◎ edge
できる限り丁寧に淹れたコーヒーと、茶菓子を一つ。
給湯室を足早に出て、まだ明かりの灯る小会議室へと向かった。
「...コーヒーを、お持ちしました。」
興奮する気持ちを抑え、控えめにノックする。
そうすればすぐに、入室を許可する声が帰ってきた。
「斎藤くん、ありがとう。」
声の主は、隣の部署で働くさとうありすだ。
まだ若いというのに、常に会社の重要な場面には必ずいる。冷静沈着頭脳明晰容姿端麗。
そして俺の、想い人、だ。
彼女とは直接一緒に仕事をしたことはなかった。
ただ何度か見かけるうちに、いつの間にか好きになっていた。
それも当然だろう、その凛とした立ち振る舞いはとても頼りがいがある。しかしその見た目はどちらかというと幼い印象を与え、まさしく「フェミニン」という言葉が似合う彼女は、瞬く間に周囲の男性を虜にしていた。そのうちの一人に当然俺自身も含まれている。
ただ本人は、無自覚らしい。つまり俺の想いなんて、彼女には届いていないのだ。
「いや、こんな遅くまで明かりがついていたから...。」
「それでもいつもコーヒー持ってきてくれるもんね。」
俺の上司である土方さんから、夜遅く彼女がいつもひとりこの小会議室にこもって仕事をしていると聞いたのは、数ヶ月前のことだった。
とある冬の日、偶然を装ってこの彼女の隠れ家を覗き込み、なんとかしてきっかけを掴むことができた。そしてその次の日、昨晩のお詫びだとってコーヒーを差し入れた。これも土方さんから聞いた。彼女はほろ苦いブラックが好きだということを。
それでも一度見た彼女の喜ぶ顔がどうしても忘れられなくて、時間さえ合えばこうして俺はコーヒーを運び続けているのだ。
いつか、俺の気持ちに気付いてくれるのではないかと信じて。
「よかった、それじゃは俺はこの辺で...。」
「え、待って、斎藤くん。...時間さえあえば、一緒にどう?」
いつも持ってきてくれるだけで帰っちゃうでしょ、そう付け加えた彼女の声を聞けただけで、俺は生きてよかったとさえ思う。初めての彼女からの誘いを、断る理由などどこにもなかった。
彼女が俺よりも年上だということを知ったのは、つい最近のことだ。
薄々はそうだと思っていた。ただ実際に年齢を彼女の口から聞かされれば、驚いた。
別にこのご時世、女が年上でもなんでも何にも問題はない。そうは分かっていても、ついさらに想いを伝えることを躊躇ってしまっていた。
「あ、斎藤くんの分がなかったね、ごめん。たまには私が何か淹れようか?」
「え、いや...。」
そう言って彼女は、会議室の隅っこに備え付けられた備品入れを開いた。
パソコンやプロジェクターが並ぶその下に、小さなポットとインスタントコーヒーがみえる。
「いつも夜はここで仕事してるからね、自分用に置いちゃったの。」
ビニールの袋をちぎって、中身を取り出す。いい香りが鼻をくすぐった。
「でも、斎藤くんがよく持ってきてくれるから、ここから出すの久々なんだけどね。」
ポットのコンセントを差し込み、お湯が沸くのを待つ。
その間に彼女は、俺の持ってきたお菓子を頬張った。有名店の、限定商品。こっそり彼女がチェックしているというのを、今度は同僚の総司から聞いた。俺は自分の無知さに落胆しつつも、総司の言葉に頼ることにして、そそくさと買いに行ったのだ。
「うん、おいしい!これ、私食べたかったんだよねー!」
「たまたま頂いた物だったのだが、喜んでくれてよかった...。」
素直に彼女のために買いに行った、なんて言えず、その笑顔をただ見つめていた。
それでも十分なのだが、彼女が俺のためにコーヒーを淹れてくれるということが嬉しすぎて落ち着いてはいられない。
お湯が沸いたことを知らせる電子音が響くと、慣れた手つきでお湯を注ぐ。
注がれたカップがやけに可愛らしい。
「あ、カップだけどね、大丈夫!洗ってあるから!私の物だけど...。」
そう慌ただしく差し出されたカップに、俺はさっそく口をつける。柔らかな、彼女らしい味わいだった。
「お口に合うかな…斎藤くんには負けちゃうけど。」
「そんなことない、……優しい味だ。」
そしてもう一口、本当にうまい。
それは彼女が淹れたからだろか。それともうっすらと間接キスをしたからだろうか。
「そういえば、ずっとコーヒーセットをここに置いていると言ったな…俺は、余計なことをしていたのだろうか。」
ふと、疑問が頭をよぎった。
良かれと思ったことが実はそうでないことも多々ある。もしも彼女が優しさで俺のコーヒーを受け取ってくれていたのなら、今後彼女にどう接したらいいのか、わからなくなる。
「え、あっ、そんなことない!ほんと、そんなことないから!」
「……それなら、いいのだが。」
恋は盲目だというけれど、まさに彼女を目の前にすると、どうしたらいいのか分からなくなる。
この好意が重荷になどなってほしくない、でも気付いてほしい。できれば、自然に。
「斎藤くんこそ……いつもごめんね?ってか部署違うし、もしかして…土方さんの差し金かな?」
まったくこの無意識な彼女をどうしてくれようか。まぁ彼女がここにいるのを教えてくれたのは土方さんだが、ほぼ毎晩だった一人の女性の元に通い詰める男の気持ちなんて、決まっているだろう。
「だったら気にしないで?土方さんとはずっと仲良く仕事していきたいし、斎藤くんが気を遣う必要ないから!」
そう笑顔で言い放った彼女は、散乱した資料を片隅にまとめた。書類を整える音だけが、室内に響く。
「斎藤くんは巻き込まれる必要、ないし。」
その彼女の言葉に、俺の中で何かが燃えたぎった。そんなことを言うな、俺はあんたのことがこんなにも好きなのに。
俺は単なる土方さんの部下じゃない。
立場は違うけれど、彼女より年下だけれども、どうか蚊帳の外にしないでくれ。
「俺にも関係があるっ…!」
思わず机から立ち上がってしまった。
整えたばかりの書類が、小さな雪崩を起こす。
「さいとう……くん?」
目をまん丸にして驚く彼女に、俺はこうはっきりと伝えた。
「俺はあんたを好いている。巻き込まれる必要が…あるのだっ……!」
その瞬間、まるで本当に顔から火が出そうなくらい、俺の体温は急上昇した。
edge
(なぜこんなにも溺れてしまう)
霞桜様
霞桜様、このたびはキリリクありがとうございました!はじめていらしてくださった瞬間にキリ番を踏んでいただいて、しかもキリリク頂戴することができて、とても嬉しかったです!さて、年上ヒロインちゃんに一目惚れしたはじめくんの奮闘劇、とのことでしたがいかがでしたでしょうか?奮闘劇といいますか、ただの奥手なはじめくんになってしまったような...気もするような...しないような笑
お気に召していただいたことを祈りつつ、ご挨拶とさせていただきます。尚お持ち帰りの際は、霞桜様のみでお願いいたします。ありがとうございました!
ありす
prev|
next