◎ Normal Question.3
今日はやけにありすの酒のペースが早い。ついさっき頼んだばっかりのビールはすでに底をついていた。
「ごめん、左之くん。ビールもう一杯頼んでもらっていいー?」
そう言ってありすはグラスを傾けて、小さく横に揺らした。顔は赤く色付いている。酒に強いありすがここまでになるのは、相当酔っ払ってる証拠だ。
「おい、飲み過ぎじゃねぇか?」
「そんなことないよぉー。左之くんは私を酔っ払わせてくれないのー?」
……完全にダメだな、これは。
それにしてもありすがここまでなるのは珍しい。普段はいい具合になったらさっさとソフトドリンクに変えるのに、今日はまったくその気配がなかった。
「いや、いつものお前らしくねぇと思ってよ…なんかあったのか。」
「私だって悩みの一つや二つあるもん。」
横から差し出された、グラスビールをぐいっと一口。器用に柿ピーのピーナッツだけを掴み取ると、口に投げ入れた。
「なるほどな、それで自棄酒ってわけか。」
「……うるさい。」
「それで、どうしたってんだ。」
俺の空いたグラスを店員が下げる。次の飲み物を聞かれれば、ウーロン茶と答えた。今夜はありすに完敗だ。これ以上付き合ったら、自分の肝臓が崩壊する。
「…くだらないよ?」
「今更だろ。」
「そりゃそっか。」
ありすとは別に深い仲ってわけじゃない。ただ他の女より気が合って、酒の趣味が似てるってだけだった。
時間と金さえあれば、適当に連絡してその辺の居酒屋で落ち合って、ただ飲む。酒の肴と話題はお互い余るほどあった。
「あのね、彼氏とケンカしたの。私これで婚期逃したかも。」
「なんだよ、今の彼氏とは結婚の話してたのか?」
ありすのプライベートは、下手するとその彼氏よりも知っているかもしれない。
恋愛感情が入らないからこその距離感が心地よい。
「あれっ言ってなかったっけ?」
「聞いてねぇよ、お前が結婚勝手に夢見てただけじゃねぇか?」
小さな笑い声が零れた。
そのまま伏せるようにして、ありすはその真っ赤な顔を手で覆う。そして大きな溜息をついた。
「あー…もうだめだなぁ…私。」
さっきまで威勢のよかったありすの声が、急に弱くなった。
何が理由でどうして彼氏とケンカしたのかは、知らない。ただありすの中で、自己完結したのだろう。その結果が、これだ。
「左之くんはさー、私みたいな女、魅力的に見える?」
今度は、目だけを手で隠し、声を震わせた。
「……おい、泣いてんのか。」
「……泣いて、ない。」
……間違いなく、強がってる。
普段バリバリ仕事をこなすありすは、男気勝りな性格だ。だがやっぱり女でもある。どこか繊細で感情的なところだって備えているのだ。
「私なんて、どうせ守っても面白くない女だし……。」
「どうしてそうなるんだよ。」
「…知らない、そう言われた。」
何となく話が見えてきたから、これ以上聞かないことにした。
きっとありすの性格や仕事に対する考え方が合わなかったのだろう。こいつに慎ましい大和撫子を求めるのは違う気がする。というか。勿体ない。
「お前がよく頑張ってる証拠じゃねぇか。」
「…、ありが、とう。」
細切れになった言葉と一緒に、ありすの目から大粒の涙が零れた。
その目を覆う指と指の間から、しとしとと雨粒のように伝っていく。
「男の人がさ、みんな左之くんみたいに紳士だったらいいのに、ね。」
そうありすの柔らかな声色で言葉が紡がれれば、自分の中で何かがプツリと切れるのが分かった。
恋愛感情は、ないつもりだった。
いや、ないと思う。
それでも、どうしてもこの体が言うことを聞かなかった。
「お前を泣かせるなんて、その彼氏のツラ拝みてぇよ。」
さっきまで店内を埋め尽くしていた客がいなくなったことを確認し、店員が裏で仲良くおしゃべりしているのを目の片隅に見た。
再びビールを口にしようとするありすの手を阻み、ぐっと近付ける。
予想以上に華奢なありすの体はあっという間にこちらに寄ってきた。
「とりあえず泣き止め。」
そして、思いっきりありすのその体を抱きしめた。
柔らかな感触、別にこの瞬間を心待ちにしてたわけではかったが、俺の心臓はいつもより速く脈打っている。
「お前は、しっかり前だけ向いていればいいんだ。うじうじすることは、ねぇ。」
そっと背中をさすってやれば、甘えたようにありすが俺に身を預ける。
「ほんと、よく頑張ってるよ。」
適切な言葉が思い浮かばず、とりあえず発した言葉に、ありすはただ頷いていた。
fin.
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