いずれ近くなるを望まず

これのマリス視点



――どうか、悪い夢だと言って欲しい。

手の中からこぼれていく赤。いのちを支える液体が、止めどなくあふれて、流れていく。咄嗟に傷口を押さえても、そんなことでは塞がらないし治らない。ナマエの中から、たいせつなものが流れ出していく。失われていく。

「ぁ、…っ、!」

言葉にならない、呻きですらない音が、喉の奥に詰まって呼吸すらままならない。

「ナマエ、……ナマエ!!」

名前を呼んでも、返事は返ってこない。閉ざされたまぶたが開いて、こちらを見てくれることもない。体を揺らしても、力なく垂れた腕がその勢いのままに動くだけ。
真白の髪は乱れて地に散らばり、血に汚れてべったりと赤に塗りつぶされていた。そこに突然、緑の色彩が現れた。

「っ、……どうして、」

次第にナマエの体は、緑色の結晶に覆われていく。フェストゥムの因子を失って、同化現象に見舞われることはなくなったはずの、ナマエが。
硬質で透明な薄緑色に染まって、僕が触れたところからそれは赤に変わっていく。赤色の結晶がナマエを覆い尽くして、結晶のかたまりしか見えなくなったとき。パキ、と硬質な音を立てて結晶が砕け散った。
粉々になった結晶は、風もないのに舞い上がり、僕の周りを漂う。

「ナマエ、?」

ひとのかたちをしていたことなどなかったように、ナマエが散り散りになっていく。もはや結晶ですらなくなった、きらきら光る粉状の物体。手を伸ばしても、指先からすり抜けていく。手のひらですくうこともできない。

「っ、ナマエ、っぅ、ああああああああ!!」

縋る体すら失って、叫ぶ声は空に流れていった。




「ッ!!ナマエ!」
「……ん、……どうしたの、マリス……?」
「ナマエ……」

呼んだ名前に、返ってくる声があった。眠たそうな、気怠い声。明かりの落ちた薄暗い部屋で、それでも僕の顔を正確に探し当てて頬に当てられた手のひらの温度に、心から安堵の息を吐いた。

「悪い夢を、見たんだ」
「どんな……?」

僕たちには以前のようには記憶を共有できないから、言葉で話すしかない。……力があったとしても、この夢は絶対にナマエには見せられないけれど。教える気も、ない。だから僕は首を横に振って、ただナマエを抱きしめる。

「もう、いいんだ。悪い夢は終わったから。ナマエは、ここにいるから」
「……うん。私は、ここにいるよ。マリス」

夢の内容を、ナマエは察したかもしれない。幾度となく繰り返してきたやり取りの、その声には気遣うような響きがあった。確実に届くようにと耳元で囁かれた言葉の後、頬を撫でた唇の柔らかい感触。温かい温度に、目を閉じ深く息を吐いた。

「起こしてごめん。おやすみ、ナマエ」
「おやすみ、マリス」

傍らから聞こえてくる規則正しい呼吸とは裏腹に、僕の心臓は未だ落ち着きを取り戻してはいなかった。どうかナマエには届かないようにと、誰にともなく願う。

――あの夢は、かつてナマエが見たものだ。僕を庇って、ナマエが死ぬ夢。
正確には、最初の夢はナマエの視点だったから同じものではないけれど。きっと同じ未来に繋がる夢の、僕の視点で見た僕の夢。
ナマエが決して内容を教えてくれなかった、おそらくは予知夢。どうして隠すのかが気になって、眠っている間にナマエの記憶を覗いた。覗いて、そして恐怖で叫び出しそうになった。そんなことをすれば起こしてしまうから、声が漏れそうになる口を必死で押さえた。
そして僕は、ナマエの記憶から夢の記憶を消した。
消したはずだった。僕自身も、あんな悪夢は忘れてしまうのが一番だと、そう思った。それが、今になってこんな、僕自身の悪夢として蘇ってくるなんて。

――悪い夢だと、言って欲しかった。

『マリスが、無事でよかった』
その身を赤く染めた、夢の中のナマエも。
『良い夢を、見たの』
あの夢を恐れなかった、かつてのナマエも。
ただ微笑んで、満たされたような顔でいることが、理解できなかった。ナマエが僕を置いて逝くのを良しとしたことが、信じられなかった。
どうして、受け入れるの。あんな夢を。僕を庇って死ぬナマエなんて、僕は見たくない。良かったなんて、思って欲しくない。
ずっと一緒に、2人欠けることなく。いつか命の終わりが来るとしても、もっと先の未来で。同化現象を受け付けなくなって、ファフナーにも乗れなくなったナマエなら、結晶化して砕け散ることもない。せめてナマエには、人間としての寿命を全うして欲しい。
その言葉を、ナマエに直接言うことはできなかった。言えば、思い出してしまう。せっかく忘れさせた夢を、意識させてしまう。その上でまた、ナマエにあの夢の実現を望まれてしまったら。正夢にしたいなどと、思われてしまったら。
……今のナマエには、僕の力も通らない。記憶が戻ってしまったら、それをまた消すことはもうできない。
ただの夢だと一笑に付してしまうには、あまりにも冷たい予感に満ちていた。

「ナマエを死なせたりしない。僕は、絶対に」

僕自身も、簡単に殺されたりはしない。それがナマエの命をも左右してしまうというのなら尚更。どこまでも狡猾に、望む世界のために、僕はどんなことだってしてみせる。

20201031
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