◎ Bitter WhiteDay with S.Harada
(ったく……どうすりゃいいんだよ。)
高鳴り続ける心臓をどうにか押さえ込み、まだ明かりの灯る部屋の前に俺は立ち尽くしていた。
全国の乙女が騒ぐバレンタインデーがようわく終わったと思えば、勝手に渡されたチョコレートに勝手にお返しを期待されるホワイトデー。
チョコを貰うのは嫌いじゃないが、正直言ってこのお返しってのが悩ましい。好きな奴からでもない、ましてや不味くも美味しくもない大量のチョコにお返しなんて、どうしろっていうんだ。
自分で言うのもアレだが、今まで追いかけられる恋ばかりしてきた。見た目がよくて、尚且ついわゆる「女子力」が高ければ自慢になる。求めていないけれど女たちが寄ってくるから、適度に俺より下で従順な「いい女」ってのと付き合ってきた。
去年まではそう思っていた、けれど今年は少し事情が違う。
俺の中にふと芽生えた、あの人への恋心。
見た目は普通。今まで付き合ってきた女たちと比べると、むしろ地味な部類に入る。仕事は完璧にこなし、どちらかというと知的な印象を与える。しかも、歳上。
正直どう接すればいいか分からなかった。
仕事だと割り切っていればたいして気にならなかったが、そうでない時にどうしてその影がちらついて仕方がないのだ。
そしてそれに追い打ちをかけるかのように渡された、バレンタインデーのチョコレート。
あの人は義理だってオーラ出していたけれど、箱を開けてみればそれが嘘だということはすぐに分かった。確証はない、だが丁寧にラッピングされたそれは、間違いなく本気が詰まったものだった。
(俺も随分意地っ張りだな……)
だけど口から出てくるのは、全く逆の事ばっかりだった。
若い女の子たちに囲まれて「さとう主任からチョコもらったんですか?」なんて聞かれて、素直な気持ちを言えるわけない。思わず口を付いたのは、仕方なくもらった、だった。
取り返しのつかないことをした、そう分かったのはその直後だった。
遠目にあの人が見えて、俺が「断れなかった」そう言ったとたんに走り去っていくのが見えた。周りの女子たちはそれをセクハラパワハラだった笑ったけれど、こっちの方がよっぽどいやらしい。実を言えば、あの人くらい堂々と気持ちをぶつけてくれる方が、俺は好きだ。
ひと呼吸おいて、入室のノックをした。
「どうぞ」と返ってくれば、ゆっくりと足を踏み入れる。
「…これ、できました。」
3月14日の日付がもう少しで変わる頃、さとう主任はまだ会社に残っていた。俺は頼まれていた書類を完成させ、さとうにに渡す。別に急ぎのものではなかったけれど、どうしてもまだ仕事を続けるさとう主任が気になって仕方なかったのだ。
「あ、うん。ありがとう。随分仕事早くなったのね。」
おかげで最近はすごく助かるの、そう微笑まれて心癒されるのを感じた。
第一印象はクールだが、実はとても感情豊かな人だ。それはこの前のバレンタインデーでも垣間見ることができた。だめだ、そんな風に思っている場合じゃない。さとう主任の中では、すでに俺に振られたと思われているに違いない。
あの一件以来、俺に接する態度が少し変わった。
本当に上司と部下になってしまったのだ。
「いや、さとう主任のおかげっす。その…まだ、帰らないんですか。」
「ああ、うん。まだ……帰れないかな。」
さとう主任はチラリと時計を見ると、小さくため息をつく。
どこか懸命に気を紛らわせようとしているようにも見えた。
「あ、原田君は帰っていいよ?私、勝手に残っているだけだから。」
「ありがとう…ございます。」
俺は拳を強く握って、大きく息を吸い込んだ。
さとう主任が帰宅するその時を待ち続け、こうして夜遅くまで残っていたのには理由がある。今日どうしても、渡さなくてはならないものがあるからだ。
少しの沈黙、カタカタと規則だだしくキーボードを叩く音だけが響く。
まるでそれは、俺を避けるかのように、「早く帰って」と聞こえるかのようだった。
「さとう主任、これ受け取ってほしい。」
意を決して、差し出した紙袋。
柄に似合わず、たった一人の女性のために一生懸命選んだホワイトデーのお返しだ。
この人のために選んだ、ディアスキアの花。
「……………え?」
目をまん丸にして驚くその様子は、多分嘘ではない。
一体これはなに?と尋ねたさとう主任に、俺はチョコレートのお礼だ、と言った。
2月14日のあの日、微かな希望を託してさとう主任に頼まれていた仕事をあげた。
「まだ時間はあるのに」確かにさとう主任はそう言ったが、早く仕事を片付けたかったわけじゃない。なんとかしてさとう主任に会う口実を作りたかっただけだった。
そしてその願いが叶って渡されたチョコに、俺はどうしようもないくらい喜んでいた。
それを開けて、さとう主任の気持ちを知って(あくまで勘だけども)さらに嬉しかった。
だけど、一方でどうしても今までとタイプの違った女性に困惑している自分がいた。
困惑なんて言葉はきれい事すぎる。多分、自信がなかっただけだ。
自分よりも年上で、仕事でも立場は上。
頭もいいし、周りからの信頼も厚い。
さとう主任なしではまだ仕事のできない俺が、一体どうしたら彼女と釣り合うとでもいうのか。
幸せともどかしさが入り混じって、口から出た言葉でさとう主任を傷つけた。
ディアスキアの花言葉は、「私を許して」。
花屋の店員がそう教えてくれた。
「……ありがとう、原田くん。」
呆気にとられつつも、顔を俺の方に向けてくれた。
その笑顔に、安堵のため息をつく。だが俺は、その次の瞬間奈落の底に突き落とされた。
「でも…………ごめんなさい。受け取れないわ。」
柔らかな拒絶。
その笑顔をもう一度見返せば、目が凍りついているのがわかった。
「なんで……。」
そう問い返せば、今度は目線を下に伏せて、小さな声で呟いた。
「ごめんなさいね。私、心に決めた人からしか受け取らないって決めているの。」
「………うそ、だ。」
さとう主任が嘘をついているのは、わかりきっている。
今朝土方さんから、嬉しそうにお返しを受け取っていたのを俺は見た。
土方さんはよくって、俺はだめなのか。それなら、理由は。
…………ああ、そうか。
許されることも、許されないのか。
「気持ちは嬉しいわ。だけどね、ホワイトデーは許しを乞う日じゃないのよ?」
俺が差し出したこの花の意味を理解したのだろう。
あの時の記憶は、間違いなくさとう主任に暗い影を落としている。
あの時、女子どもの野次をあしらう勇気があったのならば。
あの時、この人を引き止める勇気があったのならば。
今こんなに後悔することもなかったはずだったのに。
「それなら…すみませんでした。それじゃあ俺、そろそろ帰ります。」
「こちらこそ。気持ちは受け取っておくわ。帰り道、気をつけてね。」
また明日、そう振られた手が妙に虚しくてその場に立ち尽くす。
すべて自分が悪いと分かっているのに、それでも尚どうしても許して欲しくて。
(くそっ…)
小さく舌打ちする。それと同時に電子音が、室内に響いた。
デジタルの数字が、すべて0になる。3月15日がやって来たのだ。
「…さとう主任。」
いっそ早くこの十字架を下ろしたくて、焦っている自分がいる。
情けなくて、普段は余裕かましてプライドの高い俺がこんなになるなんて、あり得なかった。
「ホワイトデー、終わったから受け取ってくれねぇか。1つの俺の気持ちとして。」
この時ばかりは、敬語なんて使ってられなかった。
足先をもう一度さとう主任の方へ向け、歩調を早めて彼女の方へ戻る。あまりの剣幕に、さとう主任の目は怯えきってきた。
「原田…くん?ちょっと…?」
持ち帰るはずだったディアスキアの花をその場に投げ捨て、さとう主任の手首を強く握る。無残にも散った花びらと、花を擽る土の香り。あまりのも悲しくなって、勢い任せにそのまま彼女を机に押し倒した。
「許してもらえねぇっていうなら、力ずくでも奪うしかねぇよな。」
fin.
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