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 夏の終わりの長い雨

『ごめん、ラボミーティング来週に延期になっちゃった。今週末、無理かも』

ありすからの突然の連絡に高揚した俺のテンションは、一気に急降下した。
久しぶりに遠出の約束をしていたはずが、直前で水の泡になった。
今週はその為に頑張ろうと言い聞かせていたとあって、すぐにフォローの言葉が思い浮かばなかった。


この1ヶ月間、ありすと面と向かって会話したのは、指で数えられるくらいだ。
ありすの本業は学生、学業優先なのは承知の上だが、まさか理系の大学院生がこんなに忙しいものだとは、文系出身の俺は知らなかった。

いわゆる大手企業で働く俺がありすに出会ったのは、街の酒場だった。
偶然近くのテーブルに居合わせたありすとその友人グループに、俺たちが声をかけたのが始まりだった。はじめはその場だけのつもりだった。少し若そうだったのと、そこそこのルックスを持ち合わせていたから、それだけだった。

まさかこの俺が、学生みてぇなガキ相手に、マジ恋愛するとは思わなかった。
ありすは近くの大学院の学生で、医学系の研究をしているといった。細かいことはよく知らない。一度訳分かんねぇ図を書いてもらって説明されたが、まずの口から出てくる単語から理解できない。
けれど今までの女にしてはめずらしいロジカルな考え方の持ち主で、簡単に言うと、一目惚れした。俺の体が勝手にをデートに誘っていたのだ。

付き合ってくれ、そういった時、ありすはこう言ったのを今でも覚えている。

「私も土方さんが好き。だけどこれだけはわかってほしいの。私の第一優先事項は研究のこと。それでもいい?」

俺は迷わずそれを承諾した。なんといっても俺が惚れたのは、そんなありすの姿だったからだ。

分かってる、研究活動を理由にデートがキャンセルになるたび、俺は自分自身にそう言い聞かせてきた。アイツは、頑張っているんだ、と。



ところが今日はどうにも落ち着かねぇ。
とにかく何が何でも、ありすに会いたい。そう脳みそが疼く。
時計を見ると、21時を過ぎていた。


(もしかすると、まだラボに残っているかもしんねーな)


近くまで行ってみよう、そしてダメもとで連絡しよう。
飯持ってきた、とでもいえば喜んで飛んでくるに違いない。どっかでうまい弁当でも買っていけば、食事くらいは一緒にできるはずだ。
そう決めて、俺は夜までやっている弁当屋を探し回った。ちょうど、ポツリポツリと雨が降り始めた。冷えそうだから、味噌汁でもつけてやろう。














少し冷えた弁当を二つ抱えて、ありすのいる建物へむかう。
研修施設などに定刻など存在しないのだろう。また明かりのついている部屋が多く見られた。ありすのいるであろう階にも、まだ煌々と光が点っている。
さっきまで小雨だった雨も、いつしか本降りになっている。

(早く、会いてぇ)

この大学は多くの建物が点在するため、広大な敷地を誇っている。
そのため敷地全体が大きな公園のようになっており、都会のど真ん中にあるにしては自然が多い。またそれとは対照的に、天高く伸びた高層ビルがインテリジェンスな印象を与える。
ありすに余裕があるときは、そのへんのベンチに腰掛けて昼飯とかよく食ったもんだ。

(疲れるとよく、このベンチで寝てたな...)

うたた寝するありすの顔を思い出して、俺の表情が綻んだのを感じる。
いつもはピンピン気張ってるくせに、本当はあどけなさの残る年相応の女だってことを思わせる瞬間だ。
そんな姿を晒してくれるってことは、俺に心許してくれているのだろう。そう思うと、さらに心が高鳴った。

(俺が女みてぇじゃねーか)

思わず自嘲した。こんなふうに感じるのも、ありすと付き合ってから初めて経験したことだった。


ふと大雨の中に、人影を見つけた。
雨が降っているにも関わらず、傘も差さずに呆然と座りこんでいる。
その影に近付けば、正体はすぐにわかった。

「…!お前、こんなとこで何してやがる!」

それは紛れもなく、ありすだった。
全身ずぶ濡れで、絶え間なく毛先から水が滴っていた。
がしっ、との両肩を掴めば、驚いた顔でこちらを見つめてきた。

「あれ、土方さん?うそ、ついに幻覚が見えるようになったの、かな。」

「馬鹿野郎、俺は本物だ。」

とにかく俺の差していた傘をに握らせ、ハンカチを取り出した。濡れたところを必死に拭くが、間に合わない。これはハンカチが先にダメになるパターンだ。

「いいよ、土方さん。土方さんも、濡れちゃう。」

ありすは俺の手を払い除けようとする。これじゃあお互いずぶ濡れになっちまう。埒が明かねぇ。
生気が抜けたありすの手を引っ張って、近くの小さな倉庫に駆け込んだ。ダメ元だったが、鍵がかかってなかったのが幸いだった。


「おい、とりあえず上だけでも脱げ。風邪引いちまう。」

「土方さんの、えっち。」

「おう、何とでも言え。着替えは?」

「ラボにジャージあるから、大丈夫。マウス臭いけど。」

夏の終わりとだけあって、ありすの身体は思ったより冷えていなかった。今から着替えて風呂にでも入れば、問題ないだろう。

しかしそういう事ではない。

黙り込んで立ち尽くすを見た。何でこんか状況になったのか。どうした、と言っても返事はない。

「とにかく、ラボに帰れ。送っていってやるから。」

ありすを急かすと、俺のスーツの袖をきゅっ、と握ってきた。引っ張るにも、引っ張れねぇ。ますますこの状況に困惑した。
そして聞こえた、小さな声。振り返れば、の目から雨粒以外の雫がこぼれていた。そして悲痛な声をあげる。


「どうして土方さん、私のこと怒らないの……!」

あまりにも状況が一変し、理解が追い付いていない。ただ目の前で女を泣かせておいて、そのままにしておくわけにはいかない。特にコイツは、惚れた女だから。

「怒るって、なんだよ。なんで俺が怒るんだよ。」

「だって、私、デートの約束また、破っちゃった。」

真っ赤に腫らした目をこすりながら、言葉を詰まらせた。
確かにこんなことは今までにたくさんあった。機械がぶっ壊れて実験スケジュールが大幅にずれたとか、思わぬところでダメ出しくらったとか、テータの解析が終わりそうにないとか。

「そろそろ怒ってよ!」


だけど約束したじゃねぇか。お前の研究が第一優先事項だって。
そんなお前に、俺は惚れたんだって。

それでもありすは、思っている以上に気にしていたらしい。
俺に断りを入れる度に、すごく心苦しかったのだ、そう言った。そしてそれを笑顔で許す俺に無理させているのではないか、いるか愛想つかされるのではないか、そう思っていた、と。

「んなことで、嫌いになんかならねぇよ。それより、泣かれるほうが、つらい。」

力いっぱい抱きしめて、頭を撫でてやった。
でも、でも。そう腕の中で言葉を繰り返す。きっと今日のために何日も徹夜したんだろうから、疲れて気持ちの整理ができなくなったのだろう。
ただひたすらに、ありすを宥める。それしかできなかった。

「今日まで準備大変だったよな。今度の日曜は出かけなくていいから、今日はひとまず休もうぜ。」

「でも、せっかく、土方さんも休み重なったのに...」

「俺は毎週ちゃんと休みあるからよ。お前に合わせるよ。」

だから、本当に気にするな。
時々ありすの頬に唇をあてれば、涙のしょっぱい味がする。

「頑張ってるお前を見てるのが、一番好きなんだ。だから、もう、泣くな。」

「っ、本当?...じゃあ、頑張ろうかな..。」

そうだ、その飾らないへにゃりとした笑顔が好きなんだ。

「だけど、根詰めるなよ。疲れたら俺んとこに、来い。それだけで、十分だから。」

そう言い終えたころには、ピークもおさまっていて、頬が紅く染まっていた。
俺の腰に、ありすの細い腕が絡められる。弱弱しくも、力が込められれた。





倉庫の扉を開けば、まだ雨が降っている。
夏の終わりの匂いが、鼻をかすめた。


「実験仕込んだら、俺の家に来い。そこで徹夜しろ。ずっとそばにいてやるよ。」



夏の終わりの長い雨
(今夜はこのままやまないで、と)








ビジネスバッグの奥に押し込まれていた、折り畳みの傘をありすに押し付けた。








end





































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