◎ 恋して、愛して、愛されて
「ありす、ありす…」
低い優しい声に呼ばれて意識が浮上する。
まぶたを持ち上げればそこに映るのは紫紺の瞳を持つ美しい顔立ち。
「ん、トシさ…ん?」
「おはよう」
ちゅっとリップ音を立てて触れた唇。触れるだけのキスがやたら甘く感じた。
「ここ、どこ?」
「サービスエリアだよ。トイレとか大丈夫か?」
「うん、行っとく」
シートベルトを外して外へ出れば青い空と深い緑の山がおりなす壮大な景色が広がっていた。
「わあっ!!きれー!!」
ありすは大きく息を吸い込むと、くるりと振り向いた。其処にあるサービスエリアの字を見て、それから隣の土方の顔を見る。
「ちょっ、トシさん、全然近場じゃないじゃない。」
「まあ、気にすんなよ」
頭をくしゃくしゃっとなでられると、もうそれだけでいい気がしてしまう。きっと彼はそれをわかっててやっているんだろうからタチが悪いとありすは思った。
「あとどれくらいかかるの?」
「バーカ。それ言ったらこれから行くとこがバレちまうだろーが。」
「えー」
頬を膨らませて、唇を尖らせて精一杯不服をアピール。けれど土方は素知らぬ顔でほら、トイレ行ってこいなんて言うのだからありすは舌を出して、トシさんの意地悪、と言った。そのままトイレに行く彼女の背中を、土方は優しげな、愛しげな眼差しで見送った。
トイレから戻って再び助手席に座る。
椅子に座るとどうしても眠気が襲ってくる。連日研究室に籠りっきりの日々が続いていたから疲れがたまっているのだろう。それでも寝まいと必死に意識を保とうとするありすが可愛らしくて、土方はくすりと笑みをこぼした。
「寝てていい」
「でも…」
「いいから、疲れてんだろ?」
そう言って前を見ながら彼女の頭を撫でる手があまりにも優しくて。
「いま、あたしのこと、子供っぽいって、思った…」
「思ってねえよ」
「う…そだもん」
そう言いながらもこてりと首を傾けてしまったありすをチラリと横目で見て、再び土方は笑みをこぼすのであった。
次に彼女が目を開けた時にはまたサービスエリアであった。今度は運転席に土方はおらず、それでも彼女が寝苦しくないようにエンジンとクーラーはかけっぱなしであった。きっと自分が寝ている間にくしゃみでもしたのだろう。彼の大きめのパーカーが彼女の上にかけられていた。こういう気遣いができるさりげない優しさも彼の魅力の一つだと彼女は思っている。
「まったく、相変わらず優しいんだから」
こんなに甘やかされたら困ってしまう。大学時代の研究室の同期である新八は怖いと言うけれど、彼の本性がとても優しい人間であることを#名前#は知っている。きっと仕事の時は気を張っているのだ。ミスをしないために、会社のために、神経をとがらせているのだ。
「あったかい」
パーカーを着ると袖が余る。萌え袖になんてならないほどだ。
その温もりに浸っていると見慣れた人影が戻ってきた。
「お、なんだ。起きたのか。」
「いま起きたの」
「そうか。」
トイレ大丈夫なら出るけど平気か?と問われ平気だと返す。そうすると彼は笑ってシートベルトをした。少しタバコの臭いが香る。
「あ、運転代わる?」
「いや、大丈夫だ。お前疲れてんだろ?」
ゆっくり寝とけ、と言われてまた頭をなでられる。子供扱いされてる気もするが、その行為が彼女は好きだった。
「じゃ、お言葉に甘えて。でも流石にもう眠くないや。」
そう言って彼女が笑うと、土方もそうか、と笑ってアクセルを踏んだ。
それから車で一時間。
市街地を走る車の中で彼女の歓喜は絶えない。
「わあっ、すごいよトシさん!!舞妓さんがいる!!」
「そりゃ、京都だからな。全部が本物とは限らねえぜ。」
「いーなあ。私も舞妓さんの格好してみたい。」
嬉しそうにはしゃぐありすに対して、土方はくすりと笑みをこぼす。普段自分が忙しいため、我慢させることも多い彼女がはしゃぐ姿を見たのは久しぶりだ。そんな彼女にめいいっぱい楽しんでもらいたい。
「とりあえず明日だな。今日はもう時間がねえ。」
「え、泊まるの?」
「ったりめえだろう。お前、俺に徹夜させるつもりか?」
目を丸くして、それから彼女はふんわりと笑った。昔からサプライズとか苦手なのに、わざわざ近場なんて嘘ついて。わざわざ休みを貰って。この人はどこまでも自分を好きにさせていくらしい。
「トシさん」
信号待ち。ハンドルを握っていない方の手を握った。すると、彼もこちらを見る。
「ありがとう。」
そう言ってはにかむと、彼は優しく笑ってさっと顔を近づけた。流れに逆らわず目を閉じる。掠めるような口づけが愛おしい。
顔が離れて、二人笑いあって、信号が赤から青に変わる。
「誕生日、おめでとう」
意地っ張りで恥ずかしがり屋の貴方らしい態度でありながらこぼれたらしくない言葉が、たまらなく愛おしかった。
恋して、愛して、愛されて
どんなに忙しくても会えなくても喧嘩しても、ずっと、ずっといつまでもそうやって生きていくのだろう。
貴方の全てを好きになってしまったから。
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