◎ Sign
日付が変わる境目の頃、俺はようやく家に帰った。
時期的にも仕事が立て込んでいて、連日帰りはこの時間帯だ。今日はまだ自宅で寝れるだけ、マシだろう。
今日はもう疲れたから気力がない。風呂はシャワーだけで簡単に済ます。
髪をタオルで拭きながら、俺以外に誰もいないリビングのソファに腰掛けた。
一人には少し大き過ぎる、ソファ。
それは紛れもなく、アイツと座る為に買ったからだ。
(そういや、ここ二週間会ってねぇな……)
窓辺に置かれた、たくさんの写真。
そこには、俺とアイツが笑顔で写っている。アイツとは付き合って一年になるが、その中でもここ最近はすれ違いが続いていた。お互い職場は違うから事情を知ることもないが、アイツはなんとなく察してくれている。
(だけど忙しいから別れるってのは、勘弁だぜ……)
アイツになにかしてやりたい。そうでなくても、とにかくアイツに会いたい、声が聞きたい。
携帯電話に手をのばす。
アイツの電話番号を表示させたところで、発信ボタンを押すのを躊躇う。
(しまった、もう日付変わってる時間じゃねーか。さすがに………悪いか)
出鼻をくじかれて、携帯を放り投げた。キレイな弧をえがいて、ベットに着地する音がした。鈍い音だった。
しかしどうにも、アイツの笑顔が脳裏をよぎる。世間一般では明日は休日だから、持ち帰った仕事もあるのに、どうにも手が付かなそうだった。
(くっそ、今日はもう休むか。)
諦めてさっさと寝た方がいいかもしれない。適当に酒でも飲めばすぐ寝れるだろう。なんてたって、俺はめっぽう酒に弱い。
缶ビールのフタを開ける。
泡がはじける音が、一日の終わりを告げたようだった。明日は仕事始める前に、アイツに電話しよう。
(待てよ、午前中アイツ寝てたらどうする?)
アイツも疲れてるに違いない。
起こしてしまうのも悪いし、かといって真昼間に電話するのも迷惑だろう。
(夜まで我慢しろってか、無理な話だぜ)
ぐいっ、と喉を鳴らすと、ソファに項垂れた。
今まで仕事一筋、愛想尽かされて別れた女は数え切れない。
しかし今回ばかりは、そんな風に終わらせたくはなかった。それほどに、アイツに惚れ込んでる。
(その割りには電話一つもできねぇとはな……)
我ながら情けない、と思う。
変わりばえしない天井を見つめた。なんだか横になる気も失せた。このまま、今日は寝てしまおうか。
そう思った時、ベットの上で携帯が振るえる音がした。こんな時間に一体誰が電話を寄越すのだろうか。
俺は一瞬だけ、アイツの名前が画面に表示されることを願った。
『着信 ありす』
俺は思わず、小さくガッツポーズした。まさかこのタイミングでアイツの声が聞けるなんて、予想していなかったからだ。
すぐに通話ボタンを押した。
向こうの声が聞こえる前に、俺はアイツの名前を呼んだ。
『ごめんなさい、夜遅くに。お休みでしたか?』
「いや、今帰ったところだ。俺も電話したかったんだが……」
電話越しに、小さく笑う声がした。よかった、とアイツが言う。
『最近忙しそうだから、お電話控えていたんですけど。やっぱり、我慢できなくて。』
もしかすると、俺が帰宅するタイミングを伺っていたのかもしれない。そんな細やかな気遣いに、心があたたまった。
「時間作れなくて悪りぃな。気遣ってねぇか?もっと何でも言ってくれていいんだぞ?」
女ってのは、いつも一人で抱え込む。
昔付き合っていた女も、こんなことが重なると急に爆発して、俺の前から去って行った。
コイツだけは、絶対にそうさせねぇ。
『大丈夫ですよ。お仕事一筋だからこその歳三さんですから。……ただ、一つ言うならば……。』
「なんだ?言ってくれ。」
『こんな風に、お電話するのはお嫌いですか?』
なんてコイツは優しいんだ。
何もしなくていい、何処へ連れて行かなくてもいい。ただ、側に俺を感じたい、と。
「馬鹿野郎……….、俺はいつも、ありすのこと考えてんだよ。時間なんか気にしねぇで、電話寄越せ。」
あまりにも愛おしくて、今度はアイツを抱き締めたくなった。
「なぁ、明日、暇か?」
『は、はい。仕事は明日お休みだから、大丈夫ですけど?』
側にいれれば、俺もそれで十分なんだ。どうやら思っていたことは、同んなじみてぇだった。
「明日は自宅で仕事するつもりなんだ。よければ、側にいてくんねぇか?」
喉が渇いたら、アイツにコーヒー淹れてもらおう。久しぶりに、アイツの飯が食いてぇ。
そして疲れたら、アイツの笑顔に癒されよう。
Sign
(知らない間に、ほら)
end
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