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 トランス・トラップ

俺の上司は、頭がおかしい。


この春、俺は卒論のため研究室に配属された。神経系の研究をしているというその研究室は、わりかし名の通ったところらしい。
確かに今後研究で食っていく為には、教授や研究室の力が欠かせない。神経に興味がなかったわけではないが、俺はこの教室に格別入りたいわけではなかった。

それではなぜここに配属されたかというと、紛れもない、俺の現上司のせいだ。

博士課程に在籍する俺の上司、さとうありすはこの研究室の主要メンバーに数えられる。教授に指摘を受けても簡単にはへこたれないし、なかなか鋭いことに気付く。そこそこの実績を既に残していて、頭もキレるし、容姿も悪くない。

ただ大問題なのは、その素行だ。

煙草は毎日一箱、酒は飲む量がとにかく半端ない。趣味はホストクラブに通うことで、論文がアセプトされるよりもシャンパンコールされるほうが優越感を感じるらしい。その金の出処はというと、彼女曰くちょっとアンダーグラウンドなところから、だそうだ。

初めてこの研究室に見学にきた俺にに対し、開口一番、「私、君が欲しい。ここに、決まりね。」とさっさと手続きを始めてしまった。
そして今に至る、と。


頼まれていた作業が終了したので、報告に出向く。巨大隕石が地球にぶつかるくらいの確立に懸けて、彼女のデスクを確認する。案の定、いない。一体彼女はいつ研究活動をしているのだろうか。

1番可能性が高いのは、喫煙室だ。そこがだめなら、仮眠室に行く。たいてい酔い潰れてるので、仮眠室での彼女にいい思い出はない。そこがだめなら、屋上。ここでそのアンダーグラウンドな仕事のために必要な営業をしているらしい。何をしているかは、あえて聞かないが、想像はできる。

喫煙室の自動ドアがスライドすると、あまり好ましくない匂いが鼻をついた。

………いた。

煙の濃度が最も濃そうな最奥で、煙を口から吐いている。

「終わったの?」

彼女が俺の存在に気付く。

「頼まれた通りにPCRしました。電気泳動の写真も、持ってきました。」

彼女が奪うように資料を受け取ると、ふーんと鼻をならした。

「…………へたっぴ。」

さっそくのダメ出し。

「ほらここ。プライマーダイマーがみえてる。サンプルに対して、プライマーが多すぎるのよ。それにあんまりPCRできてないわね。サイクル数、いくつでやった?」
「30回です。」
「そう。なら十分ね。考えられる原因は、一ちゃんの手技かな。バッファーちゃんと混ざってないのかも。次回、頑張ってね。」

彼女の指摘はやはり鋭い。的確に言い当ててくる。この素行でなければ、研究者として完璧なのだが。

「そういえば、一ちゃん。どこか夜空いてない?たまにはご飯、一緒いこうよ。」

夜いないのは、あんたの方だろう。そう心で思った。

「俺はいつでも、大丈夫だが…。」
「じゃあ今夜。今夜二人で、飲みにいこう。ご馳走してあげるから、ね?」

とくに用もなかったので、分かったと言った。なんやかんやで、二人きりで食事に行くのは初めてだった。


待ち合わせ時刻に10分程遅れてやってきた彼女に、俺ば度肝を抜かれた。

いつも高く結い上げられたその長髪は、しなやかに下ろされ巻かれており。いつものぺったんこの靴をバランスを保つもが難しそうなピンヒールに履き替え、動きやすさ重視の服装は、胸元が大きく開いたブラウスとタイトなミニスカートになっていた。

「実験中の格好が、いつものだと思わないでね。」

いつもより幾分艶かしい彼女に気を取られていると、突然腕を組まれた。

「ばっ、何をやって………」
「今夜は愉しみましょうね。一ちゃん。」

遠くの方で先輩が、気をつけろよ〜と叫んでいた。今は、危機感しかない。


連れて来られたのは、落ち着き感のある小洒落たレストランだった。
そこの店員は彼女の姿を見ると飛んできて、平伏した。シャンデリアで飾られた店内を抜け、案内されたのは奥まった個室。照明はあえて暗めにされており、この字のソファとそれに合わせた低めのテーブルがセットされてある。
彼女が店員になにか注文する。おそらくシャンパンかなにかだろう。おそらく、というのも名前が長すぎて聞き取れなかった。

「一体ここは、あんたの、何だ。」

素直に思ったことを聞いた。

「うーん、よくアフターとか同伴に使ううちにお得意様になっちゃった。」

「もはや、あんたは何者だ。」

彼女は面白そうに笑った。そんなに私の印象って悪い?とあっけらかんと聞く。あんたの酔っぱらっている姿でも録画してやろうかと、思った。
するとキレイなグラスに入れられたシャンパンが持って来られた。
慣れた手つきで、グラスを持ち上げる。そんな彼女の手つきを真似して、自分もグラスを持ち上げる。

「乾杯」

チン、と音を立ててグラスがかさなった。

次から次へと運ばれてくる料理は、それはもう豪華絢爛。しかもその一つ一つが上品で程よい量だった。彼女はというと、料理そっちのけで大分出来上がってる。

ふと目があった。

彼女の顔が突然目の前にきて、自分の口元に細い指が当てられた。

「一ちゃん、ミートソース、ついてるよ。」

適度に伸ばされた爪の先についたミートソース見せ付け、そのまま彼女は、それを舐めた。うん、一ちゃんの味がする。と妖艶に微笑んだ。いつ俺の味を知ったんだ、あんたは。

メインのパスタが下げられ、しばらく経つとデザートが運ばれてきた。他愛のない会話で、その場は盛り上がった。彼女も普通の会話もできるのだな、と思った。
デザートの皿が半分くらい、空いてきたとき。突然彼女がこう言った。

「もっと甘いものがほしい。」

まったくの気分屋である。こんな突拍子もない行動は、この時間でだいぶ慣れたのでそのままにしとこう、と思った矢先。

俺の唇に、柔らかいなにかが、重ねられた。

紛れもない、彼女の唇だった。

「………うん、甘くて美味しい。」

何事もなかったかのようにスプーンをとり、食事を進める。俺はただ、呆気に取られていた。

「………あれ、もしかしてファーストキスだった?」

悔しいが図星だ。さようなら、俺のピュアな初恋。

「ふふっ、やっぱり一ちゃんって育て甲斐がある子だわ。」
「俺は、あんたの子供になった覚えはない………。」

前言撤回。彼女相手に普通の会話など望めない。

俺も酒がまわっていたのだろうか。そんな彼女相手に、まだ会話を続けたいと思ってしまった。というより、こういう機会でもないと、彼女のことを知ることができない。

「一つ、気になっていたのだが。」

膝をそろえ、彼女のほうに少し体をそらす。


「なぜあんたは、俺をこの研究室に呼んだ。」

きょとん、と彼女の目が丸くなる。何を改まって、と眉を下げて笑った。


「理由は簡単よ。お堅い理系男子を再教育してあげたかったの。あと少し、一ちゃんがイケメンだったから。」

俺が、その「お堅い理系男子」だったのか。確かに付き合った女性も今のところいないが、ひどい言われようだ。

「私、ずっと理系の世界に身を置いてきたけど、私を楽しませてくれる男なんて一人もいなかった。全員お勉強が恋人で、世の中の遊び方を知らない。女の子もそうだけど、遊び方を知らない人は、私の中で最低の部類に入るわ。」

「それは、あんたのぶっ飛んだ理論だろう。」

「本当にそう思う?こうやって遊び方を知らない人たちが、将来不倫やたちの悪い風俗に走るのよ。若いころ遊んでいなかったから、大人になってしたくなるの。」

自分が馬鹿みたいに遊んでいるのを身近に見て、そういう世界があるってことをわかってほしかったのだ、と彼女は言った。さらに続ける。

「でもね、一ちゃんも、そうやって私のこと蔑むの。こうなったら実践に入るしかないわね。」

彼女のきれいな指が、自らが身に纏うブラウスのボタンを、一つ開けた。豊満なバストがより強調される。足を組み直すと前かがみになって、俺を下から覗き込んだ。

「どお?あなたのこのへんに、血液が集まってきているのを、感じない?」

ふわり、と俺の太ももを撫で回す。やめろ、と小さく抵抗したが無駄だった。

「そう、そうやって欲望に忠実であればいいの。私たちも動物なんだから。」

グロスのたっぷり塗られた彼女の唇が、再び俺のそれに重ねられる。今度は音を立てて、厭らしく、深く。

酸素が足りなくなって、半ば強引に彼女を取り払う。

「一ちゃん、この後時間ある....?」

意味深な微笑み方が、俺の頭の中の警鐘を鳴らす。しかしどうやら彼女の「人間だって動物論」は間違っていなかったらしい。俺の下半身は、彼女を求めてる。俺はもう降参するしかなかった。

「俺はあんたの言うとおり、おそらく起こるであろうこの先のことを、何も知らないのだが。」

彼女は財布から、福沢諭吉を三枚テーブルに叩きつけた。俺の手をエスコートするようにとると(普通こういうのは男がやることではないのか)、立ち上がりもう一度深いキスを落とした。

唇を離すと、口角をあげてにやりを微笑む。





「いいよ、お姉さんが、ぜんぶ教えてあげる。」






どうやら夜は、これから始まるみたいだ。






end
















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