◎ Rainy soul
旧幕府軍と新政府軍の激しい戦いは、終わった。土方さんはその瞬間をこの蝦夷の地で迎えた。
敗戦と、羅刹。
平穏の代償は大きかった。
皮肉なことに、羅刹の力が、土方さんの命を永らえさせた。
私にとっては土方さんが生きている、ただそれだけが救いだったのだけれども。
もしかしたら、土方さんにとって本当の戦いはこれからだったのかもしれない。
新選組が京にいた時代からいくつもの苦難を乗り越えて、土方さんが蝦夷の地に至るまで、私は彼の小姓付きとして常に近くにいた。
もちろん目の前で土方さんが羅刹に堕ちる瞬間も見た。
次の大きな戦いで、もはや命があるかどうか分からない。そう感じたとき、愛を初めて確かめ合ったのはごく自然なことだったかもしれない。
土方さんは既に私の骨の髄まで知り尽くしている。
なぜなら羅刹として吸血衝動に苛まれるたびに、私の血液を与えていたからだ。
平穏がやってきても、土方さんが羅刹であることに変わりはない。
戦いが終われば、羅刹の存在がなくなる。そんな平和な勘違いなどする暇もなく。羅刹化は土方さんの体を蝕んでいった。
ほら、今日も。
自室に籠ったきり、でてこない。ささやかな食事を準備し終えると、彼の部屋の襖に耳を当てる。
聞こえてきた、小さな呻き声。
私は耐えられず、その襖を開いた。
「見るんじゃ、ねぇ、よ。」
そこには美しい黒髪を真っ白に変えた、土方さんの姿があった。深紫の瞳は真っ赤に血走っている。
「今更何を仰るのですか。必要な時はお呼びください、そう言ったはずでは?」
土方さんは歯を食いしばったまま、私を睨みつけた。本当、今更怖気づくわけじゃない。もっと恐ろしいものを、私は見過ぎた。
「血を飲めば、楽になります。早く、お飲みになって?」
小太刀を土方さんに渡す。
私たちの間で、血を飲むときその傷口は土方さんがつける、そういう取り決めになっていた。
そうやっていつも、土方さんは全てを一人で背追い込もうとする。
あくまで私は、羅刹に巻き込まれた被害者としか、してくれない。
「ありす………。」
すまない、そう小さく聞こえた。
と同時に感じる、小さな痛み。鋭利なもので皮膚が引き裂かれる感触。
「今に始まったことでは、ありませんし。」
一瞬、温かい土方さんの吐息を感じる。そしてその温かさは、柔らかな唇の感触に変わった。
「血は、美味しいのですか?」
じゅるり、と大きな音をたてて、私の血液が奪われていく。
ごくり、と土方さんが喉を鳴らせばその柔らかな感触はなくなり、蝦夷の冷気に触れた。
「味は、ねぇよ。こんなこといったら正真正銘の化け物みてぇだが……。」
もう一度、唇が傷口に触れた。
鋭い痛みが、電流のように流れた。まるで足先から抜けて行くようにその痛みは引いていく。
「その、続きを早く聞かせていただけませんか……?」
さっきよりも短い、吸血行為。
ゆっくり唇が離されると、土方さんが言葉を紡いだ。
「ただ、安らぐんだよ。お前の血を貰ってる時はよ。」
それは狂気の沙汰か。
一心不乱に血液を啜り続ける姿は、確かに化け物だけれども。
「土方さんは、羅刹になんか負けていませんよ………?」
「……いつ正気を失うか、わかんねぇ。それだけがお前との生活で、唯一怖ぇことだ。」
いつか、血に狂って、人間らしさを忘れる時が来るかもしれない。
土方さんは、最もその時を恐れているのだと。
「下手したら、お前を殺しちまうかもしれねぇ。もはやお前の愛した土方歳三じゃないかもしれねぇ。」
この行為が終わったあと、優しく傷口を労ってくれるのが、好きだ。
すまない、そう彼の声が聞こえるような気がして。だけど同時に、別の感情も混じっているような。
「土方さんに殺されるなら、本望です。」
「馬鹿野郎、手前ぇの惚れた女を手にかけたい男がどこにいる。」
「土方さんの、そんな独りよがりなところ、好きですよ。」
彼はいつだってそうだ。
悩みの種は、他の人を重んじるばかりに現れる。
私は土方さんが好き。それだけでいいじゃないか。
その血に飢えた姿も、人を殺める姿も全部受け止めるから。
たとえ、殺されようとも。
「新選組の為に命を賭けることができて、そのために羅刹になって、それで良かったのでしょう?」
ならば、何を今更悔いるのか。
ならば、何を今更怖気づくのか。
「……よっぽどの物好きだな、ありすはよ。」
「昔からそうでした。」
土方さんの心ばかりの手当てが終わる。ようやく彼の顔を見ていい、という合図だ。
軽く着物を直し、立ち上がる。
少し血が減ったせいか、立ちくらみがした。よろける体を、土方さんがしっかり支えてくれた。
「お前がどう考えてるか分からなくて、ずっと言えなかったが………」
そのままぎゅっ、と抱きしめられて。
「残りの人生、俺と過ごさないか。」
ゆっくりと、足を動かして、体を土方さんの方へ向けた。
見上げれば、さっきの姿からは想像できないような、穏やかな表情で。
「お夕飯、冷めてしまいますよ。」
「……返事は。」
土方さんの、頬に触れる。
さっきよりもずっと温かみをもっていた。
「土方さんが望むなら、永遠にお側にいましょう。」
返事を聞いた土方さんは、柔らかく微笑んで。
よし、飯にするか。
土方さんが大きく体を伸ばした。
Rainy soul
(そしてあなたはHUMAN LOST)
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