特にそれが嫌だとか、不満があるとかではない。ただ、親もいなければ友達もできない丁は少しだけ寂しさを覚えていた。
大人たちの前では賢く物分りのいいように振舞ってみても、心はまだ幼い子供。
輪に入れてくれない子供たちから離れるように、丁は一人で遊ぶことが多かった。

珍しい草花や虫を見つけては観察し、時には言葉の通じない動物と触れ合ってみる。
ふわりと花から飛び立った綺麗な蝶を追いかけていれば、そこに見知らぬ女性を見つけた。
蝶はそのまま彼女の元へ飛んでいき肩に止まる。名前は鮮やかな蝶に驚いたようで優しく指に止まらせた。
そこで同じ村の丁と目が合った。

「綺麗ですね。こっちに来たらどうですか?」
「…私からは逃げるように飛んでいったので、きっと私が近づいたら逃げてしまいます」
「そんなことないですよ」

ほら、と蝶を乗せた指を差し出してみる。丁は村の子供たちが自分を見て距離を置くのを思い出して一歩後ずさった。
虫までも自分を避けるのではないかと少しだけ怖くなったのだ。動かない丁に名前はゆっくりと近づいて腰をかがめた。

「ほら、逃げませんよ」

蝶は羽を休めるようにゆっくりと羽を動かしている。名前は丁の手を取ると自分の手から移動させた。
指に止まる蝶に、丁は少しだけ表情を綻ばせた。

「…綺麗です」

丁が表情を変えたのを初めて見た名前は少しだけ心が温かくなった。
村に馴染んでいない彼もこういう顔ができるのだと。子供らしいところがあるのだと。
無意識のうちに丁の頭に手を伸ばせば、彼は驚いたように顔を上げた。それに驚いたのか蝶は空へと飛んでいく。
名前は「あ」とそれを見上げた。

「ごめんなさい。行っちゃいました」

どこかに飛んでいってしまったのを目で追えば丁の顔を見る。
丁は目を大きくして名前を見つめていた。ほんのりと赤みをさす頬がいつもより染まっている気がした。

「ど、どうしたんですか?あ、撫でたの嫌でしたか?すみません」
「いえ!そうではなくて……」

パッと手を離そうとすれば丁は首をぶんぶんと横に振って名前の手を止めた。
名前は状況が理解できずにその手を戻した。
丁は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに呟いた。

「こういうこと、してもらったことがないので…」

村の子供が親に頭を撫でられているのを見て、自分の頭に手を置いてみたこともあった。抱きしめられているのを見て、自分の体を抱きしめてみたこともあった。
どういうスキンシップなのかわからなくて、けれど羨ましかったその行動。
丁は頭を撫でられたのが嬉しかったのだ。
名前は丁がみなしごなのを思い出してさらに頭を撫で回した。

「あの、さすがにそれはやりすぎでは」
「かわいいなと思って」

髪がぐしゃぐしゃになって名前の手を押し返した。微笑む名前に丁は唇を尖らせ、話題を変えるべく彼女の名前を聞いた。

「私は丁といいます。あなたの名前を聞いてもいいですか?」
「私は……」

むう、と膨れる丁に、名前は名前を言おうとして少しだけ考えた。村でみなしごである彼と関われば、同時に自分まで村人から疎まれる、と。
これまでみなしごやよそ者を避けていた名前にとって、目の前の丁に同じ村人であることを言うのは気が引けた。
できれば波風立てずにひっそりと村で暮らしたいのだ。
ただでさえ生きるのに必死な家計に、もしこの子が頼ることになったら。そんな考えが名前の返事を遅らせた。
丁は不思議そうに彼女を見つめ、名前は咄嗟に名乗った。

「私は丁(ひのと)です」
「丁さん、ですか。見たことないですけど、この近くに住んでいるんですか?」

普段下ろしている髪をくくっていたため同じ村であることに気づかれていない。
名前は罪悪感を抱きながら首を横に振った。山を越えた先の隣の村にいる、と。
山を越えてきたにしては軽装だが、丁はそこまで見ていなかったようで納得するように頷く。

「何しにここに?山を越えるとなると結構かかりますよ」
「草花に興味があって、気がついたら山を越えていたんです」
「そうなんですか。すごいですね」

自分を避けない彼女に丁は心を開いている。同じ村の人でないなら自分の境遇も知らない。
きっと会うこともないだろうと、頭を撫でられた感触を思い出しながら温かさを感じる。
普段無口の丁が話しかけてくることに名前は驚いていた。そして丁と名乗ったことを後悔した。
こんなにも無邪気な子供を、遠ざけたいがために嘘を吐くなんて。
名前はもう一度丁の頭を撫でると立ち上がった。

「そろそろ行かないと日が落ちてしまうので、もう行きますね」
「そうですか……あの、楽しかったです」

大きな瞳が名前を見つめ、彼女の心が小さく痛んだ。
誤魔化すように笑えば村とは反対のほうへ歩き出す。見えなくなるまで手を振る丁に、名前は影で彼を支えようと決めたのである。


しかしそんな決意もむなしく、村に危機が訪れた。
村人のいる前で丁と関わることをしない名前は、どうすれば彼を支えられるかと考えていたところだった。
そんなときに雨の降らない事態が起き、村の作物が枯れ始めいよいよ食料が危うくなっていた。
名前は空を見上げながら最悪の事態を想像した。

「生贄……」

先ほど村の男たちが集まって話をしていたのを思い出して、名前はそこへと駆けた。
話を聞けばやはり雨乞いのために生贄を出すようで、予想通り白羽の矢が立ったのは丁だった。
みなしごだから。よそ者だから。即決した理由を聞いて名前は青ざめた。

もし自分があの時本当の名前を言って、村でも一緒に過ごしていたら違っていたかもしれない。

賛成の意思を見せない名前に村人は訝しげに彼女の顔を覗き込んだ。

「あの、それだけで決めるのは早計では…」
「他に誰がいるっていうんだ。みんな自分の子供を生贄にするのはごめんだ」
「でも…」

言葉を濁す彼女に村人たちがざわざわと話し出す。
どうしてお前がみなしごを庇うようなことを言うのか。
そんな視線を送られ名前は目を逸らした。

「子供がいないからみなしごでも引き取る気になったか?悪いが生贄は丁で決まりだ」

子供が持てる歳になって随分経つのに名前には子供がいなかった。村人たちからは嫌味を言われ、名前は唇を噛み締めた。
自分のことはこの際どうでもいい。ただ、他の子供と変わらない一人ぼっちの彼を見殺しにするのが許せなかった。
けれど、その役目が自分に向けば反論することもできない。

「代わりにお前が生贄になるか?」

そこで頷けなかった自分に後悔するのは少し先だった。


***


それから丁を目にすることもなく、丁が死んでしまうまで閉じ込められていたことを話した名前は、やはりただの言い訳を言っているようで心底自分の浅はかさに嫌悪を抱いた。
鬼灯は話を聞き終えると名前を見下ろし、イラついたように金棒を地面に突き刺した。
その音に肩を震わせる名前を鬼灯は睨みつけた。

「あなたが丁(ひのと)さんだったんですか」
「はい…」

鬼灯としては聞きたかったような聞きたくなかったような事実だ。
憎い村人の一人が、もう一度会いたいと思っていた人だったなど。

鬼として生き返ったとき、彼女にあのとき救われたことを言いたくてわざわざ山を越えて隣の村まで行った。
しかしそこに彼女の姿はなく、既に亡くなっているか、この村ではないのかと探すのを諦めた。

それが彼女だったなど、どう気持ちの整理をつければいいのか。それも自分の生贄に反対してくれていたなど、後出しの情報に鬼灯も考え込んでしまう。
呵責から逃れるためと言い聞かせても、丁と名乗った女性と過ごしたことを知っているのは本人だけ。
自分を睨んだまま無言の鬼灯に、名前は地面に頭をつけた。

「いいんです。私は自分の保身のために丁を見捨てました。あそこで丁(ひのと)と嘘の名を名乗り、代わりに生贄になることもしなかった。私は丁を生贄にした村人の一人です」

だから本当のことは言いたくなかった。今になって言い訳などみっともないし、きっと丁本人も動揺する。
あの憎悪に塗れた瞳を見て、受けるべき罪なのだと理解した。
案の定気持ちの整理がつかない鬼灯を見て名前は申し訳なく思った。

「どうか他の村人と同じように呵責してください」

名前の額が岩の地面で血を滲ませた。
謝っても真実を話しても罪から逃れられないのは知っている。これ以上、丁を苦しませる理由も作りたくない。彼らと同じように責め立ててくれればそれでいい。

自分のしたことを心から後悔し反省している様子の名前に、鬼灯は正直戸惑っていた。
自分を見捨てはしたが、一度は救っている。一人ぼっちで寂しかった心を埋めてくれた人。しかし、彼女が自分で言うように保身のために見捨てたのは腹立たしいこと。
ぐるぐると回る憎悪と感謝の気持ちが鬼灯の感情をわからなくしていた。

「……あなたが少しでも私に声をかけていてくれたら、何か変わっていたかもしれません」
「はい」
「……あなたが彼らを説得していたら生贄になどならなかったかもしれない」
「はい」

かもしれない話をしても何も変わらないことはわかっている。けれど、唯一自分を見てくれた彼女を責めたくなる。
どうしてあのとき手を差し伸ばしてくれなかったのか。頭を撫でられた感触は死ぬ間際まで覚えていた。
この村に丁さんがいれば、と心の中で彼女に縋った。その人物が目の前にいる。

殺気立っていた鬼灯の瞳はどこか寂しそうに揺れていた。
名前はただ鬼灯の言葉を重く心に受け取った。

「いまさら私の前に現れても遅いですよ」
「…ごめんなさい」

涙ぐむ声で名前は小さく謝った。うずくまって泣く彼女に鬼灯は低い声を落とした。

「私はあなたを許しません。ですが、情状酌量の余地はあるでしょう。とりあえず孤地獄でたっぷり呵責されるのはどうですか?」
「ど、どうと言われましても……」
「私の気が済めば大焼処からは出してあげましょう。その後は比較的楽な等活地獄にでも放り込みます。出張サービスでたまには拷問しに行ってあげますよ」

これが彼なりの減刑なのかもしれない。
孤地獄という響きにどこか恐怖を覚える名前だが、少しだけ瞳の色が変わった鬼灯にずっと感じていた罪悪感が少しだけ軽くなったのを感じた。
許してもらえはしないが、あのとき少しでも丁の味方であったことを打ち明けられて心を取り巻いていたもやが晴れた気分。

鬼灯も少しだけ頭の中にあった復讐心が和らぐのを感じていた。
あのとき一人でも味方がいたこと、村人への復讐心にいつしか支えてくれた彼女の存在を忘れていたこと。それを思い出せただけで心が軽くなった気がした。

「名前さん、どんな痛みが嫌ですか?」

金棒を突きつけながら聞き出す鬼灯の表情は、少しばかり晴れやかだった。

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