◎ A crown
うっすらと差した西陽に、目を開く。
この時初めて自分がうたた寝していたことに気付いて、慌てて飛び起きた。
時刻は午後6時をまわったところ。
今日は左之さんもお休みだから、「早く夕飯にしようね」なんて言っていたけれど、これじゃあ完全に出遅れた。
左之さんとの赤ちゃんを妊娠して半年。
だいぶ悪阻も落ち着いてきたけれど、日に日に大きくなっていくお腹に今度は体力が追いつかなくなってきた。
平日は朝、左之さんをお見送りしたら、掃除洗濯して。それからお昼寝しても左之さんが帰ってくるまで十分余裕があるのだけど、休日はそうもいかない。別に左之さんが家にずっと居ることに文句があるわけじゃない。いつもお仕事頑張っている左之さんには好きなだけ寛いでほしいのだ。
「ありす?よく眠れたか?」
再び重力に負けそうになる瞼と格闘していると、愛しい旦那さまの声が聞こえた。
「あ、左之さん...。ごめんなさい、今すぐお夕飯を...。」
「いや、いいって。無理すんな。俺がなんか買ってくるからよ。」
ふと見れば足にはひざ掛けが掛けられていて、左之さんが気を遣ってくれたことが容易に想像できる。バタバタと出かける支度をするその姿を見れば、彼の優しさが身に染みてきて心の底から愛おしくなる。
左之さんとは、3年ほど前に結婚した。
同じ職場、私は事務職で左之さんが総合職。お互いそろそろ将来を考えなきゃって時に、この人と一生を共にしたい、と自然に思うようになった。それは左之さんも同じだったみたいで、いつの間にか私たちの人生はきれいに重なっていった。
付き合っていた頃から左之さんは、「この人だって思う女性と家庭を築いて一生かけて守っていきたい」そう語っていた。その女性に私がなれたらいいな、とは思っていたけれど、まさか本当に選んでくれるなんて。プロポーズに「俺の夢は、お前を一生守ることだ」なんて言われたら、喜んで私の人生を捧げてしまう。
そしてそんな左之さんの言葉を受けて私は仕事を辞めた。これは強制されたわけじゃない。私の意思でもあった。左之さんは別に辞めなくてもいいよ、と言ってくれたけど、これから先は左之さんに尽くしたい、そう思ったから。
「左之さん、待ってください。私が、行きますから。」
大きくなったお腹を抱えて、立ち上がる。
少しよろめきそうになったけれど、私の後ろにはちゃんと左之さんが手を添えてくれていて。そっと誘導されるように、ソファに座らされた。
「ほら、無理すんな。買い物くらい、俺もできるって。」
どうやら左之さんは、自分が買い物できないように見られたから、と思っているみたいだけど、それは少し違う。
「ふふっ、それは知っています。でも私が行きたいんです。」
結婚して思ったこと。
お互いがそれぞれの役割を認識して、各々の仕事を全うし、そうして1つの生活を作り上げていくことがうまくやっていくコツなんじゃないかって。
左之さんは、私や生まれてくるこの子が食べていくものに困らないようにお仕事をする。私はそんな左之さんが何の心配もすることがないよう、家のことをやる。ただ単純に守られているだけじゃダメなんだって。
「でもよ、ありす、随分と疲れていたみてぇだけど...。」
「大丈夫です。左之さんのご飯は私が作ってあげたいんです。」
私がそう伝えれば、左之さんはちょっとだけ困った顔をした。そして買い物に行くために用意していたお財布とかをテーブルに置き、私の隣に座る。
まだ私の中でゆっくりと育つ新しい命に触れれば、その目は自然と細くなった。
「どんな子...だろうな。」
「左之さんの子ですよ、きっと元気に生まれてきてくれます。」
「あぁ。元気なのが、何よりだ。」
慈しむようなその視線を感じてか、新しい命が小さく動く。
私たちは顔を見合わせて笑い合った。
左之さんとの結婚生活も、それはそれで私たちの"かたち"の1つ。
だけどこれから生まれてくるこの子も、私たちの"かたち"。
この子がどんな風に育ってどんな大人になるのかは、私たちの"かたち"次第なんだと思う。
左之さんとの当たり前のような生活は、きっと当たり前じゃない。すべてはここに向かっている。
「もう少しありすを独り占めしていたい気もあったが....。」
この子に向けられていた柔らかな視線が、今度は私に移された。
そのまま唇を重ねられれば、左之さんの体温がダイレクトに伝わってくる。
「それ以上に、コイツと会うのが楽しみで仕方ねぇ。」
「私より、大切?」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。比べられるわけねぇだろ。」
どっちも世界で1番大事だよ、そういった左之さんの目は本当に輝かしくて。
この人と一生を誓った私は、宇宙で1番幸せなお嫁さん。
「ありすも、コイツも、自分より大事だし愛してる。」
ねぇ、不思議だと思わない?
まったく別の場所で生まれて育ってきた私たちが、こうして出会って結婚して新たな命を紡ぐこと。そして自分よりも大事なものを見つけること。
「でも無理はしないでくださいね。左之さんがいなければ、私生きていけませんから。」
「ありすを置いていけるか。お前さんは、俺に守られていればいいんだよ。」
こんなこと言い合うのは、慰めに過ぎないって、わかってる。
時代は揺れ動いて、この平和な日常が崩れてしまうこともある。ふとしたきっかけでどちらかの命が途切れてしまうことだってあるかもしれない。
何か起こるかも知れないし、何事もなく安らかに終わっていくかもしれない。
だけど何故か怖くないの。
左之さんと出会えたこと、ここに新しい命を繋げたこと。振り返れば、そっと抱きしめてくれる人がいること。
心から「私幸せだったよ」って言えるから。
「...あっ、買い物行くのすっかり忘れてた。」
夜風が開いた窓から吹き込んできて、忘れていた時間を思い出させる。
「だな。もう7時かよ。時間ってのは早いな...。」
「もう冷蔵庫にあるものでいいですか?すぐに作りますから。」
私がそそっかしく立ち上がる。
すると左之さんもすぐにあとに続いて、後ろから私を抱きしめてくれた。
「だから、無理すんなって言ってるだろ?」
「でもこれは私の仕事...。」
口ではそう言っても、この頼りがいのある左之さんの腕の中に収まってしまったら逃げる気力もなくなってしまう。
いつまでもずっとこのまま、この腕の中にいたくなる。
「じゃあ妥協案だ。俺と一緒に、夕飯をつくる。いいな?」
左之さんは、ずるい。
私が逆らえないのを知っていて、こう言うんだから。
「ありすの体は、もうありすだけのもんじゃねぇんだよ。」
そう耳元で囁かれてしまえば、私の負けだ。
小さく頷けば、左之助さんは満足したかのように鼻を鳴らす。
この人の愛を同じだけ与えられる、お腹の中のこの子にちょっとだけジェラシー。
「ありすは、一人で抱えすぎなんだよ。俺たちは夫婦なんだから、少しは頼ってくれ。」
それでも冷蔵庫を見ながら、これで何作れる?と聞く左之さんが、可愛らしい。
野菜を出してはしまい、冷凍庫の奥の方に手を突っ込んでは悩んで。
この人を好きになれて、よかった。
この人と出会えてよかった。
「左之さん。」
だから、いつか私たちの歩んできた道のりを振り返るのならば。
「ありがとうございます。」
それはもう眩しいくらいにキラキラと輝いている。
この一瞬一瞬が、永遠の宝物。
Fin.
遼子様
この度は、キリリクありがとうございました!結婚3年目に左之さんの子供を妊娠して幸せいっぱいな日々♪ということで.....あれっ、なんか悲しくない....!?遼子様のリアルを重ねる形で書かせていただいたのですが、バリバリ働かれていたらごめんなさいっ....!うちの母親が専業主婦なもので、お仕事なさっている母親像というのが想像できなくてヒロインちゃんには辞職してもらいました笑しかも遅筆すぎて2度もキリ番を踏んでいただくまさかの事態...!!遼子様の幸せモードに水を差すようなことにならなければいいことを祈りつつ、ご挨拶とさせてください...!!はうぅ。
改めまして、この度はありがとうございました!そしておめでとうございます!!
ありす
prev|
next