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 サロメ16

もう季節は春だというのに、蝦夷の地にはまだ雪が降り続いていた。
特に雪を見るのがはじめてではなかったが、ありすの足元は思わず慎重になる。

(だめだ……寒すぎる)

蝦夷の寒さは想像以上だった。
土方がどこにいるかの検討すらたっていない今、目標もなく彷徨うことがとてつもなく無謀なことに思えたのだ。

ありすは白い息を吐き、荷物を背負い直す。
しかし皮肉なことにその反動で、寒さで感覚のなくなった足先から、足下すくわれるように態勢を崩した。早々に出鼻を挫かれ、思わず涙が零れた。

(土方さん…あなたはどこに、いらっしゃるのですか。)

ありすはわかっていたつもりだった。
土方が生きている確証などなく、この地に来たのはただの自己満足だということを。
むしろ道中で大切な女性を見つけて、ありすのことなど忘れてしまっているかもしれないことも。
せっかく土方が自分の家族にありすを預けてくれたというのに、最後はやはり「蝦夷に行きたい」と制止を振り払って飛び出したことが、恩知らずだということも、だ。

それでも目を瞑る度にちらちらと過る土方の姿が忘れられなくて、どうのような形でも土方を見ないとやり切れなかったのだ。

無情にも増していく寒さをしのぐ方法すら見つけることもできず、ただ前に歩かされる。
ありすは再び吹き荒れた風に、心折れそうになった。

(でも……こんなところで負けられない……!)

物心ついたころから、汚い仕事を見てきた。そして手を染めてきた。唯一の心の救いだと思っていた養父にも、自分が金としかみられていないことを知り裏切られた。
そんな中でみつけた、新選組という居場所。そして土方の小姓として働くという人生の意義。

新選組の隊士たちが離れ離れになった今、縋る場所は土方しかないのだ。
否、最初からそれが土方であることを望んでいたのだ。

(あそこに、灯りが……)

ありすは少し先に、ほんのりと暖かな灯りを見つけた。
どうやら小さな小屋から漏れ出ているようなものだった。

誰かあの場所で生活しているのかもしれない。しかしこんな辺りになにもない場所で、という半信半疑の気持ちもあった。
兎にも角にも、一晩やり過ごせる場所を見つけありすは安堵のため息をもらした。

最後の力を振り絞り、雪に埋れた足を引っこ抜く。なんとか懸命に堪え、再び倒れそうになるのを防いだ。
その小屋の前になんとか辿り着くと、息を吸って扉を叩く。

今まで蝦夷に来るまで、多くの人達にお世話になってきた。船に乗り込むまでにも時間と労力を要したし、こうやって旅路の途中では泊めてもらったりしていた。
今更怖じ気付く必要はないけれど、今夜はどうしても胸騒ぎがした。

「……あのぅ、すみませんっ……。」

控えめに一言目を発した。
扉を小さく叩く。

「誰かいませんか……。」

もう一度今度は少し力を込めて叩けば、その扉のむこうで人が動く音が聞こえる。駆け足で駆け寄ってくる足音。
どうやら上手く行ったようだ。

「………。」

ありすは手を揃え、静かにこの小屋の主が扉を開けるのを待った。
どのようにして事情を説明するか頭の片隅で考える。ここの主が泊めてくれる保証もないから、いかにして頼み込むかが問題だ。この機会を逃したら、恐らく凍え死ぬ。

静かに音を立てて扉が開いた。
ありすは慌ただしく頭を下げて、ひとまず挨拶をする。

「夜分遅くに申し訳ありませんっ!私、さとうありすと申しますっ…その今晩……」

だがそこから先は、小屋の主によって遮られた。それは思わぬ声だった。

「ありす………なのか……?」

「えっ……。」

驚きのあまり、そのまま動きが固まった。
聞き覚えのある声の記憶を呼び出すのに、数秒。それからこの現実を確かめるために、声の主を見直した。








「土方…………さんっ……?」








それは、忘れもしない、ありすにとって今最も会いたかった人物だった。

土方歳三。
泣く子も黙る、新選組の鬼副長。
ありすの、最愛の人物。

「ありす、どうしてここにいる。」

まるでその声は、再会を祝うものではなく、ありすを責めるものだった。
当たり前かもしれない、ありすはそう思った。わざわざ江戸に置いてきて、自らの家族に面倒を見るよう頼んだ女が、何故か土方の意に反して蝦夷の地にいるのだ。

「まさか…ここでお会いできるとは、思いませんでした。……土方さん。」

「……それはこっちの言うことだ。まぁいい、外は冷えるぞ。中に入れ。」

唖然として立ち尽くすありすを、土方はひとまず招き入れた。どうやら少し警戒しているようにも見えた。

風の便りでは、土方は戦死したと聞いた。
しかし現にこうして、ありすの目の前で生きている。周囲を警戒し、一人こんな寂れた場所で暮らしているのには、そういった事情が絡んでいるのかもしれない。

「……茶を、淹れる。」

「あっ……。それは、わたし、が…。」

「いいから、お前は座ってろ。」

そう言ってありすを座らせたのと同時に離れていく。土方の背中が、やけに弱々しくありすには見えた。
その双肩にかかる重荷を下ろした、というよりも全てを失った、という表現が適切だろう。

昔なら、茶を淹れるのはありすの仕事だった。思わずその癖で口から出た言葉を拒絶され、空白の重さを知らされる。
渡された手拭いで雪を振り払い、暖かな火の前に手をかざした。

「…とりあえず、飲め。体を暖めろ。」

「ありがとう…ございます。」

熱いくらいのそれを飲めば、体の芯から温まるのがわかった。相当冷えていたらしい。
この寒い場所にたった一人で、土方は生きてきたというのか。

この蝦夷で、土方が何をどうしてきたのかはありすが知る術もなかった。
ただ今は再び会えた喜びと、土方が生きていたことに対する感謝で胸がいっぱいだったのだ。

「土方さん、色々とお話したいことがあります。」

改まって土方の方を向き、ありすは話題を切り出した。
それでも土方は何も言わない。その姿に、最初の言葉を飲み込んだ。

「………。」

つい黙ってしまったありすに、土方は冷たい視線を投げかけた。
それが辛くて、ごくりと唾を飲む。再会するには心の準備がまだできていなかったことに、今更ありすは気付いた。

「………その、土方さん…。」

「もういい、今夜はまず寝ろ。今用意する、話は明日からだ。」

組んでいた腕を解き、立ち上がった土方に何の言葉もかけられなかった。
己の無力さと情けなさに悔しい涙を浮かべつつ、ありすはただ頷くしかなかったのだ。


















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