【刀剣乱舞】月夜烏・改 | ナノ
20 主君


 出されたお茶もそこそこに、箪笥の上に置かれた着替えを手にとった。広げてみると、濃紺地に牡丹と藤があしらわれた豪奢な振袖が現れた。眉間にシワが寄る。
 振袖は未婚女性が身につける正装の為の着物だ。審神者である雅に敬意を表してくれたのか、ここの審神者に敬意を表しろ、という意味かは分からないが、袖を通すのにあまり気は進まなかった。
 着付けの問題ではない。打ち込みの細かい絹で出来た生地の上、金糸銀糸の刺繍がふんだんに施された上物。十分すぎるほど美しいのが、ある一点の美しさ――機能美が足りないことが、不満なのだ。
 ハッキリ言って、動きにくい。
 袖の長い作りもそうだが、これだけ気合の入った代物ならば、かなり重く、動きも制限されるだろう。お人形をするために審神者になったわけではない。と、早々に見切りをつけた雅は、失礼を承知で箪笥に手をかけた。しかし、中には細々とした雑貨が入っているだけで、予備の服はない。
 奥の部屋はどうだろうと扉をくぐる。仮眠室と聞いた部屋は、政府で用意された部屋よりも立派な作りをしていた。少々埃っぽいのは、あまり使用されていないからか。
 ベッド脇に小さな収納箱があった。覗いてみると、寝巻きやタオル、男女兼用で着れそうな服が見つかった。しかし、雅には少々大きいようだ。
 豪華な客間に風呂、仮眠室があることから、定期的に泊まる客がいるのだろうと想像しながら、自分に合うサイズを探して奥まで手を突っ込んだ。ワイシャツらしきものが見えたのだ。無造作に引っ張り出すと、シャツと一緒に丈の短いズボンまでついてきた。目を丸めたあと、口角を上げた。
「ちょうどいい。これをお借りしましょう」
 洗濯時に紛れたのかもしれない。だが、これなら合うだろうと苦笑してベッドに腰掛けた。
 ふぅと息を吐く。
 たったこれだけで目が回ってしまった。多少、戦場で動いたとはいえ、自分の体力は理解している。
 これは疲れではない。
 原因は、この本丸で感じるプレッシャーだ。
 来た時からやけに身体が重く感じた。当初は時空の嵐とやらの影響だと思っていたが、阿津賀志山から帰ってきて確信した。
 ここからは、別の、排他的な力を感じる。
 直感とでも言おうか、家業で培われたカンが、雅に下を向かせた。
「……なるほど」
 墨で塗りつぶしたような黒ずんだ手が、気配もなく伸びていた。雅の足を取ろうとしている。
 踏みつけようと足を上げると、サッと引っ込んだ。
 覗き込んで確認するも、ベッドと床のすき間は僅か10センチほどしかなく、人影など見当たらない。
 が――。
 なぜか落ちていた、黒い鳥の羽を拾い上げた。
「早々に、ご挨拶に向かう必要がありそうですね」
 そうと決まれば。と、着ているものを脱ぎ捨てて風呂場へと向かった。


++++


 嫌な予感を感じた一期一振は、主の部屋へと急いでいた。途中、去ってゆく前田の後ろ姿を捉えたが、声をかける前に廊下を曲がり、姿を消してしまった。
 追いかけるべきかと逡巡した末に、先に主の元へ顔を出すことにした。
「主、失礼します」
 部屋へ入ると、主である少女が気だるげに寝そべっていた。忙しなく動くのは彼女の指と目だけ。げーむ機だと教えられた小さな板を熱心に操作していた。
 審神者に成りたての頃は、勤勉で優秀な審神者であった。それが、半年ほど前の変調をキッカケに、日がな一日、部屋から出ることを厭い、自堕落に過ごすようになってしまった。
「こちらへ弟が、前田が伺いませんでしたか?」
「さっき来たよ」
 手元から視線を逸らさず、そっけなく言い放つ。一期一振が思い浮かべるのは、傷ついたままの前田の後ろ姿だ。元々怪我を負っいたというのに、さらに酷くなって戻って来た彼は、本体に深刻な傷を負ったに違いない。
「弟をご覧になりましたば、早急な措置が必要であることはご理解頂けたはずです。お願いします。手入れを行ってください」
「見てないから分からないよ。障子越しに報告を受けたんだから」
「主!」
 屁理屈をこねる少女を一喝すると、彼女はビクリと身体を震わせ――鋭い目で一期一振を睨みつけた。
「なに怒ってるの? あたしはちゃんとやってる! 一期の言うとおり『寛大な処置』で任務失敗の罰を与えなかったし、あの子も今度はちゃんと役に立つって反省してたし……」
 威勢良くまくし立ててていた声は、段々に小さく、尻すぼみになってゆく。終いには顔色を伺うように一期一振を見上げた。
「…………だから、いいでしょ?」
 一期一振は、彼女のそばに膝をついた。
「私は怒っているわけではないのです。ただ、弟の手入れをお願いしているのです。我らも傷つけば痛みを感じます。本体が取り返しのつかないほどに破損してしまえば命を失う可能性すらあります。お願いです。どうか、前田の手入れを……」
 絞り出すような想いで、嘆願した。
 しかし――。
「ムリだよ。あたし、今スランプなの。スランプになったら何もできなくなるって知ってるでしょ? なのに、ひどい……」
 審神者は頭から布団を被って一期一振の視線から逃れた。ひどいひどいと泣き出してしまう。
 彼女が初めてスランプに陥ったのは半年ほど前のことだった。以来、ちょくちょく調子を崩すようになった主を支えながら、今まで何とかやって来たのだが……。一期一振は気持ちを切り替えるようにギュッと目を瞑った。大きく溜息を吐く。
「……申し訳ありません。言葉が過ぎました」
 布団の上から、弟にするように背中を撫でると、くぐもった声で「うん」と返って来た。
「ご不調でしたら、また祈祷を行いましょう。穢れを払い、清浄な気を受けることで、再びお力を発揮できることと存じます」
 涙を拭った少女が布団から顔を出した。
「またやるの? やってもいいけど、準備は? 出来てるの?」
「下準備は整っております。本日中には決行できるかと」
「……分かった。早くスランプを終わらせたいし、やるよ」
 彼女は笑顔を見せた。
「あたしね、ずっとここに居たいんだ。人間は嫌いだけど、付喪神のみんなは優しいから好き」
「……勿体無いお言葉です。私も……あなた様を主に頂けて、幸せでございます」
「一期ならそう言ってくれると思った。だからね、あたしが審神者でいるためには、ノルマをこなさなくちゃいけないってことも、分かってるよね?」
 たとえスランプ中であってもノルマはこなさなければならない。彼女は強く言い切った。
 全ての審神者に課せられたノルマ。それは歴史修正主義者の介入を防ぐため、または既になされた介入を妨害するための一定数以上の出陣だ。どの時代・地域に当たるかは、持ち回りで決められている。本日の担当地域は鎌倉時代の阿津賀志山だ。時折、三日月宗近の分霊が目撃される場所でもある。
「はい、存じております」
「そのノルマも三日月宗近を連れてきたら暫く免除されるしから、みんなにも頑張って欲しいの。分かってくれるよね?」
 歴史修正主義者との戦いが始まってから間もなく。なぜか戦場で、刀剣の付喪神の分霊が目撃されるようになった。理由は定かではない。連れ帰った者たちも口を揃えて、なぜあの場に居たのか分からないという。だが、戦力増強のため、分霊たちの保身のために、彷徨う付喪神を保護するのは、出陣同様、審神者に課された大事な役目のひとつとなった。
「……もちろんでございます」
 同意を示す一期一振に、審神者は満足そうにうなづいた。この本丸には数多の刀剣が揃っているが、三日月宗近はいない。どころか、三日月宗近を保有する本丸は、現状皆無だ。審神者たちの間では既に諦めムードが漂い、鍛刀すれどもすれども顕現しない、気まぐれな付喪神――無いものとして扱え、との認識が持たれる程で。それは長く審神者を続けている者ほど顕著であった。それゆえ、政府も彼を鍛刀、あるいは戦場で保護できた者にはボーナスという名のニンジンをぶら下げているのであるが、今のところ、そのニンジンを得た審神者はゼロだ。
「楽しみだなぁ、天下五剣で一番美しい刀っていうくらいだから、一期よりイケメンかもね。演練に連れて行って自慢しちゃおっかな。一期、お願いね」
 彼女は、はじめての成功事例になれと事も無げにいう。
 今も仲間と弟たちは、三日月宗近を求めて阿津賀志山の戦場で生命をすり減らしているのだろうか。そう思うと我慢できず、知らず声を張り上げていた。
「ならば、ならば主! 私を出陣部隊に加えくださいませ! 必ずかの一振りを見つけて参りましょう!」
「それはダメ。一期が出陣してる間にあたしがどうなってもいいの? 敵が攻めてくる可能性はゼロじゃないって、前に一期が言ったんじゃない。あのとき守ってくれるって言ったのは、嘘だったの?」
 顔が強ばるのが、自分でも理解できた。一期一振は、全ての感情を押さえ込むように拳を握り締めた。
「……いえ、滅相もありませぬ」
「だよね。あたし、大事なご主人様だもんね」
 幼い少女は無邪気に笑う。対して、今の自分はきちんと笑えているだろうか。
 ふと、いつかの主と同じ、初々しい新米審神者として気負う、雅の硬い顔が浮かんだ。一期一振は、それを打ち消すように、きつく瞼を閉じた。
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