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 サロメ19

ありすが羅刹となった土方の姿を見て、一夜が明けた。
お互いなんと話題を切り出したらよいか分からず、重苦しい空気が漂う。外は相変わらずの大雪で、どうにもこうにもできなかったのだ。

「……いつ、こっちにきた。」

先に沈黙を破ったのは、土方だった。
こっち、というのは蝦夷のことだろう。

「つい、3日ほど前です。いろいろな方にお世話になって、ようやくここまで来れました。」

土方から返事はなかった。その目が何を見ているのか、何を考えているのか、ありすにはまったく検討もつかなかった。ただあまり良く思っていないことだけは、確かだった。

「すみません、土方さんには良くしていただいたのですが…結局は恩を仇で返す形になってしまいました。」

不遇な境遇を気遣って、土方の実家に行くように。ありすは土方を信じていたからこそ、その言いつけを守った。実際、悪いようにはされなかった。それどころか食事はもちろん、人間の温かさを教えてくれた。ありすが知らなかった、本当の家族。それを存分に与えてくれた。

「…そんな言葉を、聞きたいわけじゃねぇ。」

「…すみません。」

それでも、あの戦争が終わって。
もう恐らく土方が全てから解放されているだろう、そう思った時に、ありすはどうしようもなかった。土方に会いたい、たとえそれがどんな形であれ。そう願わざるを得なかったのだ。

「俺が聞きたいのは、なぜそこまでしてここに来たってことだ。」

まるで責め立てるような口調に、ありすは一瞬だけ肩を震わせる。言いたいことは山ほどあるのに、喉の奥底に言葉が引っかかる感触に、ありすは苦しさを覚えた。

土方を心から慕っていたと言うには遅すぎて、もう一度土方と共にありたいと言うには早過ぎたのだ。

「……それならまず、答えてください。……いつから、羅刹に…。」

ありすはこの質問をするこおが単なる時間稼ぎにしかならないということは自覚していた。
いつかもし、新選組に何かあったら土方は迷うことなく変若水に手を伸ばすことは、分かっていたつもりだった。それでも、だからこそ、そうであってほしくなかったのだ。

「……新選組が辿った末路は、知っているだろう。」

「……はい。」

それはあまりにも、京都でのあの輝かしい姿を思い起こすには酷なことな位、悲劇的だった。

「あれは…北上を続ける頃だった。戦いを重ねるにつれ、毎度隊士が半分になっていく。…これしか、道はねぇと思った。」

「……それで、羅刹に。」

土方は小さく肯定の声を漏らした。
覚悟はできていたらしい、その声色に後悔の は混ざっていなかった。

「……函館で、戦死なさったとの噂も聞きましたが。」

「間違いじゃねぇ。一度俺は、致命傷を負った。…だが今、こうして今ものうのうと生きている。」

まるでそれは、羅刹だから、と言わんばかりに聞こえた。

「……俺はこれで、正真正銘の鬼副長になっちまったんだよ。人じゃねぇ、化け物の、鬼だ。」

土方の中で何かが弾けたらしい。
堰き止められていた何かが、溢れ出したようにその口から漏れた。
羅刹は心臓を貫ぬかれるか首を斬られるかでないと殺されないこと、そしてもし寿命がきたら跡形もなく灰になること。時々どうしようもない吸血衝動に襲われること、そしていつか自我を忘れて血に狂う時がやってくるかもしれないこと。
余すことなく、ありすに語った。

「…これじゃあ、武士らしくどころか人間らしい最期も迎えられねぇ…情けない話だが。」

「……でも、そのお陰で新選組は、最後まで誠を貫けたのだと…思います。」

その言葉が気休めにしかならないと、ありすはわかっていた。ただ黙っているわけにもいかず、そう言うしかなかった気がしたのだ。

「…本当に、そう思うか。」

「…はい。」

「……そうか、ありがとうよ。」

土方の表情は、心なしか柔らかいものだった。弱さを見せつつも、気丈に振る舞うその姿は今も変わっていなかった。

「…どうして、ありがとうって言うんですかっ…」

まるで無理して絞り出したような土方の声が、ありすには痛々しく聞こえた。

「お前に話したら…なんだか気分がいい。きっと誰かに言いたかったんだろうな。」

土方の視線はいつの間か遠くを向いていた。
それはまるで、別々の場所に立つかつての仲間に向けられているようにも見えた。
きっと土方の中にある羅刹の存在は、想像以上に影を落としているのだろう。どうすることもできず、ありすは息を飲んだ。

「あいつら……上手いことやってるか…心配だな…。」

孤独、そしていつ訪ずれるかわからない望まない終焉。土方の戦いはなお続いていた。

仕事が山ほどあれば、手伝うことができる。風邪を引けば看病くることができる。
けれども、羅刹になった過去を拭い去ることはできないのだ。

武士らしく生きる、それはいつの間にか土方から人間らしさを奪っていた。
皮肉な運命に、ありすは掛ける言葉がなかった。

ただ、できることがあるとしたら。

「…土方さん。」

こうして蝦夷の地で、土方に再び巡り会えたこと。巡り会いたいと願ったこと。
ありすはその理由を整理できているようで、できていなかった。
そして今、その答えがようやく手に入った気がした。





「……私はきっと、もう一度土方さんの首を取りにきたのだと、思います。」






重く苦しい空気だけが、二人の行く末を見守ったいた。












fin













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