【刀剣乱舞】月夜烏・改 | ナノ
21 鳥居


 シャワーで簡単な禊を行った雅は、着替えを終えて屋敷の外に出た。
 表門の前で足を止めて大きな門を仰ぎ見る。太い支柱を備えた二枚開きの扉に、瓦葺きの屋根が乗った立派な作りだ。雅の腕よりはるかに太い横木のかんぬきで門を固く閉ざしている。大きな蜘蛛の巣が張っていた。よくよく見れば、本丸全体を覆う結界も、所々が綻びている。
 薄々気づいていたが、改めて思う。
 この本丸はおかしい。
 住む者がいるというのに、不自然なほどに活気がない。廃墟に近いと言ってもいい。
 考え込みながら、トントンと靴のつま先を鳴らした。今、雅の足にある革靴は、玄関にあった下駄箱で借りたものだ。足に合うサイズは難なく見つかった。沢山の靴や草履、ブーツが揃っていた。
 すぐに気が付いた。ひとの数と合わない。
 思い当たるのは、仏間――もとい、神棚が祀られた部屋の奥にあった多数の刀剣だ。もしかしたら、あれらの靴は、一度得た人の器を手放した者達たちのものではないのか? かつての本丸は、顕現した付喪神が大勢住まう、活気ある場所だったのかもしれない。
 思案に耽りつつも足だけは進め続けた。屋敷をぐるりと取り囲む、元は真っ白だったろう黄ばんだ土塀に沿って逆時計回りに進んでいたところ、
「…………祠?」
 背の低い樹木が並ぶ影に、小さな祠(ほこら)を見つけた。鳥居まである。
 敷地内に祠がある家は意外と多いため、特段珍しいことではない。新興住宅地域で見かけることはまれだが、古い住宅地域では多々見かけることができる。地域によっては氏神(うじがみ)、屋敷神(やしきがみ)とも呼ばれ、農耕神、祖先神、あるいは屋敷に付属した土地の神が祀られている。――が、それはあくまで一般の家の場合だ。
 ここは本丸だ。刀剣の付喪神が集う場に、他の神が祀られてるものだろうか? ――しかし、屋敷内には神棚(屋内神)が飾られていた。形式的な儀式用かもしれないが。
 もしやこの祠も形だけだかもしれない。鳥居の前に座りこんで注意深く観察を行った。年季の入った石造りの祠だ。こちらにも蜘蛛の巣が張ってる上に、鳥居に、紐で括りつけられた榊がすっかり干からびていた。
 門と同様、あまりひとの手が入っていないないことが伺える。
(……ハズレか)
 祠からは何も感じられない。
 空っぽであったならば、異形にとっては絶好の隠れ場所になり得るかもしれない。と考えたのだが、その考えはハズレのようだ。気配を追ってきたつもりで、撒かれていたらしい。
 一期一振たちは何も言っていなかった。彼らは本丸に巣食う異形の存在に気づいていない可能性が高い。
 とはいえ、何も雅ひとりで異変を解決しようと先走ったつもりはなかった。ただ、朧げなりとて正体を掴みたかったのもあるし――あの、黒い羽が、どうしても引っかかっるのだ。
 これもカンでしかないのだが、嫌な予感が警鐘を鳴らし続けていた。
 カァ、カァ……ガァ……
 いつの間にか、門の上にカラスが集まっていた。ガァガァと喧しく、まるで何かを訴えているようだ。
「……見つかってしまいましたか」
 隠れんぼの鬼に見つかってしまったような口調で肩を竦ませると、姿を見せた一期一振は苦笑した。
「あなたの霊力は分かり易いですからな。気配に聡い者ならすぐに居場所を知れましょう」
「なるほど……」
 無駄な霊力を放出しているのかもしれない。つくづく自分の未熟さを実感する。
「審神者として、学ばなければならないことは多いようです」
 立ち上がって一期一振の方を向くと、彼はそうかもしれませんな、とクスリと笑った。
「ご用意した衣装は、お一人で着るには難しかったですかな?」
 振袖姿でない雅に、着付けが出来なかったのか、との問いかけだ。
「こちらが動きやすいのでお借りしました。よろしいでしょうか?」
「それは結構ですが、…………ははっ、まるで弟がもうひとり出来たようですな」
 今の雅は、ワイシャツの上に薬研の上着を羽織り、丈の短いズボンを履いて、腰には守り刀――短刀を差している。まるで粟田口の短刀のごとき格好だ。背格好も彼らと大差ないため、余計そう見えた。
「今なら、沢山いらっしゃるあなたの弟君の中に、私ひとり紛れたところで分からないかもしれませんね」
 天下三名工の一人・粟田口吉光の刀は、古来より珍重されてきたた。現存する品は多い。彼の軽口に乗ったつもりであったが、一期一振は、いいえと首を振った。
「弟たちはみなアクの強い、個性的な者ばかりですから」
 と、雅の言葉をやんわりと否定した。彼にとっては大勢いる弟たちひとりひとりが、掛け替えのない、大事な存在なのだろう。
「そういえば、その弟君の、前田殿はどうされました? 手入れは終えられましたか?」
 この本丸には腕のいい刀鍛冶がおり、手入れさえすれば怪我も治ると聞いた。いくら齢数百の付喪神といえども、少年の姿の彼がいつまでも痛々しい怪我を負ったままでは気の毒に思えた。
「ご心配なく。今、準備をしているところです」
「なるほど……あれだけの損傷ですからね」
 門外漢である雅には分からないが、色々と準備が必要なのだろう。
「一期一振殿、ご相談したいことがあります」
「なんでしょう?」
 本音では正体を掴んでから打ち明けたかったのだが、判断の遅れが取り返しのつかない事態を生むことは知っている。雅はこの本丸に巣食っている正体不明の異形の話を一期一振に持ちかけた。
「客間で黒い影を見ました。空気のように気配を溶け込ませておりましたから、姿を見るまで存在に気付きませんでしたが、あれは負の異形。妖怪、と言ったほうが分かり易いかもしれません」
 歴史修正主義者に対抗するべく陣を構える通称『本丸』は、高い霊力を有する審神者や刀剣の付喪神が一つ処に集まったエネルギーの地場だ。人工的パワースポット。それに惹かれてやってくる化生が、ほつれた結界の穴から入り込んでもおかしくはない、というのが雅の見解だ。
「アレの存在が近くにあるだけで、あなたがたの御霊を荒ませ、蝕んでいくでしょう。早く手を打った方がいい。委ねてくださるのなら私が片をつけますが」
 未だ正体は掴めてはいないが、家業の経験からだいたいの目星は付いていた。
「お詳しいですな。物怖じもせず、慣れてらっしゃるようにも見受けられます。あなたのご実家は、祓い屋といったところですかな?」
「ええ、そのようなものです」
「なるほど、審神者に選ばれるだけのことはある。……梅小路殿、あなたには謝罪しなければなりません」
「謝罪? それは、気づいていたという意味でしょうか」
 ならば余計な真似をするところだった。あくまで雅は部外者だ。依頼を受けたワケではない。手を出す前に、相談という形で持ちかけて正解だったと胸を撫でおろした。
「そうではないのです。申し訳ありませんが、政府に連絡をとることが出来なくなりました」
「は? なぜです?」
 目を見張った。先程まで慈愛をたえていた彼の目は、徐々に翳りを帯びてゆく。
「あなたには、ここで死んで頂くからです」
 一期一振はおもむろに、左手に持っていた刀をゆっくりと抜いた。
「……一期一振殿?」
 彼は乱刄か、と、的はずれな感想を抱きながら、彼の真意を問うように名を呼ぶ。
「恨むなら、時空の嵐に出会い、ここへ参られたあなたの不運をお恨みください」
 迷うことなく吉光の最高傑作と呼ばれる太刀を振りかぶった。
「ご安心ください。痛みは一瞬です」
 彼は本気だ。守り刀を抜く暇もなく、降ってくる刃を鞘のまま頭上で受けた。重い。奥歯を噛み締めた。
「なぜ、こんなことを!? 理由を聞かせてください!」
 体格差は歴然だ。力ずくで押し切られそうになる。
「全ては主の為。あなたには贄になってきただきます」
「審神者が命じたのですか!? あなたに! 私を殺せと!」
 一期一振は、口角を上げた。余裕を伺わせる笑みだ。
「無駄な抵抗はおやめください。無用に傷つけたくなどないのです」
「……っ、半端な、優しさですね! それこそ無用です!」
 力では適わない。応戦するにしろ逃げるにしろ、一度態勢を立て直そうと彼の攻撃を受け流そう――としたところで、
「!!」
 手に持った守り刀が弾かれた。痺れる右手を庇いながら後へ跳んだ。

「……え?」

 突然、一期一振が消えた。いや、一期一振だけではない。回りの景色そのものが一変した。昼間の明るさから、夜のごとき闇夜へと変貌を遂げた。
「しまった、取り込まれた……」
 瞬間的に理解した。ここは現世とは異なる世界――端的に言うなら異界だ。一期一振が? だが、全神経を傾けて彼の一挙手一投足に気を配っていた。取り込まれるような隙など見せていなかったハズだ。
「……鳥居?」
 頭上にそびえる巨大な鳥居を見上げて呆然とする。本丸で見かけた鳥居の比ではない――。
 ハッとした。雅は鳥居のすぐ前にいた。一期一振から距離を取ったときに鳥居を――境界を踏み越えてしまったのだろう。やはり追ってきた異形は祠の中に逃げこんでいたのだ。息を潜めて静かに機会を伺っていたに違いない。すっかり騙されてしまった。
 ゾワリ。
 肌が粟立つ。客間で感じたものとは比べ物にならないほどの大きな力を感じた雅は反射的に振り向いた。


++++


 目の前で消えた雅に、一期一振は溜息を吐いて納刀した。彼女は審神者だ。常人とは異なる。この本丸の存在に気づいてしまったが為に門を叩き、迷い込んできた今までの徒人とは違う。だからこそ、確実に贄として捧げようとしたのだが、失敗してしまった。
「いや、審神者といえど二度と戻れはしない。……これで、準備は整った」
 自身に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
 これで全てが上手くいく。あれだけの霊力を捧げれば、主は再び力を行使できるだろう。仲間も弟も、手入れが叶う。また以前のように、みなで笑って過ごせる。これで良かったのだ。だから――。
「あとは……そうだな、形だけでも祈祷の用意をしておかなくては」
 主は知らない。一期一振が、影で、主君のためにどれだけの犠牲を払っているのかを。だがそれでいい。主を支えるとはそういうことだ。だから、つまらない罪悪感など、感じる必要などないのだ――。
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