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先生は一瞬目を見開いた後、いつものように柔和な笑みを浮かべ階段を上がり俺に近づく。
「どうしました?こんなところにいてはまた風邪をぶり返しますよ」
先ほどの看護師に対する氷のような声色とは全く真逆の、暖かさと優しさに溢れた声色に胸が締め付けられ、顔に熱が集まる。
「…赤川君?」
「や、」
いつの間にか目の前にまで来ていた先生にすっと頬をなでられ、思わずぱしんと手を払ってしまった。あ、と思ったときにはすでに遅く、先生は俺に払われた手を宙に浮かせたまま驚いたようにこちらを凝視し、次の瞬間にはふと悲しそうに目を少し伏せた。
「あ、あの、ごめ…」
「…いえ、気にしないでください。急に触れられて驚いたんですよね。すみませんでした。…さ、もうすぐ消灯です。お部屋に戻ってください、せっかくあと少しで退院なのに延ばしたくはないでしょう?
…送ってあげますから。ね?」
そう言ってがしりと俺の手をつかむ先生は、にっこりとわざとらしく口角をあげていた。
え、演技か!?
一人で大丈夫、と言うまもなくあれよあれよと手を引かれ病室に連れ戻された。
…なんだか、掴まれている手が熱い。
病室につくと、先生は俺をベッドに座らせ、その隣にぴたりと寄り添うように自分も腰をおろしてきた。あまりに近すぎるその距離に座る位置を変えようとしたらそのまま腕を腰に回されぐいと引き寄せられる。
「せ、先生…、近い、です…」
「体温を計りますので逃げないで下さい。」
そう言って、体を引き寄せたままもう片方の手で俺の前髪を上げ、こつんとおでこを合わせられる。ぼやけるほど間近に迫った先生の顔。伏せられた目がやけに色っぽい。
「…やはり、熱がありますね。」
「や、ん…!」
もう少しきちんと計りましょうか、と言われてすぐに先生が俺の口を自分の口で塞いだ。ぬるりと熱いものが口内に侵入し、それが先生の舌だとわかった時にはもう遅く先生はしっかりと俺の後頭部に手を回し、逃げられないように固定して好き放題俺の口内を貪った。
「ん、ンク、…っふ、ぅん…!」
「チュ…、ほら、こんなに熱い…。
…赤川、くん?」
「…っ、ふ、うぅ…っ」
ちゅる、と舌を解放されると同時に、俺の目からはぽろぽろと涙がこぼれてしまった。それを見た先生が、情けなく眉を下げて心配そうに俺の顔を覗き込む。
「な、で…っ、こんな…っ、こんな計り方、やだ…っ、」
「赤川くん…」
だって、だってそうじゃないか。こんなの、こんなのおかしい。
俺の事を愛してる、だなんて言っておいて、俺の気持ちを無視して好き勝手にするだなんて、おかしい。
直接俺には何も言ってくれないくせに、こんなことだけやるだなんておかしい。
そう考えてはたと気づいた。
俺の気持ちを無視して、って。じゃあ、無視しなければいいのか?
直接、言われればいいのか?
なにを?
ぐるぐる、一人考えのまとまらない頭で一点を見つめているとふわりと、さわやかな柑橘系の香りが鼻をくすぐる。視界が真っ暗になって、俺は先生に抱きこまれたんだと気付いた。
「…すみません。我慢が出来なくて、手を出してしまいました。」
俺の頭を自分の胸に押し当てながら、よしよしと優しく頭を撫でる。そのまま顔を上げると、にこりと悲しそうに笑う先生と目が合った。
す、と涙の流れる頬を、優しく指先でなぞるとそっと触れるだけのキスをする。それは今までの強引なものなんかじゃなくて、許しを乞うようなキスだった。
「…あなたの気持ちを無視するようなやり方で、無理やりキスをしてしまってすみません…。ですが、後悔はしていません。だって、好きな人とキスをしたのに、後悔なんてしたくありませんから。」
優しく笑う先生の顔を、ぽかんとして見つめる。
「…す、き…?」
「はい、そうです。赤川さん。私は、あなたを、愛しているんです。」
『愛している』
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が今までで一番大きく跳ねた。そして、ぶわりと一瞬にして背中が総毛立つ。
これは、間違いなく歓喜だ。
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