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 櫛



*




「くっ……そんなに……締めつけんじゃねぇ……ほら……もっと力抜け……」

『とし…ぞ……さ…んっ……はあっ……』

「声を我慢してる……お前のその顔が……たまんねぇんだよ……滅茶苦茶にして……はっ……啼かせたくなっちまう……」

『そん……な……んんっ……』

「くっ……ありす……はっ……ありすっ!」




強すぎる快感に揺さぶられ正気ではいられなくなる。

もういっそのこと……その手に壊されてしまいたい。

燃えさかる欲を隠さない瞳と、きつく抱き締める腕。




ふたりどこまでも堕ちていく……

絡み合い溶け合って……どこまでも……









女中としての生活にも、幹部のみなさんの個性にもすっかり慣れて元気に働いている。

歳三さんを筆頭に一癖も二癖もあるかたばかりの新選組。

みなさんのお好みを心得ておいて、常に気を配るようにしている。



私が屯所を飛び出した一件のあと、歳三さんは本当の意味で私を【土方の女】にしてくれた。



初めて抱かれた夜、その意味をはっきり教えられた。

【土方の女】であるということは【土方の急所】であるということ。

いつどこで誰に襲われても不思議ではないし、新選組を守るために私を見捨てることもあるかもしれないと……そう言われた。



「それでも……俺はありすが欲しいんだよ……俺を信じてくんねぇか……」



その言葉を貰えただけで、私は幸せだった。

夫婦になりたいなどと図々しいことは考えていないけれど、出来ればこのままずっとお側にいたいと思っている。










そんなある日のこと。

屯所に可愛らしい十歳位の女の子が男衆さんを従えて堂々と訪ねて来た。

仕立てのいい着物に子供とは思えない色気。

町娘風に髪を結っているけれど、花街に生きる女の凜とした美しさは簡単に隠せるものじゃない。



「土方せんせにお目にかかりとうございます」



意外な人物の名前が出てきたことに驚き固まる私の隣に現れたのは斎藤さんだった。



「待ちかねたぞ。急ぎ参れ」

「斎藤せんせ、おおきに」



私に会釈をしていそいそと斎藤さんの後をついて行く後ろ姿をぼんやり見ていることしかできなかった。

半刻ほど後に斎藤さんが見送りに出て、その女の子は帰って行った。




その時は全てのことをあまり深く考えなかった。

歳三さんが新選組の副長として花街に出入りしているのは知っているし、お酒の席のことをどうこう言うほど子供じゃない。

偉い方にお目にかかって難しいお話を纏めることもあるというし、私が口を出すことじゃない。




でも、三日とあけずその女の子は屯所に訪ねて来ては歳三さんの部屋に籠る。

お茶を出そうとすれば、山崎さんが飛んで来て奪うようにして運んで行く。

呆然としていれば、原田さんから急ぎの繕いものを頼まれる。



その子が訪ねて来るたびに、みんなが私を歳三さんの部屋に近付けないようにしている。

やっぱりこれは……そういうことなの?

邪念を払うようにごしごしと床の拭き掃除をしているところに通りかかったあの子は私を見下ろして薄く笑う。



「ありすはんどすか?おぶうごっそさまどした。うちは君香どす。土方せんせに可愛がってもろてます」



笑顔で話す柔らかい言葉なのに、棘がひそんでいる。

それになぜ私の名を知っているの……









『歳三さん……あの……』

「どうした?心配ごとか?」

『いえ……』

「困ったことがあったら、遠慮しねぇで相談しろよ?」



頬に触れる手が優しい……見つめる瞳も。



【あの子と副長室でなにをしてるの?】



喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。

言えなかった……どうしても訊けなかった。



花街の女性とのことをあれこれと言うのは不粋だし、現に歳三さんはいつも通り優しくしてくれている。

だからそれでいいと思っていた。

今、目の前にいる歳三さんを信じていればそれで良かったのに。







翌日またあの子がやって来た。

例によって斎藤さんが案内して行き、山崎さんがお茶を出し原田さんに用を頼まれる。



だけど今日はいつもと違う……歳三さん自らあの子を見送っている。



「君香、何度も悪かったな。君菊によろしく言ってくれ」

「そんなら、原田せんせや他のせんせをぎょうさん連れて遊びに来とくれやす。太夫も土方せんせが来はるのを首を長うして待ってはりますよってに」

「くっくっ……そりゃあそうだ。近々行くと君菊に伝えてくれ。お前みてぇな禿(かむろ)がそばについてりゃあ君菊も心強いだろうよ」

「へえ、おおきに」



可愛らしく元気に応えるあの子と笑顔の歳三さんの向こうに……見え隠れする存在に息が苦しくなる。

息をひそめて柱の陰から見ている私に声がかかる。



「あれ?君香ちゃんまた来てるの?まったく土方さんも隅に置けないなぁ」

『沖田さんはあの子をご存知なんですか?』

「もちろん知ってるよ。土方さんの馴染みの君菊太夫の禿の君香ちゃん。禿が客と太夫の艶文のやりとりを請負うのは当たり前だからね」



沖田さんは私に、歳三さんと君菊さんが親しい間柄なんだとはっきり教えてくれている。

やっぱり……そうなんだ………やっぱり。



「おいっ!総司っ!余計なこと喋ってねぇで巡察だ!もたもたしてると、また土方さんにどやされるぞ!」

「もうそんな時間?今日は十番組とだっけ?はあ……面倒くさいなぁ」



ぶつぶつ言いながら草履を履く沖田さんを睨んでいる原田さんの怖い顔は、沖田さんの言葉が真実だと証明している。



「ありす、心配すんな。お前が気に病むようなことは何もねぇんだからよ、な?」

『………はい……ありがとう……ございます』



大丈夫ですと微笑んだつもりだったのに、そんな私を痛ましそうに見つめる原田さん。

原田さんは優しく慰めてくれたけど、どうしても気になってしまう。



もやもやした気持ちを抱えたまま、歳三さんには何も言えずに時間は過ぎていく。

数日後、あの子に告げた通り歳三さんは組長さんや伍長さんたちを連れて角屋へと出かけて行った。










「ありす……まだ起きてるか?」

『はい』

「遅くに悪いが、部屋に茶を頼む」

『……はい』



障子越しに聞こえる歳三さんの声には酔っている様子はない。

角屋に部屋を取ってお泊まりなるかたも多いのに、こんなに早くお戻りなんて……

歳三さんが帰って来てくれたことが素直に嬉しい私はさっと身支度をして厨へ急いだ。







『お茶をお持ちしました』

「入れ」

『お待たせし………』



歳三さんは感じないのかもしれない。

艶めかしい移香……白粉の香り……

歳三さんの部屋に似つかわしくない香りが私の感覚を麻痺させる。




お酒を飲んだだけ……よね?

お酌を受けただけ……よね?




「ありす、どうした?」



顔を上げると、歳三さんの着物の襟に紅がうっすらとついているのが目に入った。

女子を抱きしめたとき、顔が当たる場所に。

それを見た瞬間、我慢していたものが一気に溢れ出す。



『………っ!』



歳三さんは立派なお侍さまなんだから、お座敷遊びなんか嗜みのひとつ。

嫌われたわけじゃない。

その証拠に、私を見つめる瞳は今も優しい。

そう………捨てられたわけじゃない。

泣いちゃ……だめ……歳三さんの前では。



「おい……ありす……どうした……」

『いえ………なにも………』

「おい……待てよ……泣いてんのか?」



私の異変に気付いて私を引き寄せる。

抱き締められれば一層きつく感じる香りとくっきり見える紅……かのひとの存在を知らしめる。



耐えられない……もう………



『歳三さん……ごめんなさい……香りと紅が……今宵は……』



その言葉に歳三さんは慌てて私の体を離す。

心当たりがあるのか、着物の襟元に視線を落とし袂を顔に近付ける。



「すまねぇ……匂うか?」

『ほんの……少しだけ……』

「野暮な真似しちまったな……悪かった……」

『……おやすみなさいませ』



きちんと挨拶をしてそのまま部屋に戻る。

やり場のない想いを持て余した私は声を殺して泣いた。










どんなに辛くても朝はやって来る。



いつもと同じように起きて、いつもと同じように朝餉の支度を始める。

みなさんお戻りになっていて、眠そうにしながらも揃って朝餉を召し上がっている。

深酒に祟られているのか寝不足なのか、何となくいつもより静かな気がする。

歳三さんは着物を着替えていて、何もなかった顔でお味噌汁に口を付けていた。



下げられた御膳を片付けていれば大好きな声が私を呼ぶ。



「ありす、手が空いたら顔を出せ」

『あの……ご用なら今ここで承ります。洗濯に時間がかかりますし……』

「ゆっくり時間が取れる時でいい。いつでもいいから来てくれ」

『かしこまりました』








洗濯を干し終わったあと、お茶と漬物を持って副長室へと向かう。

緊張して小刻みに震えている指先に気付かないふりをして、部屋の主に声を掛けた。







「昨夜はすまなかった……いくらお前が俺の立場や事情を心得てるとは言え……許してくれ」

『許すもなにも……私こそ子供みたいな真似を……失礼しました』

「まだ怒ってんのか……」

『怒ってなんかいません……』



大きな溜息をひとつついた歳三さんは、私の腕を引っ張って胡座の上に座らせて背中からぎゅっと抱き締める。



「隣に座った太夫から酌を受けただけだ。紅はふらついた芸妓を助けた時についちまった。お前が心配してることなんざ何一つねぇんだ……信じろ」



耳元で語られる言葉は甘く優しくて、何もかも忘れて許したくなる。



『………はい』

「君香がここに来てたのはな、君菊が贔屓にしてる小間物屋にあるものを頼んでてよ……誤解させて悪かった。原田に怒鳴られちまったぜ」



そう言って歳三さんは私の手の上に小さな箱を置く。



「男が惚れた女にこれを贈る意味は……わかってんだろ?」



桐の箱を開けてみれば……土方家三つ巴紋の透かし彫りが施された鼈甲の櫛だった。

以前贈られた柘植の櫛も見事な細工ものだったけれど、まさか家紋入りの櫛だなんて……

しかもこれは鼈甲のなかでも最高級の白甲……そんな高価なお品を……私に?



「気に入ったか?まさかいらねぇなんて言い出しゃしねぇよな?」

『いえ……でも……こんな見事な櫛……私にはもったいな……』

「うるせぇよ。気に入ったかどうか訊いてんだ……早く答えろ」



きつく抱き締めるその腕に力が込められて、歳三さんも緊張しているみたい。



「夫婦の証だ……受け取ってくれるな?」

『……はい』



小さく答えたあと、歳三さんに三つ指をついて挨拶する。



『不束者ですが、末永くよろしくお願いいたします』



歳三さんは満足そうに、そして少し照れくさそうに私の目を見つめていた。








武士の妻となった以上、この身に何が起きようとも覚悟は出来ている。



貴方の進む道の端を少し離れてついていく。

貴方を見失わないように。

貴方の邪魔にならないように。



貴方が疲れて立ち止まったときは笑顔でその疲れを癒す。

貴方の喉が渇いていると感じたら黙って水を差し出す。



貴方の側で貴方に寄り添い、支え続ける。






そんな女になりたい。


そんな妻でありたい。










fin.

*





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